大韓民国(以下、韓国)がベトナム戦争に派兵した韓国人兵士が強姦し現地ベトナム人女性の間に生まれた子供、あるいはパリ協定による韓国軍の撤退と、その後のベトナム共和国(南ベトナム)政府の崩壊により取り残された子供のことである。
京郷新聞によれば、ベトナム戦争が終わって残された子供は少なくとも3000人以上、2、3万人との推算もある。ベトナム人女性が韓国兵や会社員などと結婚し生まれた子どももいるとされるが、韓国兵による強姦によって生まれた子どもも多数存在し、国際問題となっている。
ライ「𤳆」(𤳆=「男」偏に「來」旁)はベトナム語で「混血」を意味し、ダイハンは「大韓」(朝:대한)のベトナム語読みであるが、「ライダイハン」という語そのものがベトナムの公式文書に現れる例は少ない。韓国では、ベトナム語からの借用語として取り入れられ、「ライタイハン」(朝:라이따이한)のように発音される。
ライダイハンの正確な数は、依然として、はっきりとは分かっていない。1500人(朝日新聞・1995年5月2日)、2千人(野村進)、500万人(産経新聞)、最小5千人・最大3万人(釜山日報)、7千人、1万人以上(名越二荒之助など)など諸説ある。出産者数だけでもこの人数であり、実際の強姦の被害者数はこの数倍だと考えられている。
彼ら(彼女ら)の中には父親の記憶を持たず、朝鮮語も話せず、写真だけが唯一残された思い出という者もいる。韓国との混血児は名乗りでないとの主張もある。韓国政府およびベトナム政府による調査が行われないまま、長期間、問題が放置されてきたことにより、被害者数の正確な把握が困難になったという批判もある。
原因については韓国軍兵士による強姦、兵士や民間人が「『妻』と子供を捨てて無責任にも韓国に帰国したこと」とする現地婚、「ベトナム人には美人が多いので、女は皆、慰安婦にさせられた。」とする慰安婦(非管理売春)などと複数のことが言われている。
ただし、南ベトナム解放民族戦線が放送によって、韓国軍による拷問や虐殺事件、あるいは婦女子への暴行事件を連日報じていたことは事実であり、各地の韓国軍による虐殺、暴行事件の生存者の証言に共通する点としても婦女に対する強姦が挙げられている。
戦闘終了後の治安維持期に入って、ようやく韓国軍は表向きに兵士の行動を律したが、その後も猛虎師団、青龍旅団、白馬師団などの兵士が、村の娘を強姦して軍法会議にかけられる事件が頻発している。他方、韓国軍の兵士がベトナム人の母と子を置き捨てて帰国したため、軍司令部が再志願させてベトナムに戻し、結婚式を挙げさせた旨が伝えられている。
当時、韓国の朴正煕政権は反共を国是とし、分断国家としての共感を訴えて派兵を推進した。安聖基は「参加する方では『男に生まれたからには、一度は戦場に赴かねば』という気風がありました」とも指摘している。南ベトナムに派兵された韓国軍は、2個師団プラス1個旅団の延べ3.1万名。最盛期には5万名を数えた。また、「ベトナム特需」を当てこんだ産業資本や出稼ぎの民間人も進出し、これも最盛期には2万人近くがベトナムに赴いた。
ベトナムでは村ごとに『「ダイハン」の残虐行為を忘れまい』と碑を建てて残虐行為を忘れまいと誓い合っていると主張する人もいる。
こうした中でライダイハンは、これら韓国人男性とベトナム人女性との間に生まれた。
兵士や出稼ぎの民間人による本国への送金は、年に1億2千万ドルを数え、1969年の韓国の外貨収入の2割に達した。65年から72年までのベトナム特需の総額は10億2200万ドルにのぼる。これはアメリカによる軍事・経済援助、日韓基本条約による莫大な援助と合わせて、漢江の奇跡の基礎となった。
韓国の民間団体や韓国のキリスト教団体とベトナム政府の支援により、支援施設(職業訓練学校)が設立され、無償での職業訓練と朝鮮語の教育が行われた。ただし、ライダイハンの支援よりも、ベトナム国民を対象とした活動になっているとの批判がある。
