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政治の怠慢を「シビリアン・コントロール」で隠蔽する悪習

フィリピンの首都マニラに入港した海上自衛隊の護衛艦「あまぎり」の乗員ら。

小西洋之民進党)が2018年4月16日夜、議員会館付近を歩いていた折、一自衛官に罵声を浴びせられたと翌日の参院外交防衛委員会で発言し、大きな問題になった。

議員は「国民の敵」呼ばわりされたと言うが、自衛官は供述で「のために働け」「国益を損なう」「バカなのか」などと批判したことは認めたが、「国民の敵」発言は否定した。

国会では野党が審議に応じないため、「空回し」が続いている。一国の首相が、2時間も呆然と待機させられる。野党は審議する雰囲気でないと言いながら、街宣活動でスタンドプレイだけをやる。国会で議論するのが筋ではないか。

国会議員には月額約130万円の歳費と期末手当約635万円が支給され、総額で約2200万円の給料が出る。この他に、文書通信交通費100万円と立法事務費65万円が毎月支払われている。給料と合わせて、約4200万円だ。

また無料で議員会館(約40m2、2DK相当)が充当され、赤坂・九段・麹町などの超一等地にある議員宿舎(約80m2、3LDK)は家賃5万円前後で、周辺の10分の1以下である。

さらに、JR全線無料パス(グリーン車利用可)と東京~選挙区間の月3回往復無料航空券、加えてバス・地下鉄無料乗車券なども支給される

議員1人あたり年間4000万円の政党助成金は各会派に振り込まれる。議員1人に対し、年間約1億円の税金が投じられていることになる。それに値する働きをしている議員が何人いるだろうか。

国会議員互助年金の掛け金は月額約10万円で、通算在職10年以上の議員は65歳から受給資格ができる。連れ合いの基礎年金を含め月額58.3万円は、一般国民の40年加入厚生年金モデルの月額23.8万円に対し、約2.4倍である。

このような恩典を受ける議員が国会での審議を放棄している。国民はもっと怒っていいのではないか。

権威主義的な小西洋之の発言

供述の中で、小西洋之が「このは現役の自衛官らしいんですけど、いきなりのために働けって、強く罵るんですよ。国民を代表する国会議員なんですよ。その国会議員に対してね、一自衛官がこんなことを言ってくるなんてありえない」(「産経新聞」2018年5月5日4月25日)というくだりがある。

国会議員」を笠に着て、権威的に振る舞う姿が眼前に浮かんでくる。しかし、議員は国民の公僕であり、国民への奉仕者であるべきだ。

テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案の審議時、小西洋之ツイッターに「私は、共謀罪が成立すると本気で国外亡命を考えなければならなくなると覚悟している」と書き込んだ。

法律が成立して1年後の今日、当然亡命していると思っていたが、まだ日本をうろついて年間約1億円の血税を懐にしていたのだ。言行不一致で国民をついたことになる。デマゴーグと言わずして何と言うのだろうか。

当時の「産経抄」(産経新聞コラム、2017年4月22日)は、「ある民進党議員は、テロ等準備罪が成立したら本気で国外亡命を考えると訴えていた。国会議員の一番の責務は、国民の生命、財産を守ることではなかったか。『平和ボケ』の病は膏肓(こうこう)に入り、世界の現実を認識できなくなっている」と苦言を呈していた。

筆者は韓国で起きたセウォル号沈没事故時、真っ先に逃げ出した無責任船長と小西洋之が重なって見えた。

当時の野田佳彦 民進党は、「(小西洋之は)とかく表現が過激になりがちなので、全体としてこの問題を含めてよく指導していきたい」と述べていた。

今回の「国民の敵」発言に対しても、盛んに証拠があると申し立てている。防衛省の調査した自衛官の供述で「言っていない」とされたことに対して、小西洋之は記者団に「組織的に隠蔽するような動きがあるのではないか」とまで勘繰って批判している。

しかし、全体的に見れば、小西洋之が争点化する問題以上に自衛官の供述の方が幅広く動きを捉えている感じである。

その点からも「国民の敵」発言も、野田佳彦が言ったように「表現が過激になりがち」な小西洋之ならではの、自ら発したデマゴーグの類ではないのだろうか。

憲法66条2項を知らない小西洋之

大東亜戦争に突入した時点における日本政治体制は軍部大臣現役武官制をとっていた。従って、現役軍人を陸軍大臣や海軍大臣として軍部が出さなければ組閣ができなかった。

他方で、軍部大臣が閣外に去ると言えば、代わりの現役武官が必要となるが、気に食わない総理大臣の場合は大臣を出さないという抵抗手段で、内閣を崩壊させることもできた。

終戦時の阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣は抗戦姿勢を貫き、鈴木貫太郎を辟易させたと言われた。しかし、阿南大臣が戦闘継続を主張する陸軍をなだめるため、腹芸で強硬姿勢を取っていたことを海軍出身の首相は分かっていたとされる。

