「見ろ、人がゴミのようだ!」
~ ゴミ について、ムスカ
ゴミ(塵、芥)とは人の皮を被った産業廃棄物および、それと同等に値する人間の事とされる。別称はクズ、または塵。
ある駄目人間がゴミかどうかはゴミには理解できない崇高、かつ明確な基準によって判断される。ただ、ゴミと言われる者は大半頭がおめでたいので、ゴミと聞いて『御美』などととんでもない脳内変換をし、自らが尊ばれていると勘違いしていたりする。『ゴミは所詮ゴミ、生きようが死のうがその存在価値がゼロ~マイナスから変わることはない』というのが従来の人間世界の常識だが、いくら価値がないとはいえ、ゴミをそのまま処分することは資源のムダ使いであるという主張もある。ゴミを処分する制度も、再利用する制度も不十分であり、またこの問題は殆ど知られていないというのが現状であるが、将来はゴミの脳にナノマシンをインプラントする、新しく開発した抑制剤を投与する、分泌される脳内物質を調整する、肝臓を売り飛ばすなどの多種多様な方法が試され、リサイクルが可能になるのかもしれない。
ゴミ出しに出されたゴミは各地方自治体や清掃業者の「ゴミ収集車」に押し込まれ、郊外のすこし大きい建物の中で始末され、そのあとのゴミの行方は誰も知らないことになっている。
資料によって様々な処分法が語られている。近年では「コンロ」と呼ばれる専用の焼却炉をつかう、精肉業者に依頼し解体、地中深くに埋める、溶かす、南雲機動部隊を出航させるなど多様化し、あらゆるニーズに対応できる。
ちなみに、ゴミに認定された人々はそれを恐れ逃げているが、プロの清掃業者には脱走ゴミの回収・処分を専門とするチームも存在すると言われる。しかし実際の現状は不明である。
社会に順応出来ず、また掃除屋たちでもさばききれなかったゴミは所かまわず捨てられるため、社会問題になっている。何故か捨てられる場所は大都市の鉄道駅周辺・公園・河川敷、捨てられる際はブルーシートにくるまれるといった共通の特徴が有り、おびただしいゴミどもで「景観が損なわれる」と言う苦情が各自治体に寄せられる。名古屋市が白川公園のゴミを、大阪市があいりん地区のゴミを行政処分として一斉撤去したことはニュースになるほどであった。その他の自治体にも毅然とした対応が望まれている状況である。コンビニのゴミ箱に生活ゴミを大量に持ってくる不法投棄者がいるが、そもそもなぜそこらに不法投棄してしまわないのか首を傾げられる事も。