1950年に朝鮮半島で起きた、韓国と北朝鮮を当事国とする戦争である。
韓国では「韓国動乱」、北朝鮮では「祖国解放戦争」と呼ばれている。
第二次世界大戦終結後、日本はポツダム宣言に従って朝鮮半島の統治権を放棄することになった。その後直ちに朝鮮建国準備委員会が発足し、9月には「朝鮮人民共和国」として建国宣言がなされるなど、独立にむけて着々と準備がなされていった。(なお。この「朝鮮人民共和国」については、一部の有力者が建国宣言を否定するなど、半島内でも賛否両論があったようである。)
ところが、アメリカ・ソ連などを中心とした連合国軍はこれを認めず、北緯38度を境に南をアメリカが、北をソ連が(一時的に)占領することになった。分割占領後も、南北が統一された形での独立を模索するが、米ソのイデオロギー的対立に巻き込まれた朝鮮半島は、独立のチャンスを逃してしまう。また北部を占領していたソ連は、金日成(キム・イルソン)を中心とした抗日パルチザンを重用することで北部への影響力を強めていった。これにアメリカなどは反発。また、半島南部でも「もう南部だけでもいいから総選挙して独立すべし」という動きもあった。(当然それに反対する人々との対立も見られた。)その結果、1948年に朝鮮半島は大韓民国(韓国:8月15日成立)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮:9月9日成立)に分かれて独立することになった。
それから2年後の1950年6月25日、突如北朝鮮軍が国境を超えて韓国に攻め入った。突如とはいうもののそれ以前から周到な下準備をした上での奇襲であった。この奇襲によって起きた混乱に乗じ、数日後にはソウルを陥落させるなど北朝鮮軍の猛攻撃は続いていく。事態を重く見たアメリカなどの自由主義諸国は、直ちに国連軍を結成し韓国側に回った。しかしながら準備不足などのために国連軍は苦戦することになる。まず、アメリカ軍の先遣隊であるスミス支隊が烏山の戦いで北朝鮮軍に敗北した。更にアメリカ軍第24師団も大田を巡る戦いで北朝鮮軍第4師団に大敗し、韓国軍、国連軍は釜山(プサン)周辺まで追いつめられてしまう。
同年9月15日の仁川(インチョン)上陸作戦の成功を足掛かりに徐々に反撃に転じる。押され気味だった防衛線を徐々に北上させ、ソウルや平壌(ピョンヤン)といった主要都市を次々と奪回し、10月末には中朝国境地帯までラインを押し上げることに成功した。
「これで南北統一はもうすぐなされる」というところまでいったものの、ここで中国が参戦。北朝鮮側を支援するために、次々と人民解放軍を派遣することにより、再びラインが下がりはじめる。(中国では「志願兵を送った」という事になっているが、実際は人民解放軍が直接戦闘に加わっていたようである。)その後は一進一退の攻防が続いたが、次第に北緯38度線付近で膠着状態に陥るようになった。
そこで、南北間で休戦協定の話し合いの場を持つようになり、交渉の末、1953年7月27日に休戦協定が締結された。
この休戦協定は韓国政府・北朝鮮・中国義勇軍・国連軍の4者で話し合われた結果、韓国政府が署名を拒否。その結果、北朝鮮・中国義勇軍・国連軍のみでの休戦協定が締結された。そのため韓国と北朝鮮の間には休戦協定すら結ばれていない状態が続いている。つまり韓国と北朝鮮は現在も戦闘継続中である。
現在も北朝鮮・中国義勇軍・国連軍の間でのみ、この休戦協定は有効な協定として継続されている。
なお、韓国・北朝鮮間には講和条約は締結されていないため、国際法上では「朝鮮戦争は1953年の協定によって一時停止されただけで、戦争そのものはまだ続いているし、国際法上韓国・北朝鮮間では戦闘継続中である」とみなされている。
つまり、「(北朝鮮と休戦協定を結んでいる)在韓米軍(国連軍)が韓国国内から撤退すれば国際法的合法に戦闘再開できる」という事である。
2010年11月23日、北朝鮮が韓国の延坪島に50発砲弾を撃ちこみ、韓国が応戦した結果、韓国側兵士2人と民間人2人が死亡、兵士・住民20人が負傷する騒ぎになった。(韓国の応戦は80発)
また、60~70の家屋がこの砲撃で炎上した。
北朝鮮の砲弾によって、死傷者が出たのは休戦協定以来始めてのことである。
朝鮮戦争の特需が日本経済の回復の一つの要因となったのは歴史の教科書に載るような旧知の事実である。
しかしながら、日本人が戦場において直接的に朝鮮戦争に関わったとのはあまり知られていない、というか知らされていない。
藤島宇内と畑田重夫の共著である「現代朝鮮論」において以下の様なエピソードが紹介されている。
簡潔にまとめて紹介する。
以上のようなことが記述されている。
朝鮮戦争休戦60周年記念の式典において韓国政府は日本政府を招待しなかった。
朝鮮半島の中国の人民解放軍の抵抗に苦戦したマッカーサーは中国の満州地区への空爆、そしてそれに乗じた台湾の国民党政府の中国本土上陸作戦、さらには中国への原子爆弾の使用も検討していた。もちろんそれを行えば表面上は中立を守っていたソビエト連邦を刺激しソビエト連邦の宣戦布告、それによる第三次世界大戦も考えられた。(現にスターリンと毛沢東は中国本土へアメリカ軍が攻撃したらソ連が中国側につき宣戦するという密約を結んでいる)
それに激怒したトルーマンがマッカーサーを解任した事で中国本土への攻撃、さらには第三次世界大戦から世界は救われたのであった。