このきじ「ばか」はかんじでかかれています。あなたがばかでかんじをよめないばあいは、だれかにそうだんしてひらがなにしたものをつくってもらうか、じぶんでどうにかしてください。それか、かんじをわすれたばあいは、おともだちにおしえてもらってください。 でも、どれをえらぶにしろ、あなたはばかということになってしまいます。 |
ばかとは、あなたのことである。なぜなら、ばかでなければこの記事を読むことはないはずだからである。
リンクによって当記事を表示した場合、半分はこちらがばかだった。この記事は少し前までリダイレクトページだったので、リンク先を「ばか」から「馬鹿」へ変えるのを忘れていたのだろう。リダイレクトを過信しているEgachan Galleryはばかである。
しかし、残りの半分はやはりあなたがばかである。あなたはページに存在しているリンクを何のためらいもなくクリックしてしまうのだろうか。リンクがあったらそのリンクは、すごく重いページにつながっているかも知れない。無限に続くこともあればブラクラかもしれないし、勇者ということもありえる。リンクを押す際に注意しない人はばかである。
また、もし以前から当記事がリダイレクトであることを知っていたなら、リンクにカーソルを当てたときにマウスの右下に出る文字が「馬鹿」ではなく「ばか」であることに気付かなかったのだろうか。気付けなかったのならやはりあなたがばかということになる。
「この上の文を書いた人もまたばかであるから、保証はできないよ。」
ばかについてのユーモアがある記事を見たくて検索した結果、当記事にたどり着いたあなたもばかである。Egachan Galleryは記事名をウィキペディアに準拠しているから、とにかく漢字を使いたがるウィキペディアンにあわせてその記事名は「馬鹿」となる。知らなかったにしてもそれは無知というばかの一種である。また、変換して「馬鹿」にしようとしたが失敗したにしてもコンピュータ利用者にしてはばかである。ほかにも、当記事が「馬鹿」へのリダイレクトであったことを知っていたのに「ばか」で検索した人もばかだ。そういう人は、リダイレクトなどを過信せずに自分で漢字に変換すべきだったのだ。
わざわざこんなつまらない当記事を見ようとした人もばかである。当記事はほとんど自虐と読者に対する侮蔑で構成されている。このような記事の何処に魅力があるのだろうか。つまらない記事でもなんでもいいから見ようとするのはEgachan Galleryとして良くないが、Egachan Galleryには多くのつまらない記事が放置されているのでしょうがないかもしれない。
なお、おまかせ表示でこの記事を見つけた人も同様の理由からばかであるといえる。
当記事を見ようとしないあなたもばかである。しかし、そう駄々をこねたところで当記事を見ない人はこの記述も見ていない。つまり、無意味な言い訳をする執筆者もばかなのである。何せ、執筆者の口癖は「うんこが出たい。」なので相当なばかと見当がつく。
あなたが人間である上で当記事を読んでいるなら、あなたは確実にばかである。というか当記事が関係しなくても人間は基本的にばかであることがすでに誰かによって証明されている。
これに関連して、にんげんっていいなという動物たちもばかではないかという意見があるが、この慣用句は人間が作ったものなので結局ばかなのは人間ということになる。つまりうんげを食べたほうがよい。
あなたが人間以外の動物であるのであれば、もうちょい頑張ればウド鈴木くらいの動物になれるかもしれません。
当記事はばかが書き換えてしまったが、当記事を消そうと(または差し戻ししようと)したあなたもまたばかである。記事の作成・削除のイタチごっこはEgachan Galleryの貧弱なサーバーを痛めるだけなので、もうこりごりである。うんげを使うと劇的な回復が見込まれる。つまりうんげは国宝である。
バーカ! バーカ! バーカ! ( ゚∀゚)o彡゜バーカバーカ!
あなたが本物のばかである場合、「馬鹿」の記事へのリンクは設けていない。おまかせ表示で探すこと。