Dictionary

中二病

http://images.uncyc.org/ja/thumb/d/d0/Hiyoko.jpg/75px-Hiyoko.jpg秀逸な記事
この記事は秀逸な記事だよ。書いた本人とひよこ陛下が言うんだから間違いない。より素晴らしい記事にできるってんなら、してみやがってください。お願いしましたよ。

正式名称は、発症しやすいと言われている中学二年生からとった、中学二年生精神異常型非日常的思考可能化性症候群(ちゅうがくにねんせいせいしんいじょうがたひにちじょうてきしこうかのうかせいしょうこうぐん、英:EGTIPNRTS, Eighth-Grader's type of insanity possibility of non-routine thinking syndrome)とされており精神医学用語の一つとして使われているが、一般的には中二病(ちゅうにびょう)で定着している。また、厨二病と表記されることもある。

近代病と現代病

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嘉音ブレード

産業革命以降、19世紀と20世紀を経て、人類は近代の力により多くの恩恵を受けた。しかし同時に、都市に住む人々の間で忘れ去られてしまった物もある。

病状とお薬

近代の恩恵と病理

現代病

部族社会

宗教性

古典

言語学

生きる《意味》 文化の違いの中では〈意味〉の優先順位(プライオリティー)は下がる。『意味』は形式的な役割しかなくなる。つまり、1万円札を北極に持って行っても紙切れにしかならんのである。差異が少なければ、それだけ文化の親和性が高い。

寓話

歴史を問う事の意味

他のサイトでの現象

ウィキペディア

邪気眼

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現在、絶賛商品化!!

執筆に置いての注意点

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《資料収集》の結果、発見されたオーパーツである。

〈中二病〉という落書きを本気になって執筆している人々もいるが、無意味だといって削除する輩よりはマシだと言える。なお、彼等は《執筆》していると思ってるようだが、本質的には《資料収集》なのである。賢明なアンサンクロペディアンは、同じ構造に取り込まれないように注意しよう。観察や解釈に没頭してしまうと、解釈者自身も構造に取り込まれてしまい、一つの認識から抜け出せなくなる。客体化するはずの自らが主体化してしまうのである。この傾向は日本人に極めて多く、素人心理分析が蔓延してしまった事態を精神科医も憂慮している。社会学者、文化人類学者、神話学者、サブカルチャー研究者も『中二病』は自分達の研究分野であると主張しています。なお、心理学と社会学は、蛇と鳥の関係!!宿命のライヴァルなのだ。どうだ、まいったか。

参考になるのが自然神話説である。

と神話を手当り次第同じ解釈で理解しようとする試みである。2007年から見れば、かなり乱暴であるが、初期の神話学ではこのアプローチで頑張った。初期の神話学を『第一の神話学』と呼ぶ。『第二の神話学』は、かの有名な構造主義を生み出した。中二病の分析にも構造主義を使ってみるのが良いだろう。

中二病とは(社会分析)

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患者による宣言文。ご親切に直筆のサインまで入っている。

民族的に

修辞学(レトリック)と占い(フォーチュン)

中二病患者としての生き方とは

伊集院光の功罪

実際の対処

真の用法(取り扱い注意)

どうしても分からない人へ

どうやら、ここまで来てしまったようですね。ここは不毛の世界であり、ポスト構造主義もなく、ニヒリズムでもなく、自己言及でもなく、脱構築でもなく、なんでもない 。Yes。どん底まで堕ちた君だからこそ、生涯苦悩し続ける。選民だと勘違いしてないかね?君は普通の人間だよ。でも、どうしてこんなにも苦しいのですか? You are an idiot!あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!! 死ね死ね死ね、死んでしまえ!!! Uncyclopediaは紛い也にも百科事典です、そんな事書いてはいけない。何いい子ぶっているの? その通り。分かっている。だけど、なぜ百科事典という規定があるのか? 過去の偉人達の蓄積を甘く見てもらっては困る、そんな物は出尽くしてるのだよ。自己言及など芸術ではとっくに使われておるわ!!愚か者め! でも、ボクには未知の力が……。いつも旅立つのは少年だだだ。。。いつも、恋をするのは少女だ。。。死んだ方がマシだ、こんな苦しいなら。待ってよ。みんなこの苦しさに耐えてきたはずだ。やだやだやだ、やだやだやだだ。ヒステリックな女だ。魔女なんだよ。中世にもあった? どんな時代もあったはずだ→それは歴史を使って、自我を支えているのかい? これでは終わりがない。それが宗教だ。仏教の世界では六道を巡る。それでは答えを、しかし、声が止まないんだ。ボクは統合に失敗してるんだよ。近代の力で→学問ならきっと答えがある。文学なんて胡散臭いだけだろ、なんだよ心理学って? 園芸とか猫と遊べば、体を使ったコミュニケーションもあるはず。ボクが好きなのはなんだろう? 音楽や芸術も理由がないのに酔える。私は女の子なのに『ボク』を使ってる。それはアニムスですね。一方を答えれば、対も同時に答えた事になる。高い→低い、熱い→冷たい。だけど、平等さが欲しい。文字に書かないと嫌ですか? 既に心には伝わったはず。神秘は言葉では表せない。もう駄目だ。でも、安心した。ありがとう。だけど、寂しいな。痛いからそばに居たい。また、どこかで。人生は長い。気が合う人と会えるさ。残酷な神は今日も見つめている。安心して眠りなさい、ばか。ガニメデの兄妹は、四番目の向こう。子供だった男は大人の少年になった。こんなの可笑しいね。。。ははは痛いいい痛い痛いいいいい熱いあいい。そうだとしてもクヌギは二度と、病人を振り返らないだろう。だって、過ぎ去った物に、栄冠はないんだからね。

