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パンツじゃないから恥ずかしくないもん!†
パンツじゃないから恥ずかしくないもん!( - は - )とは、アニメ「ストライクウィッチーズ」のキャッチコピーであり、変態アニメ史上に燦然と輝く迷言(間違っても、「名」言ではない)である。あまりにも有名であるため、このアニメ自体を差す場合もある。
裸の女性を差す時もある。
2008年に放送されたアニメ「ストライクウィッチーズ」は、主人公の宮藤芳佳をはじめとするウィッチ達が、「ネウロイ」と呼ばれる正体不明の敵と戦うアニメである。ここで問題なのは彼女達の服装で、簡単に言えばパンツ丸出し、ズボンもスカートも身につけることなく、パンツをお茶の間に完全露出しながら空を飛んでいるという有様だったのである。10代のいたいけな少女達がパンツ丸出しで敵と空中戦を行なうという、何も知らない人が見たら即倒するようなマジキチぶりに、全国のアニオタ達が大歓喜したことは言うまでもない。
この前代未聞のアニメを象徴する言葉として、アニメ制作者達が選んだキャッチコピーが「パンツじゃないから恥ずかしくないもん!」であった。この言葉をキャッチコピーにする意図としては、次の2点が挙げられる。
- 視聴者に作品中の世界観(もちろん、現実世界で言うところの「パンツ」が何故か作品中では「ズボン」と呼ばれている、というトンデモ世界観のことである)を示すため。
- アニメにおける性的描写を規制しようとする勢力がこの作品に抗議してきた時に、「いやいや、これはパンツじゃなくてズボンだから問題ないですよ」と言い訳するため。
しかし、これをズボンと言い張っているのは作品中のキャラクターと(建前上)アニメ制作者だけであり、世間一般の視聴者から見れば、どう見てもパンツです本当にありがとうございました。
ストライクウィッチーズの作中では、我々が一般に「パンツ」と呼んでいる物が、何故か「ズボン」と呼ばれている。ゆえに「パンツじゃないから恥ずかしくないもん!」とは、正しくは「私が履いているのはパンツじゃなくてズボンだから恥ずかしくないもん!」という意味であると考えられる。この言葉を批判する者は、この点に明らかなロジックの破綻が見られると主張している。以下にその主張を引用する。
- 我々がズボンと呼ぶ衣類は、(ノーパン主義者を別とすれば)紛れもなくパンツの上から履く衣類と定義される。ズボンとパンツは常にセットであり、「ズボンの下にはパンツがある」という前提条件が成り立って初めて、ズボンという物が本来の意味を持つようになる。それに対して、この作品中の世界ではどうか。キャラクター達が「ズボン」と呼ぶ物の下にパンツがあるであろうか、いやない。あるのは、決して外部に露出してはならない禁断のデルタ地帯だけである。これは最早ズボンの意味を成しておらず、彼女らがズボンと言い張るそれは、「パンツのようなもの」、いや、はっきりとパンツそのものである、と言わざるを得ないであろう。
- 要するに、呼び方を変えただけで問題は一向に解決していない、という話である。作中のズボンは実質的にはパンツの役割を果たしているのだから、それを履いているキャラクター達は、パンツを露出しているということに起因する羞恥心を当然感じるはずであろう。であるからして、「パンツじゃないから恥ずかしくないもん!」という言葉は論理的に破綻している。仮にウィッチ達が本当に恥ずかしくないのだとしたら、それは「パンツじゃないから恥ずかしくない」のではなく、単にその人が露出狂か気違いの類だからである。
上記のような批判に対して様々な反論が試みられたが、それは次のような点に集約される。
- 上のような批判は、現実世界の常識や定義が作中でも通用することを前提として展開されている。そのような我々の「常識」がウィッチ達にも通用すると考えるのは間違っており、異文化排斥につながる行為である。
- 例えば、水着とパンツは形状が似ているが、前者を露出していても羞恥心を抱くということは少ない。これは、水着というものが外部に露出しているものという認識が広く成立しているからに他ならない。すなわち、たとえパンツ丸出しであっても、それが公共空間に露出しているものだという文化的認識と既成事実が成立しているならば、羞恥心を抱くことはないのではないか。
- 「羞恥心」とか「恥ずかしい」という概念自体、個々人の主観によるところが大きいので、それを上のように一般的に考察することには無理があるのではないか。人生いろいろ、恥ずかしさもいろいろ、パンツもいろいろであり、キャラクター達が何をもって「恥ずかしくないもん!」と言っているのかは千差万別で考察のしようがない。
- そもそも日本でも戦前まではぱんつはいてないのが普通であり(参考...)、変態だと思うのはあなたの祖母や曾祖母を侮辱する行為である。そして何より、この作品は現実世界で言うところの戦前・戦中が舞台となっている。
- 視聴者は喜んでいるんだから、何ら問題は無いのではないか。
- 批判のロジック自体破綻しているのではないか?(>>キャラクター達が「ズボン」と呼ぶ物の下にパンツがあるであろうか、いやない。)とあるが、何故「ない」と決めつけられるのだろうか?もしかしたら履いているかもしれない。その点が明確に出来ない限り、これは批判ではなく、「二重に履いていないでくれー!」という只の願望でしかない。
キャラクター達は何故、あのような常軌を逸した格好をしているのだろうか。アニメ研究家の中には、「科学的な観点からそうせざるを得なかったのだ」という意見を述べている者もいる。その説をまとめると次のようになる。
- 作中でウィッチ達は、足にストライカーユニットと呼ばれる機械を付けて空を飛び、敵と戦っている。この機械がなければ、魔法力を有効利用することは出来ない。下半身にスカートやズボンなどを着用していると、足からストライカーユニットに魔法力を伝えることが妨げられてしまうかもしれない。ゆえに、足に余計な物を付けないスタイルが定着したのだろう。
しかし、この意見にも問題点がある。作品設定によると、ストライカーユニットが発明されたのはごく最近の話で、それ以前のウィッチ達はほうき等を使って飛んでいたという。現に作中には、ほうきで空を飛ぶ魔女のお婆さんがごく普通の格好をして登場している(というか、ババアのパンツなんか想像したくもない)。ゆえに、下半身に余計な物を付けない方が良いからという動機には説得力が欠ける。
一方、これは純粋にアニメスタッフ達がパンツを描きたかったからだ、という元も子もない意見も多い。この作品の高い映像クオリティやストーリーからすれば、仮にキャラクター達が普通の格好をしていたとしても、十分な商業的成功をおさめることが出来たであろう。それにも関わらず、あえてパンツ丸出しにしたところに、スタッフ達の熱意(変態性とも言う)が感じられる。いずれにせよ、このようなアニメが放送されたこと自体、狂気(視聴者にとっては「狂喜」だが)以外の何物でもない。
関連項目†