命知らず(いのちしらず)とは、誰よりも命の重さを知っている人間に贈られる尊称である。
「命」を知らないと銘打っておきながら、命の重さを誰よりも知っているの定義するのは倒錯も甚だしいと読者の諸兄は考えるだろう。しかし、命の重さを知っているからこそ、命を知らないと思われるような行動に出られるのである。
デジタル大辞泉によれば、命知らずとは、自分の生命の危険を顧みずに振る舞うこと、またそのような振舞いをする人を意味する。生命の危険を顧みない振舞いとは、どういう振舞いであろうか。猛スピードで車が走る道路を横切ることか、いや違う、そんな振舞いをする人間は、車に跳ね飛ばされることの危険性を知らずにやっているのだとしたらただの無知、スリル欲しさに故意にやっているのだとしたらただの馬鹿である。面白半分に、あるいは無知のまま危険な状況に身を置くような行為は、断じて命知らずではないのだ。
また、命知らずの「命」の対象は、当然ながら、命知らずな行動を行う本人の「命」である。他者の「命」を知らないのであれば、それはただの自己中か殺人狂である。
では本当の命知らずとはどのように自分の生命を顧みない行動なのだろう。ずばりそれは、他者が生命の危険に晒されている時、自分の身を挺して他者の命を救おうとする行為である。
先ほどの、車が猛スピードで走る道路を、再び例に出そう。母親と逸れてしまった幼女が、母親を探して、車が猛スピードで走る道路を横切ろうとしている。勘違いしないで欲しいが、筆者がロリコンだから幼女を例にあげているわけではない。
話を戻そう。当然、幼女は猛スピードで直進する車に轢かれそうになる。ドライバーが急ブレーキを押すが、間に合わない、万事休す。そんな時、そこに我が身を挺して幼女を庇い、助けようとする青年の姿があった。
これぞ本当の命知らずである。青年は、命の重さを知っている。だからこそ、幼女が車に轢かれそうになっている、命が失われそうになっているのを看過できず、自らの身を挺して、幼女の命を救おうとしたのである。普通の人間であれば、自分の身の危険を考慮し、逡巡してしまうであろう。だが、命の重さを尊重する人間は、失われようとしている命を救うためであれば、自らの命を投げ出す事すら厭わないのだ。命を尊重しすぎるあまり、自分の命の重さを知らない、これぞ、まことの命知らずなのである。だがもっと命知らずな、奴もいる、、。
独島タウンの大本営の駅で、酔った親父を助けようとして韓国人と日本人が205系にグモッチュイーンして、もれなく[ お察し下さい ]になった。
「今そこで人が死のうとしてる、僕にはその方が重い」
~ 命知らず について、ヴァッシュ・ザ・スタンピード
なお、ひねくれた江頭2:50は、青年は幼女を救ったまでは格好良かったが、直後幼女に発情してセクハラ行為を行ってしまい、痴漢として逮捕されたなどと、どうしようもない尾鰭をつけてしまう。全くもって無粋である。
命の重さを知る故に、自分の命を顧みない行動も厭わない、そのような行為は、並の人間にはなかなかできない。人々はそこに美徳を感じ、命知らずな人達を「英雄」と礼賛する。そう、命知らずは英雄のもう一つの呼称でもあるのだ。
「香川先生…教えてください…次は…僕…誰…を…」
~ 英雄 について、東條悟