「一人を殺せば犯罪者だが、百万人を殺せば英雄だ。」
~ 殺人 について、殺人狂時代のチャールズ・チャップリン
「はじめに言っておくが私は岡田真澄などではない! 一人の死は悲劇だが、数百万人の死は統計上の数字に過ぎない。」
~ 殺人 について、ヨシフ・スターリン
「俺もお前の様に何百万も殺していれば英雄と呼ばれただろうに。」
~ 殺人 について、名も無き海賊の頭
殺人(さつじん)とは、地球全体にはびこり、その環境を破壊し尽くしている人間を駆除することにより、 現在進行している地球上のさまざまな問題(例:地球温暖化)の進行を食い止めることを目的とするボランティア活動である。
日本は他殺においては世界最低の水準だが、世界第4位の実力を誇る大量の集団自殺で貢献している。
多くの殺人を行なった優秀なボランティアには、裁判で死刑宣告を受ける権利が与えられ、こうしてまた一つ、人間が駆除されるのであった。 ぶぅるぅぁぁあああ、ジェノサイドブレイバー!!!!!!!!今死ね、すぐ死ね、骨まで砕けろぉう!!!これぞ我が奥義。。。かもね?
殺人は、今後は人口爆発により、更にその必要性が認められると思われる。しかし人間が人間を殺す事は、殺す側と殺される側の優劣や、またはその存在価値の面で「どちらが死んだ方がより効率が良いか」という点で揉める事がある。このため多くの社会では、殺す側と殺される側は、同等の権利を持っている(→人権)と考えられている事から、常に公平でなければ成らず、そこにフェアプレイの精神が持ち込まれている。よって、これからは権力の高い第三者に「どちらが死んだほうがより効率がよく、社会にとって最適であるか」を検討して貰う必要がありそうだ
これは特に、殺人者が殺害された場合に、殺害した側は罪を問われないという制度(→正当防衛)に顕著な理論であるが、これを更に進めたのがアメリカ合衆国の国防である。この姿勢によりアメリカ軍は、イラク人とアフガニスタン人を、より生産性の高いアメリカ人の犠牲者の数倍を上回る数を削減する事に成功している。
人間は、自らを殺害(→自殺)する事のできる数少ない動物(レミングは自分が死ぬかどうか解らず海で泳ぐので別)だが、日本ではこれにより年間3万人程度の総量削減に成功している。ただしこの自殺だが、より生産性の高い青年層~中年層の自殺傾向が増加し、生産性の皆無に等しい高齢者の自殺率が減少するなどしており、社会再生産の観点から問題視されている。
20世紀に入り、この素晴らしい行為を免許制にしようというトチ狂った国が現れた(→イギリス) この国ではOOエージェントと呼ばれる国家に認められた屠殺業者以外は狩猟法により殺人を許可されていない。 これに対して英国猟友会(IRA)は「娯楽の国有化だ」と抗議活動を続けている。
他にもいっぱいあるが書ききれない。なにしろこうしているうちに殺人が行われるのだから。