2011年温州市鉄道衝突脱線事故(2011ねんおんしゅうしてつどうしょうとつだっせんじこ)とは、中華人民共和国浙江省温州市の甬台温線(杭福深旅客専用線の一部)で、2011年7月23日20時34分頃(中国標準時)に発生した中国高速鉄道の衝突・脱線事故。死者40人。
2011年7月23日午後8時34分頃(現地時間=UTC+8)、浙江省杭州市杭州駅発福建省福州市福州南駅行きの高速鉄道D3115列車(CRH1B、編成番号:CRH1-046B。乗客1072名。定員は1299名)が、事故現場から32km南で落雷を受け動力を失い、事故現場となる温州市双嶼近くの高架橋上のトンネル手前で停車していたところに、現場北方から走行して来た北京市北京南駅発の福州駅行きのD301列車(CRH2E、編成番号:CRH2-139E。乗客558名。定員は630名)が追突した。
D301列車の先頭4両(最後尾のみ二等座車・その他は軟臥車)とD3115列車の15両目(一等座車)および16両目(一等座車・先頭車)が脱線、D301列車の先頭4両は、高さ20数メートルの高架から落下し、その内のD301列車第4号車は高架脇から垂直に宙づりになった。
中国鉄道部は、先行していたD3115列車(被追突側)が落雷により停電し動力を失ったことで、後続のD301列車(追突側)が追突したものであると発表している。また当時(8時頃)、福建省廈門市廈門駅発杭州駅行きの高速鉄道D3212列車に落雷し電気系統が故障して、D3212列車は事故現場から約5kmの場所で停車中であった。
一方で、本来のダイヤはD301列車(追突側)がD3115列車(被追突側)より先行することとなっており、本来のダイヤから列車順序が逆転していることから、列車運行の制御システムに重大な問題があった可能性が指摘されている。
また、追突されたD3115列車の運転士は、事故直前に鉄道省から「車両走行の停止」の指示を受け、それに従ったことを証言した。本人は走行の続行を主張したが、結局指示に従ったために車両を停止させたとのことで、人為的判断のミスも重なって起きたという見方も高まっている。
温家宝首相(当時)は原因究明を図る必要性を強調している。しかし、現地では既に事故車両の解体と埋め立てが進んでおり、事故の重要情報は失われつつある。
事故発生から2日後の25日午前8時、運行を再開させた。
事故発生から数日後、中国政府は事故の犠牲者1人の遺族に対し50万元の賠償金の支払いを決定。また、中国中央テレビ(CCTV)では、政府は賠償手続きに合意すれば「数万元の奨励金の追加」も行うと発表し、一部遺族は既に手続きを済ませて賠償金を受け取ったと報じた。賠償額の50万元は、中国では都市部市民の平均年収の25倍に当たり、事故の賠償金としては異例の高額であった。これに対し、遺族や中国のインターネット内では「安い」「高い」の双方で激しい批判が出ている。
また、事故に遭った車両は、7月27日時点で事故現場の高架下にすべて埋められ、残りの車両は中国鉄路の車両基地に搬送された。しかし、鉄道省の事故原因の報告以降、事故原因の究明は一切されていない。埋め立て作業開始となる生存者捜索打ち切り時に救助隊員の1人が反対し、1人で捜索を行い、事故から20時間後に2歳の女の子が救出されたと報じられたため、「埋め立ては早すぎる」「他に生存者がいるはずだ」「現代の焚書坑儒」という各方面からの批判が寄せられたが、結局捜索は打ち切られ、埋め立て作業に入ってしまった。
なおこの時、鉄道部は記者会見で「埋め立て処理した原因は、救助現場となっている高架橋の下が泥沼で、複雑な環境であり、救助をより良く行うためであって、あなた方が信じるか信じないかは勝手だが、私はこの説明を信じている」「このような大事故が世界中に知られた以上、鉄道事故そのものを隠蔽できるわけがない」と述べた。
埋め立て作業が完了した後に立ち入り禁止が解除され、直後に地元の警察や遺族、事故現場付近の住民らが現場跡に向かった。その後、遺族らは政府や鉄道省に対して刑事訴訟を起こす構えを見せている。
しかし、2011年7月26日には一度埋められた車両が再び掘り出され搬送された。これは当局が証拠隠滅と非難されたために行ったことであり、一部のメディアや評論家は「国内外の批難を速やかに収束させたいからおこなったのでは?」と評した。
2011年7月28日には、温家宝国務院総理が自ら事故現場を視察すると共に、病院で負傷者の見舞いを行った。温家宝首相は事故現場で記者会見を行い、「断固とした事故原因の真相究明」を約束した上で、「安全こそが第一に優先される」と安全問題に真摯に取り組むことを表明した。
同月25日、遺族約40人が温州市政府庁舎前で抗議活動を行った。
2011年12月28日、国務院は事故調査報告書を公表、関係者の処分を決めた。
同月31日、広東省の有力紙「南方都市報」が「このような悲惨な事故と、鉄道部の酷い事故処理に対しては、次の三文字の言葉しか思い付かない―『他媽的!(くそったれ!)』(面对如此惨烈的事情以及铁道部的糟糕处理,我们只想用三个字表达看法———他妈的!)」と中国当局を糾弾する記事を掲載、中国国内のインターネット上で賞賛の声が相次いでいる。
翌8月1日には、中国共産党の広報部門が、「新聞などのメディアが、脱線事故に関する報道をしてはならないとの命令を下した」と報道された。この事故に関して、「否定的な意見」が広まるのを、鉄道部や政府が恐れているからではないか?と示唆されている。
こういった事故後の中国国内での影響では、中国経済成長期の頃に育った中間所得者が主に主体的に動き出し、「新浪微博」等のミニブログサイト(「中国版Twitter」とも呼ばれる)を使った中国政府を激しく批難する“ネット反乱”が顕著に見られ、大規模なデモが起きる等、悪化の一途をたどった。また、中国国内での事故の報道規制に対しても、国内外の報道関係者がインターネットを使って反旗を翻しているため、温家宝総理は事故の真相の透明化と公表を行うことを、会見で急遽表明することとなった。