貧乏(びんぼう)(英語:poor)とは、お金で汚れていない清らかな状態(英語:pure)を表す。
貧乏とは、質素な食事を始めとし、節制を心がけた美しい思想である。お金に頼らないその思想は一種の仏教徒的なものを彷彿させ、穢れ無きその心は徹底的なまでに無駄を良しとしない。また、物欲に左右されないその精神は一種の涅槃の境地へと達した状態ともいえ、貧乏という思想の高潔さを如実に表している。
基本的に資産が少なく、お世辞にも裕福とは言い難い生活状態を貧乏と呼ぶ場合が多いがこれは誤りである。基本的に貧乏である人々はそもそも過度の資産を必要とせず、慎ましい暮らしを心がけている。交通費が無ければ歩き体力を付け、食べる物が無ければ野草を探し知識を蓄え、困難があれば己の知恵と勇気で乗り越える存在であり、人間の精神として一種の完成された存在なのである。
そもそも節制とは古代ギリシア語で「思慮の健全さ」という意味を持ち、紀元前の哲学者であるプラトンも自身の主著である『国家』にて節制(枢要徳)の重要性について述べている。四元徳と呼ばれる「知恵」「勇気」「節制」「正義」のうち、節制を極めたる貧乏は哲学としても優秀な思想であることを裏付けている。
金持ちとは、裕福という名の金銭欲にまみれた外道の事である。貧乏とは対照的に物欲などの欲に振り回され、節制の精神の逆を往く業の深い者たちであり、その穢れは救いがたく強欲で身を滅ぼすものも少なくない。その生活ぶりは非常に豪華なものであり、高級な料理、大きな家、広大な土地、華美な装飾など内容をあげるときりが無い。この不節制な生活はカトリックにおける大罪を犯すものであり、金持ちの罪深さが良く分かる例である。