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ベトナム社会主義共和国(ベトナムしゃかいしゅぎきょうわこく)は、共産主義を称しながら反共主義的な、東アジアの国である。
中華人民共和国、ラオス、カンボジアとは国境が接しており、南の海を隔ててフィリピンがある。
南シナ海のスプラトリー諸島の領有を宣言しており、ベトナム本土からのツアーも出ているが、中国人民解放軍の銃撃によりツアー客の4割は死亡している。
「ベトナム遠すぎ!」
~ ベトナム について、横浜Fマリノスサポーター
雑誌「CREA」の特集記事に時折掲載される、「大人の休日を楽しむ・癒しの国ベトナム」がいわゆる「北ベトナム」であり、空港を降りた途端に広がる、「腐肉をヌクマムと香草でごまかした臭いと排気ガスとけたたましく鳴るクラクションから逃れられないヴェトナム」がいわゆる「南ベトナム」である。この2国が統一される予定は当面ない。
共産主義を称しているが、実態はかなり反共主義的で、大日本帝国と中華人民共和国とポルポト政権が大嫌いである。しかし、ソビエト連邦とは「日帝の敵」「中共の敵」という理屈で相性が良かった。つまり、中華民国に近い体質の国家である。天皇教が支配する「ナチ・ジャパン」、共産主義教が支配する「ソビエト・チャイナ」に対して、「クォミンタン・ベトナム」と呼ばれることもある。天皇教信者は勝手に親日と決め付けているが、実際はベトナム共産党がODAのカネ欲しさに「親日」の仮面をかぶってるだけである。また韓国との間に政治問題を抱えていて仲が悪いため、これまた「敵の敵だから味方」という扱いだとも言われている。
正式名称はベトナム語でViet Nam(「越南」が漢字書き)
国名の発音をめぐってベトナム国内で「ベトナム」と「ヴェトナム」で激しい議論があった、現在は「ベトナム」に統一された。
ベトナムは、フランス・天皇日本・美国・共産党中国の4ヶ国に爆撃・植民地支配された歴史を持っている。このため、浮かれた日本人が「先の戦争は、欧米の支配からアジアを解放するためだった」「先の戦争は、共産主義の暴力からベトナムを解放するためだった」とでも言ったら「裏切り者」として即逮捕され、裁判なしに路上で射殺されるので要注意である。勿論、トリコロール・日の丸・星条旗・五星紅旗を焼くイベントは、これらの国々に弾圧された人々にとっては日常茶飯事である。
日本国外務省は長年「ヴィエトナム」という世界唯一の表記を採っていた(対外的には外交官特権を主張し、対内的には「我が国は文言一致を採用していない。」なる声明を出していた)。しかしながら、省内主流派である「ヴィエトナム」派が加藤の乱に連座して大量に失脚して一気に没落した。次いで「ヴェトナム」派もムネヲ=真紀子の変によって粛清されたため、現在は表記も「ベトナム」となった。
秦の始皇帝によって支配されて以来、1080年に渡って中国王朝の支配を受けていた。だが夏暑くて冬寒く、娯楽が少なくて住民が反抗的なこの地に関しては歴代王朝共にやる気がなく、事実上野放し状態だった。
唐の時代、現ハノイには安南都護府が置かれ、安部仲麻呂が長官として赴任している。
天の原 振りさけみれば 春日なる 三笠の山にいでし月かも
なる句は一説にはこのハノイの地で詠まれたともされている。
『お母ちゃ~ん、ミンナがイヂメるんだよ。日本に帰りたいよ~!!!』 上の心境で、屋台のオバチャンが淹れてくれたクソ甘いアイスミルクコーヒー(10,000ドン)を飲みながら詠んだ句ではないか?との説が研究者によって提示されている。
939年に最初の民族王朝呉朝が成立、以後 越人の王朝「大越」が続く。 一応は中華帝国の登記上の朝貢国であったが隋、唐、明といった王朝に幾度か征服されている。
1884年 清仏戦争で清がフランスに敗れる。そしてあっさりとベトナム放棄。
1887年 清の属国からフランスの植民地になった。
1889年 今までは表記に漢字を作っていたが、フランス人が「漢字がグロい」と言ったためローマ字表記になった。
1940年 ワールド・ウォー・ネクストで、日本チームがベトナムにあるフランスチームの陣地を攻撃。