それでもやっぱりわからないどうしようもない君へ

―君は中ニ病の淵を覗き込みすぎたのだ。もう既に手遅れであったということだ。深遠なる淵を覗き込んだ時深遠なる淵もまた君を覗き込んでいたのだ。

―君は既に深遠なる淵の中を彷徨い始めていたのだ。君が選ぶことのできる運命は3つある。このまま冥府魔道に入って邪気眼使いとして生きる道、もしくは黒歴史を紡ぐ者として呪われたまま生きる道、そして最後に過去の一切合財を封印し今すぐこの項目を閉じてただの人間のフリをして生きる道。どれを選ぶのも君の勝手だしここで朽ち果てるのも君の勝手だ。しかしどの道を選んでも相応の試練はいつか訪れるだろう。これだけは変えられぬ宿命なのだ。さらば、若者。君の歩む道は君が決めるのだ。その道が例え修羅の道であろうとも、どんなに長い長い道であろうとも途中で決して振り返ったり座り込んではならない。その時君は完全に飲み込まれるだろう。決して振り返らず、決して歩みを止めずに選んだ道を歩め。その先にはどのようなものかはわからないがエンディングが待っているだろう。そのエンディングはきっと君の長い長い物語の終焉を告げる。そのエンディングはきっと君が引きずっている鎖も断ち切ってくれる。しかし、エンディングが終わった後、君がどうなるかは誰にもわからないのだ。そこで物語は終端かもしれないし、続編があるかもしれない。続編があったならば更なる運命の分岐点が存在するかもしれないし、もっと混沌とした世界へぶち当たるかもしれない。それだけは誰にもわからない。わからないからこそ、人は歩み、歩んだあとは道になるのだ。君がどの道を選ぶかは自由だが、これだけは覚えていてほしい事がある。「土に根を下ろし、風と共に生きよう。種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう。」人はどんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんの可哀想なロボットを操っても、土から離れては生きられない。さもなくば、玉座はたちまち墓へと成り変わるだろう。

共通性から見いだす構造

-主体 ⇔ 客体-日常 ⇔ 非日常-太陽 ⇔ 太陰-右翼 ⇔ 左翼
-発言者 ⇔ 観察者-情報 ⇔ 現実-日 ⇔ 月-男 ⇔ 女
-告白 ⇔ 指摘-記号 ⇔ 実体-規則 ⇔ 陶酔-若者 ⇔ 老人
-無関心 ⇔ 自意識-自然体 ⇔ 演技-ルール ⇔ トランス-大人 ⇔ 子供

裏中二病

中二病には、普遍化を引き起こし、観察者を取り込んでしまう性質がある。つまり「何でも中二病に見えちまう」訳だな。見方によっては神経症と同じである。この事から、精神病も、神経症も、一般人も程度の差があるだけで本質は同じだ、と考え、重要なのは文化や神話に置ける《差異》である! としたのが『第二の神話学』の成果である。

で、あるからして、裏中二病の人は真面目すぎるのである。『中二病』には普遍化して取り込む性質があるのだから、何でも中二病に見えてしまうのは当然と言えば当然だ。デカルトでも読んでおけ。「我思う、ゆえに我あり」だ。

ちなみに中二病関係の項目はほぼ例外なく裏中二病・または中二病を指摘して満足感に浸る所謂高二病の患者によって編集されているのが定説である。そしてこのページを始めとする中二病関係の項目の文章量の多さから分かる通り、インターネット上ではかなり大きい勢力になっているのだ。

なお、一部で下記の高二病と同一視される向きもある。

高二病

中二病回復期の者に発症する。主な症状として急に中二病が痛々しい、恥ずかしいものと感じ取り急に作品を意味もなく痛々しく叩いたり(無理な蔑称を多々利用したりする等)、現実で普通になろうという傾向等傍目から見たら中二病患者に対するアンチ野郎と思われたが、研究を進めると共に中二病と相反するも特徴が酷似してる事が解明され、中二病の発展系と結論された。

この状態が長々と続くと知らず知らずに中二病に感染・再感染したり、中二病に負けず劣らずなレベルにまで痛々しくなったりする。詳細は高二病を参照のこと。


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