住所不定・無職(じゅうしょふていむしょく)とは、肩書きの一つである。
無職だが住所がある人間は、引きこもり、ニート、パラサイトシングルなど多勢いるが、その中でも、住所さえ失ったという大業を成し遂げた人物に、この肩書きは付与される。
この肩書きが与える影響力は凄まじく、低学歴や多少ブランクのある人間でも雇われるような、あらゆる底辺の仕事からも10割の確率で不採用の通知を受ける。名門大学を出て、多くの人脈をつくり、コミュニケーション能力に優れた超人が、倍率の極めて高い一流企業から100%の確率で採用されるのと同じようなものである。また、住所不定の四文字の凄まじさに、人事担当の面接官は恐れおののいて「お願いですから帰って下さい」と懇願するなど、圧迫面接で就職活動中の学生を散々苦しめる居丈高な面接官ですら畏怖してしまう。それほど凄まじい肩書きなのだ。
近年では、長引く不況や相次ぐ非正規労働者の解雇などにより、この肩書きを手に入れることは格段に容易になっているが、それでも普通の人間には簡単に手に入るものではない。司法書士や行政書士の資格よりも取得することが難しく、手に入れるためには人生の全てを捨てる覚悟で挑まなければならないとさえ言われる。
また、取得の為には、国の法律を逸脱した行動を取らなければならないこともある。住所不定・無職の称号を持つものの内、3割程度は何らかの犯罪歴を持っている。犯罪を犯してでも手に入れたい称号、それが住所不定・無職である。
この称号を手に入れる何よりのメリットは、失うものが何もなくなるという一点につきる。
人間が共同体において違法行為を逡巡する理由は、名誉や信頼など、違法行為を犯したことによって失うものを恐れるからである。しかし、この称号を手に入れたものに、失うものは何もない。この称号を手に入れるために、その他の全てを捨ててきたからである。
そのため、世間体やら規律やら、一般人らが拘束される煩わしい鎖に苛立たされることもない。この世で一番自由な存在なのだ。
また、ゴミ箱を漁る、道端や駅の地下にダンボールを敷き、その上で寝るなど、普通の人間が行えば嘲笑や嫌悪の対象とされるような行為も、住所不定・無職の肩書きを持つ人間がすれば、「住所不定無職だから仕方ないね」と許してもらえる。住所不定・無職の取得によって、「許される範囲」は大きく拡張される。
そして、住民税や固定資産税などを搾取されることがなくなる。このため、まじめに働いて稼いだ金を国に没収される絶望を味わわずに済む。
このようにメリットの多い肩書きだけあって嫉妬や敵意を向けられることも少なくない。住所不定・無職の肩書きを持った人間は、しばしばフラストレーションのたまった素行の悪い中学生・高校生などから暴行され、死亡することがある。暴行の動機の根底にあるのは勿論、「住所不定・無職」という特権階級に近い肩書きに対する嫉妬である。
あと、夜寒いのでよく凍死する。そしてプライバシーが全くない。しかし、失うものが何もなくなるメリットに比べれば、大したことはない。
要するに諸刃の剣。
ウィキペディアにも住所不定無職という記事があるが、ウィキペディアに存在するのはハローワークで結成された同名のインディーズ出身のロックバンドの記事である。要はウィキペディアにとって住所不定無職という概念はないと思われており、ロックバンドのようにクレイジーな存在として認められているのだ。つまりウィキペディアの記述を参照すれば日本には何十万人もの音楽家たちがいると考えられるが、全員がギターを持っているとはとてもではないが思えないので、せいぜいエアギター民がmiyocoなみのシャウトを奏でる程度であろう。