脳姦(のうかん)とは、脳に刺激を与えて快楽を得る行為。類義語に勉強、詰め込み教育などがある。
誤解されることが多いが、脳姦は頭蓋を開き脳に性器を挿入することではない。
そのような行為は、ただの殺人、傷害である。もはや性行為ではなく「姦」の名を冠するのに相応しくない。
主に脳の記憶を司る領域を用いて擬似的に性交を再現するのが、脳姦の正しい姿である。性交において、ヴァギナにペニスが挿入され、スペルマが注がれるように、脳姦においては、読書や講義によって海馬に知識や思想が注がれる。射精の量が多ければヴァギナからスペルマが溢れるように、詰め込んだ知識が多すぎると記憶から溢れ忘れてしまう。性交の後に着床が起こると子を授かるように、知識が定着するとそこから新たな発想を得ることができる。女から生まれる子供が女を犯した男に似るように、脳から生まれるアイデアは、脳を犯した思想に似るのである。
このように、脳姦は生命の創造に準ずる高尚な行為である。しかし、不適切な脳姦は思想を偏らせるので、多種多様な情報に犯されることが必要である。
性交との相違点 性交と脳姦の相違点は参加人数の制限にある。性交は二人によってのみ行えるものである。グループセックスを行う場合であっても、本質的に性交をするのは男女の一対のみである。しかしながら、脳姦は、一対一、一対多、多対多いずれの場合も可能である。それだけでなく、一人で脳姦を行うこともできる。一人で行う脳姦は、自習、自己研鑽などと呼ばれ、自己満足のためのオナニーであるとされる。
また、他者に見せられるかどうかという点にも大きな相違がある。性交は基本的に他者に見せるものではない。見られて興奮する人もいるが、そのような行為は、倫理的に非難される。しかし一方で、脳姦は他者に見られることが禁忌となる行為ではない。例えば、図書館では、自習を行っている学生を多く見ることができる。彼らは、まさにその瞬間、公衆の面前で、脳を犯し、犯されている。にもかかわらず、彼らはそれを恥ずかしがることはなく、見かけた方も「おっ、やってるな」程度の感想しか抱かない。眼前で性交に準ずる行為を行い、快楽を得ている者がいるにもかかわらず、だ。
教育と脳姦
教育とは脳姦である。日本では最低9年間は脳を犯されることが義務として定められている。年端もいかぬ子どもたちの脳に溢れんばかりの知識を注ぎ、思想という名の子種を植え付ける。さらに驚くべきことに、その犯され方の上手さは5段階ないし10段階で評価されるのだ。学校での脳姦は主に授業という一対多の形式で行われる。一人の教師が30〜40人を一斉に犯す。座学一斉脳姦である。
脳姦の快楽について懐疑的な人は多いだろう。過去に脳姦をしていたけれど快楽ではなく苦痛を感じるばかりだったという声はよく聞かれる。あるいは現在進行形で脳姦を苦痛に感じている人も多いのではないだろうか。それはあなたが体験した脳姦が強姦であったからである。合意のないまま無理矢理やられても感じないのは当然である。そういう方々にはぜひ和姦をしてほしい。自分の学びたいことについて学び、知識欲が満たされ、脳が犯されていく。大脳が疼き、受容器が開く感覚は快楽以外の何物でもない。脳姦の素晴らしさを理解できたならば、一度インターネットで「脳姦」と検索してみてほしい。新しい世界が広がっているはずだ。
子どもたち!脳姦はいいぞ!脳姦は楽しいぞ!