雑草(ざつくさ)とは、想像上の植物。ウィキペディアンは、ウィキペディア上にこの架空の草が生えていると信じている。
「雑草呼ばわりされる記事は無い、朕の書いた記事は特に。」
~ 雑草 について、裕仁(昭和天皇)
「wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」
~ 雑草 について、2ちゃんねらー
雑草は仮想上の植物分類であり、雑である。全てが雑であるが、最も雑にして問題にされるべきは、この雑草が存在すると信じてやまない人の、その精神性である。
雑草と言う名の草は存在しない。また、古今東西の如何なる植物辞典・草木学の分類にも合致しない。しかし雑な精神の持ち主らは、この草が存在していると信じている。
雑草というものが考えられたのがいつかは定かではないが、少なくともアリストテレスがいた紀元前3世紀には考えられていたことが分かっている。アリストテレスは「万物の根源は『火』、『空気』、『水』、『土』、『雑草』である」と述べている。雑草という想像上の植物はそれ以前からあったことが分かっているが、特にアリストテレスの言で有名になった。アリストテレスによれば雑草というのは
と述べている。アリストテレスの5元素説はまもなく否定されたが、一躍有名になった雑草はその後も様々な文学作品などに登場している。
農耕社会が発達するにつれ、食用に適する実をつける一年生の植物を栽培するようになったが、この中でこれら食用植物以外の一年生の植物を指して雑草と呼び習わす傾向が発達、社会にもこれが伝播したと考えられる。
また、更に社会が豊かになった時代には、自身の価値観に沿う植物だけを、壁や柵で囲った庭と呼ばれる空間に植え、これを愛でる習慣を人間は身につけたが、この過程で自分の価値観に沿わない植物の繁茂を妨害する人為選択も盛んに行われ、この中で「雑草というメタ視」が定着していた模様だ。この傾向は現代でも見られ、草むしりという残酷で利己的なスポーツの発生も生んでいる。
日本には雑草という架空の植物が少なくとも平安時代には伝わっている。源氏物語では光源氏は雑草に例えられたし、また鎌倉時代の平家物語では、この世は雑草のように雑なものであるというのが基本理念となっている。
しかし昭和後期に著名な草木学者でもあった裕仁は、雑草の存在を公式に否定しており、日本にも雑草と言う草は無いことになっている。だがそれでも、雑な精神性の持ち主たち(特に巨人の上原浩治投手)は、この草が存在すると信じている。
日本語版ウィキペディアにおいて、ウィキペディアンたちはウィキペディア上に雑草が生えているとの妄想を抱いている。そして一切の堅苦しいことを望む彼らは、雑な存在である雑草を敵対視して、「雑草とり」と称してそれらを抜く(という妄想)を行っており、その弊害として多くのユーモラスな記述が除去されていることが問題となっている。
そもそもウィキペディアンたちが、なぜ日本語版に限ってこのような妄想を抱きだしたのかは定かではないが、堅苦しい文章にすることを至上の快感とする彼らが、この快感を追求してより堅苦しい文章を求めるあまり、Wikipedia上に「雑草」という概念を生み出してしまったとする説がある。なお彼らは、自分らの「雑草とり」という行為に、「雑草」という雑なものの名前をつけることに耐えられないらしく、名称の変更を検討している。