阿南氏が閣内に留まり続けたのは首相ともども、陛下の終戦決意をしっかり胸に秘めていたからである。

自衛官の供述をもとに読み解くと、小西洋之は件の自衛官に対し五・一五事件や二・二六事件を口に出し、シビリアン・コントロールの重要性を語ったという。このことから見る限り、議員は憲法論などを語る割には、現実の自衛隊が戦前の軍隊と異なり、政治のコントロール下にある実情を理解していない。

憲法第66条2項は「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と規定している。この条文は芦田修正といわれる9条2項「前項の目的を達するため」の記述に関連して追加された。

旧憲法のもとでは前述のように現役武官制をとっていたこともあり、大東亜戦争に突入するという弊害をもたらした。

現憲法の素案は当初すべての戦争を否定する文面であったが、芦田修正が加わったことから1項の侵略戦争を否定することになり、自衛戦争の可能性が出てきた。

そのため、組閣にあたっては武官の入閣を排除する必要性が出てきたもので、66条2項に「文官」規定が急きょ書き込まれたのである。

明治憲法下の軍隊と異なり、自衛隊がシビリアン・コントロール下にある明確な証である。

自由・民主国家を存続させるため

自衛官の供述では、彼を激昂させた一因が「戦死」という言葉にあったようだ。

平和憲法を擁して世界平和を一番望んでいるのは日本であろう。それでも、万一に備えて「自衛隊」を保有し、日米同盟を結んでいる。

ざっくり言って、「同盟」とは戦争になれば、ともにを流し、戦死者も出るということである。その覚悟がなければ、同盟は泡沫同然である。

小西洋之が言う「戦死」と自衛官が感じている「戦死」は、背景の態様が全く異なる。

小西洋之は「日本国民戦争に行かせるわけにはいかないし、戦死させるわけにもいかない」と語っているように、野党は国際場裏に自衛隊を派遣しないことで「戦死」者などを出さないように考えている。

理想ではあるが、現実社会は理想とかけ離れている。安保法制は、日本が生存を脅かされたり、その危機に直面しそうになるなど、万一の場合に備えたもので、自ら進んで危機を作り出し、または戦争を仕掛けることなどはこれっぽちも考えていない。

そうならないように、あらゆる手段を講じようとする「先憂後楽」の考えを基にしている。

その意味では安保法制は戦争予防法と言った方がふさわしいが、野党は国民受けを狙って戦争法と言ってはばからない。羊頭狗肉もいいところで、ここから釦のかけ違いが生じている。

日本の存立と繁栄は国際社会の平和に依存している。中でも、直接的には原油の輸入が肝心である。

日本にはシーレーンを進んで守るという発想はなかった。米国世界警察官として目を光らせ、世界秩序を乱す者にはお仕置きする権威と力と持っていたからである。

しかし、いまや太平洋を二分し、西半分や南シナ海・東シナ海などは自分責任を持ちたいと異議申し立てをする中国が出てきた。

そして、2035年頃からは米国に代わって、すなわち、従来の自由民主主義を基本にした国際ルールではなく、自国が勝手に定める独自のルールに従わせようと、世界最強の軍隊を持つ意志を明確にしている。

こうした状況下で、言論の自由をはじめとする自由で民主的な社会を維持するためには、日本が国際社会において占める地位にふさわしい国際協力を避けて通れない現実に目を向ける必要がある。

しかし、そうするための安保法制であり憲法改正であるが、野党にはそうした考えがないようだ。

隠れ蓑と化している「シビリアン・コントロール」

憲法国民の防衛義務や実力部隊の存在、その指揮に当る最高指揮官などの記載がないことは、理想主義の表明とはいえ最高法規としては欠陥以外の何ものでもないし、政治の怠慢がもたらしているものである。

自衛官の発言に対して、しばしば「シビリアン・コントロール」云々を言い募るのは議員の「権利」かもしれない。

しかし、その前に自衛隊が公共財としての機能、特に日本の安全確保のために抑止力を存分に発揮しようとしてもできない現状に目を向け、適切に法整備を行うという国会の「義務」を果たすのが先決ではないだろうか。