1945年 ワールド・ウォー・ネクストの最終マッチで、日本チームが敗北を公式宣言し、美国チームが勝利を公式宣言。この試合が終わった時に、トルーマン主将は、「日本がギブアップしたぞ!」ってラジオで世界各国に宣伝し、これを聞いたホー・チ・ミンはベトナムの新築祝いを開いた。
1946年 フランスチームとの分離独立戦争、「トッコウ(特攻、特高)の国なんかに与したくない」って主張する人々がフランスチームに友し、泥沼化。
1954年
1962年 ついに国名の発音をめぐり激しく対立、ベトナム戦争勃発。
1976年 ヴェトナム共和国は駄々をこねるも最早どうにもならず、ベトナムこそ正しい発音と認める(南北統一)、国名をベトナム社会主義共和国とする。
1978年 「中国共産党とポルポト政権の圧制からカンボジアを解放する!」夢を実現する為、カンボジア侵攻。
1989年 [ 検閲により削除 ]と気づき、カンボジアから撤退。
1995年
2002年 水曜どうでしょう御一行がカブでご訪問になられる。
2003年 平成の大合併の余波により、同じ社会主義国家であるラオスに合併提案するも拒否される。
2008年 トップ・ギア御一行が1500万ドン(7万円ちょっと相当)で現地調達した安物中古バイクでご訪問になられ、スケジュールが押したからと列車で途中ワープするも方向音痴のメイが切符を買い間違えて危うくゴールしそこねる、お互いのバイクに嫌がらせしあって内輪揉め、魚貝甲殻類が食えないハムスターが飢え死にしかけるなどの数々の障害を乗り越えて、どうでしょう班の逆打ちルートをたどることに成功する。
現在のベトナムはかつて漢字を使用していたとは思えない状況になっている。だが、ベトナム語の語彙、特に固有名詞は殆ど漢語を使用している。
だが、英語表記が韓国や中国や日本のようではなく現地読みでViet Namと表記している。
また、58年間(西暦1887年~1945年)に亘るフランス共和国による圧制の影響で、アルファベットが頒布され、漢字が排除された。漢字は日常生活においてもまったく使用していないため、カタカナ圏となっている。
漢字圏だった頃のベトナムの名称は越南である。
経済成長率は西暦2000年よりで7.0%~8.0%の間で推移している。 これは「大型バイクでカフェに横付けし、ノートパソコン広げて携帯電話で商談している振りをすれば、イイ女をGETできる。」と頑なに信じているベトナム・ヤンエグもどきの涙ぐましい消費欲によるものと思われる。
但し、彼らも会社では出会い系チャットに熱中しているので、生産活動に関してはその限りではない。
なお、雨が降り始めると、皆会社を休んでお昼寝を始めてしまうので、その間の経済活動はストップする。
日本国の1955年体制みたいな一強一弱(強い共産党と弱い野党)であり、過激派はホー・チ・ミン主席の個人崇拝で成り立っている。各家庭にはホー・チ・ミン主席の肖像画が飾られ、願い事(宝くじに当たりますように、憧れのLanちゃんの着替えが拝めますように等)があるときにはbanh day(お餅の一種)が供えられる。
ホー・チ・ミン主席の悪口を言うと、"ものもらいが出来る"、"買ったばかりのバイクに傷がつく"、"市場で買ったスイカが甘くない"などの制裁が加えられると恐れられている。
なお、ホー・チ・ミンはコック見習いとして船員となったこともあり、下手に身の回りの事が出来すぎたので生涯独身を貫かざると得なかったと言われる。また、香港のコミンテルン極東支部でグエン・チ・ミンカイ女史といい仲になっていたことは禁則事項である。
裁判所は大法廷のみの一審制だが、全部街角での示談で済むので別に問題は無い。示談の時には、より多くの親族を連れて来た者が勝つ模様である。
現在の政府上層部には、ソーセージ好きの人物が多く、それに逆らい寿司・チーズフォンデュ・ハンバーガーの営業活動を行おうとすると、CFなる会社が公安警察を通じ取締りをするといわれているので注意が必要。
59個ぐらい省があるとかないとか…
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