無意味なたわごと(むいみなたわごと)とは、元より価値の無いたわごとが、加えて意味をなさないものである。この言葉は二重に対象となる言質を否定している。
たわごと(戯言)というのは、元より価値が無い。これは戯れ(たわむれ)に発する言質であるためである。しかし内容によっては、例えたわごとでも他人の興味を惹いたり、或いは何等かの着想を生む事もあり、例え戯れに発した言葉でも、それを発した側が何等かの意思表示なり表現なりといった意図を持っていたり、或いは目的を持って発している以上、その中には意味を含む。
しかし「無意味な」という接頭詞がつく事で、それは価値どころかエントロピーを増大させる効果はあっても、誰かしかの役に立つ言葉ですらない。このため「無意味なたわごと」は、既に口から出た時点で、その存在する価値も無ければ、耳を傾ける価値も無く、そこから何等かの有為性を持つ情報を引き出すことも出来ない。
例としては、熱にうかされたうわごとや、言葉を覚えたての赤ちゃんの発言、あるいは狂信者の熱心な弁舌、また精神異常者の述べる真理、オタクのうんちく話、日本の選挙演説が挙げられる。
本来言語は意味を伝達するための道具であり、これの用に用いられない言葉が「無用なたわごと」であり、また文章の場合は「無用な駄文」などと呼ぶことが出来る。
無意味な戯言は、そもそも価値が無い。このため耳を傾ける必要も無い・読む必要も無いものである。
つまりは、本項の内容そのもののことである。