栗栖弘臣統合幕僚会議議長(当時)が「現行の自衛隊法には穴があり、奇襲侵略を受けた場合、首相の防衛出動命令が出るまで動けない。第一線部隊指揮官が超法規的行動に出ることはありえる」と有事法制の早期整備を促す“超法規発言”を行ったのは1978年のことである。

東京大学法学部を首席で卒業し、大東亜戦争勃発で法務科士官として勤務した視点から、防衛庁長官(当時)への助言機構の最高責任者として、軍事専門家の立場から有事法制整備の必要性を訴えたのだ。

当時はソ連が勢力を伸張させていた時代で、北海道への侵攻が危惧されていた。しかし、自衛隊の行動を律する法制が整備されていなかったため、有効に対処することができない。

自衛隊の最高幹部である栗栖議長が忸怩たる思いに駆られ、早く法制を整備してほしいと発言したのも「国民の負託のこたえる」責任感から出たのだったのだ。

しかし、政治は意見具申として聞く耳を持たず、シビリアン・コントロール(文民統制)の観点から不適切として解任したのである。

栗栖氏の発言が間違っていなかったことは、25年後の2003年からの有事法制整備で証明された。米軍の軍事力が特段に優れ、世界警察官としての役割を果たしていたため、日本の法制に欠陥があっても日本が危うくなることがなかっただけである。

田母神俊雄の懸賞論文は、安全を高めるために専守防衛や集団的自衛権への言及もあったが、主意は「日本は侵略国家ではなかった」という歴史見解であった。

東大での講演など田母神の言動は突出していたこともあり、「日本=侵略国=有罪」とした東京裁判史観を信奉する政治家には「目の上の瘤」も同然に映っていたであろう。

こうしたことから、「出る釘は打たれる」の諺通りに高位の自衛官には表現の自由も制約されるとの観点から、シビリアン・コントロールとの関係も問題視され、空幕長を更迭の上で定年退官させることにした。

そして今回の小西洋之への自衛官発言である。これをあたかもクーデターを使嗾する発火点でもあるかのように言い募るのは理不尽である。取り消して謝罪すれば問題にしないと言いながら、翌日の外交防衛委員会で取り上げ防衛大臣までも糾弾している。

亡命発言といい、自衛官発言の問題化といい、議員の言動には全く信頼性がない。自衛官に「シビリアン・コントロールが大事」と言いながら、現憲法下の自衛隊が、小西洋之らの野党が守り続けたいとする厳正な文民統制下にあることを理解していないように思える。

あるいは、シビリアン・コントロール逸脱ということによって、自分たちがもたらしている「政治の怠慢」を隠そうとしていると言った方がいいかもしれない。

おわりに

そもそも、件の自衛官をなじる前に、国会議員である小西洋之自身がこれまでの発言で相手に与えた不快感、汚辱などについて、取り消し謝罪する方が先であろう。

小西洋之は過去に「自衛隊員の母親の望みも虚しく、自衛隊員は他国の子供を殺傷する恐怖の使徒になるのである」などと想像逞しいが思い違いも甚だしいツイートをしていた。

元衆議院議員で横浜市長も務めた中田宏は「(小西洋之は)これまで自衛隊を目の敵にしたような発言・表現を繰り返してきましたから、この自衛隊員は名乗るくらいよほど悔しかったんでしょう」と述べている。

そもそも、国民に亡命しなければならないほど恐ろしい法律だと言いながら、成立した後ものうのうと日本にいて活動しているではないか。

法案反対のために、阿吽の呼吸みたいに調子合わせの〝のり″で言っていただけというのであれば、無責任の誹りを免れない。

国家の防衛、安全というのはがけであり、自衛官は「身をもって責務の完遂に務める」と宣誓もしている。国益絡みで動く世界では他国に頼らないのがベストであるが、そうは出来ないのでベターな同盟を選択している。

英国のパーマストン外相(子爵)は「英国には永遠の敵も友人もいない。唯あるのは国益のみである」と語っているし、フランスのシャルル・ドゴール大統領(将軍)は「同盟などというものは、双方の利害が対立すれば一夜で消える」と述べている。

日本の唯一の同盟国である米国の初代大統領ジョージ・ワシントンは「外国の純粋な行為を期待するほどの愚はない」という。日本は愚直に米国を信じ、また世界を信じて過ぎていないだろうか。

なぜならば、自己防衛の努力をなおざりにしているし、日本の安全のために憲法を改正しようという国民輿論も盛り上がってこないからである。国会審議をせずに「空回し」させる無責任野党の存在が最大の癌に違いない。


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