スーパーファミコン(super famicom)は任天堂が開発したファミコンの進化したもの。超ファミコンと表記されることもある。同時発売ソフトは『超髭親父世界』。
任天堂が開発したファミコンが、表示や音源の処理速度など、自身の機能を大幅に向上させるために変身した状態のものをスーパーファミコンと呼ぶ。その存在は、公式に発見される以前から噂されており、ファミコン1000台につき1台の確率でスーパーファミコンに変身する素質のあるファミコンが生まれると伝説が残っていた。販売台数は日米合わせて約4000万台。つまり、伝説によるとファミコン1000台につき1台しかスーパーファミコンに変身できるものが生まれないので、約4000万台のスーパーファミコンを作るのに、約400億台のファミコンが作られたと言うことがわかる。またこのスーパーファミコンの誕生逸話を元に鳥山明はスーパーサイヤ人のアイデアを思いついたことは有名な話である。
ファミコンが赤と白を基調とした配色で全体的に角ばった外見をしていたのに対し、スーパーファミコンは全身をグレーで統一し、全体的にも丸みを帯びた形をとっている。全面には電源スイッチとリセットボタン、カセットロムの挿入口と取り出しボタンが備え付けられている点では、変身前のファミコンと同様の様相を示している。また、操縦コントローラーは変身前と同様、2つ付いているが取り外しが可能で、さらに専用の装置を用いることでプレイ人数を無限増に出来る。
また、時間が経つにつれて外側が黄色く変色するという特殊能力を持っている(標準装備)。
穏やかな売り上げ、社の存亡の危機、他者製品の機能への妬み、客離れに対する悲しみなどを元に覚醒することがある。スーパーファミコンの存在が初めて公式で確認されたのは1990年冬であるが、それまでにもその存在が噂されていたことから、ごくわずかに存在していたと考えられる。1990年に発見された当初は、当時にしてはハイスペックだったと言うこともあり人気を博したが、まだスーパーファミコンに覚醒できるファミコンは少なく、需要に供給が追いついていなかった。そのため、全国で品薄状態が続き、一部ではプレミア価格で販売されるなど、ちょっとした社会問題をもたらした。しかし、発見から数年経つと需要と供給のバランスもとれ一般的に普及を拡げていたが、プレイステーションやセガサターンなどの新たな敵が現れ、その人気にも陰りが見えてきた。そこで任天堂は巻き返しを狙って、自社ソフトの値下げや、スーパーファミコンが4000円安くなるクーポン券をソフトに同梱した。当時の任天堂の行動は消費者に対しては喜ばしいものではあったが、かつては伝説と呼ばれていた、スーパーファミコンの存在価値を下げるとして一部では避難された。当時、国民的アイドルであったベジータが「まるでスーパーファミコンのバーゲンンセールだな」などという非難の言葉を残していることからもスーパーファミコンの値下げに対して反対的な意見もあったことが伺える。
1990年
1991年
1992年
1993年
1994年
1995年
1996年
1997年以降