ライダイハン自身が、韓国人である父親に対して実子であることの認知訴訟を起こし、判決により韓国国籍を取得する動きもある。盧武鉉政権は2006年に、写真など客観的に立証できる手段があれば韓国の国籍を付与する法案を検討するとした。
なお、韓国政府は2009年にベトナム戦争の解釈をめぐってベトナム政府と衝突するという事件があった。2009年に韓国の国家報勲処が国家報勲制度の改定作業を行い、国会に法案改正の趣旨説明文書を提出した。この文書でベトナム戦争参戦者を「世界平和の維持に貢献したベトナム戦争参戦勇士」と表現したことにベトナムが、「我々は被害者。ベトナム戦争の目的が、なぜ世界平和の維持なのか」と猛反発し、予定された李明博大統領のベトナム訪問も拒否する方針を伝えた。韓国側は、柳明桓外交通商相をベトナムに派遣し、外相会談で「世界平和の維持に貢献」の文言を削除することを約束し、李のベトナム訪問を予定通り実現させた。一連の外交交渉で、ベトナム政府は「侵略者は未来志向といった言葉を使いたがり、過去を忘れようとする」と批判した。
後の韓国大統領である全斗煥は白馬師団第29連隊長として、盧泰愚と同様にベトナム派兵で活躍した指揮官だった。最大の圧力団体である軍部の存在もあって、韓国ではベトナム戦争を批判的に取り上げることをタブー視する雰囲気が存在した。しかし後年、徐々に国民の意識が変わり、SBSでライダイハンをテーマとしたドキュメンタリー『大韓の涙』が放送された。
リベラル紙を発行するハンギョレ社は、1999年5月に自社の週刊誌『ハンギョレ21』にて掲載した記事を皮切りに、ベトナムでの韓国の戦争犯罪やライダイハン問題をたびたび取り上げ、韓国の世論に衝撃を与えた。これに対し、韓国の海兵隊の退役軍人にて組織される「枯葉剤戦友会」などの団体は、2000年6月27日に2400名という大集団を率いてハンギョレ社を襲撃した。彼らは同社内のあらゆる事務機器を破壊し、同社幹部を監禁し、同社の従業員十数名を負傷させた。これだけの不当かつ大規模な暴力事件が生じたにもかかわらず、警察に連行されたのはわずか42名に留まり、身柄を拘束された者は4名のみであった。
フィクションでは、2007年に同じくSBSで、新ライダイハンがヒロインの連続テレビドラマ『黄金の新婦』が放送された。
戦時下のベトナムにおいては、アメリカ軍兵士とベトナム人女性との間にも多くの二世(越:Lai Mỹ/ 𤳆美、ライミー)が産まれた。一説には1万5千人ないし2万人とも推計されている。
南北統一後のベトナムでは、当初、ライダイハン同様に「敵国の子」とされ、迫害の対象となった。1987年にアメリカ政府は混血児とその家族の移住を受け入れ始めたが、なおベトナムに留まる者も多かった。しかし、その後、越中戦争(中越戦争とも)において中華人民共和国と敵対した関係から西側諸国とベトナムとの関係改善が割合早期に行われたことなどから、ライダイハンほど激しくはなく、ドイモイ以降の政府の親米路線により激しい迫害は見られなくなった。
ライダイハンのための正義(英: Justice for Lai Dai Han)は、2017年9月12日にイギリスで設立された市民団体。「ベトナム戦争において韓国軍兵士からの性的暴行に遭った女性たちが苛酷な人生を送っていること」を知らしめる目的で、イギリスの市民活動家であるピーター・キャロルが呼びかけ人となって設立された。
ロンドンで開かれた設立イベントには労働党のジャック・ストローも参加している。団体のメンバーの英国人フリージャーナリスト、シャロン・ヘンドリーは、ライダイハンを育てたというベトナム人女性7人に聞き取り調査を行っており、「韓国兵は多くのベトナム女性に性的暴行を加えたり、慰安婦として強制的に慰安所で働かせていた」と報告している。
こういった事実関係究明のため、イギリス議会に調査委員会設置を求めると共に、イギリス人彫刻家のレベッカ・ホーキンスが被害女性とその子供たちのために制作した「ライダイハン像」を披露した。等身大ライダイハン像を制作し、在ベトナム韓国大使館前などに設置し世論喚起することを検討することを発表している。