「おばあちゃんが言っていた…。『友情とは友の心が青くさいと書く。』」
~ 友情 について、天道総司
「背中に隠したナイフの意味を問わないことが友情だろうか」
~ 友情 について、中島みゆき
恋愛から遠い人間は同性または恋愛感情を持てない異性を相手に擬似的な恋愛関係を築き、それによって自らの性的な抑圧に慰めを与えている(同性愛の場合は擬似恋愛ではない。同性愛者にとっては同性が異性であり異性が同性である為)。それが所謂友情と呼ばれるものである。擬似恋愛は、得易く手軽であるため、主として童貞や処女の年少者によって利用されている。そのほかになんらかの事情(現在戦場や刑務所に居る、キモいなど)により恋愛から離れている成人がする場合もある。なおその友情をほぼ恋愛に近いものにして、作品を描く人たちがいる、異性と同性どちらのジャンルもあるが、一般的に後者は遠縁されていてほとんどが恋愛とは無縁の者だと言われている。しかしながら余程あれな人間でない限りいつか恋愛をする。そのとき友情は今までの情熱とは打って変わり、疎かにされるのが常である。例外としてオタクの男性や、夫やその他の男性との恋愛が終わり処女返りしたかのような女性の場合、芸能人やアニメの登場人物その他の伝説上の異性に擬似的恋愛感情を向ける傾向が強いため、他人との交流は専ら情報交換のみである。彼らには友情など存在しない。そのような中、えなりかずきは童貞のオタクであるにもかかわらず擬似恋愛に興味が無く、リアルな人間への恋愛にご執心であるという怪情報が流布されている。あくまでもガセネタである。
友情は恋愛の擬似的存在である。しかしそれを理解できずに、摩擦・衝突・裏切り・孤立・孤独などによって、起こされる殺人事件などの犯罪が毎日世界のどこかで起きている。恋愛しない人間にとって、友情すら無い人生はさらに虚無である。一人でラーメン屋の行列に並ぶ時、虚しさを噛み締めたりしないだろうか…。恋愛の次に友情は幸福な人生を形作るうえで欠かせない存在である。しかし時として凶器にもなるのである。友情の悪い面を改善する社会の取り組みが急務であろうという議題が朝のホームルームで提案された。
男女間の友情は自慰行為をひた隠す者などにより強く肯定されている。男女間の友情は擬似恋愛に含まれないため、有り得無いのではないか、という見方もある。しかし、性的に興奮する恋愛感情の代替なため、性的興奮の殆ど起きない相手ならば友情も成り立つ可能性がある、というのが現在の研究で明らかになりつつあると、旨伝聞によって報告されている。ただし魅力的な異性の場合はそれが困難とされている故、男女間の友情は非常に性的魅力に乏しい者同士のみ限定で存在するのではないだろうか、という結論が出されている。それでもなお男女間の友情があると考えるならば、それは強い暗示によってもたらされた感覚であるらしい。しかし例外的に成立している場合も多々ある為、結局どう議論しようと、結論は人それぞれということとなる。
友情が破綻する原因は主に、金銭問題や、仕事や職場での昇格や人事の問題や、三角関係等の恋愛関係といった事柄が挙げられる、それ以外に主に、男女間の友情が破綻する大半の原因として、うっかりセックスをしてしまった場合が挙げられる、そしてこういった一般人以外の破綻原因となると、それも全く比にならんほど複雑である。鈴木宗男先生と自民党のように、はした金が原因で破綻してしまった事などから考えると、まさに考えるのも面倒くさいものである。以下に主な破綻を記すので面白い物を加えるように。
ブロークバック・マウンテン
ブエノスアイレス
キャプテン翼
KinKi Kids