築地(つきじ)は、東京都中央区の地名。東京地下鉄日比谷線の築地駅と、都営地下鉄大江戸線の築地市場駅がある。日本のみならず世界有数の東京都中央卸売市場築地市場があることで知られている。この地に立って目をつぶると、ターレットと呼ばれる次世代型車を運転するおじさんたちの怒号(バカヤロー、危ねーぞ。死にたいのか!!、等)、普段は気付く事のないであろう発泡スチロールの悪臭、この世のものとは思われないほど大量の死んだ魚のニオイ、ゴム長をはいて朝早くから働くおじさんたちの汗のニオイが、優しくあなたを迎え入れていることに気づくだろう。
この東京都中央卸売市場築地市場は魚屋だけが密集する区域ではない。野菜を専門に扱う寂れたエリアもあれば、金物屋、鰹節屋、文房具屋、お土産屋、そして日本第一号店の吉野家を筆頭とする数多くのレストランがある。また、魚や野菜を冷凍保存するためにある巨大な倉庫もあれば初めて築地へ訪れる人のために築地歴史資料館もある。
波除神社に讃えられている神をを唯一無二の絶対神として崇め、この神社をお参りしてから築地で働くおじさんたちの一日の仕事が始まる。築地において、最も有名な一角と言える魚介類コーナーでは1階、2階…、とフロア分けされている。1階はもちろん魚屋が日々魚を売って利益を上げる場所になるが、2階は主に「魚屋のための魚屋」、【築地七大大卸】が事務所を構える。1階の魚屋は店に並べているほとんどの魚介類ををこの七大大卸から魚を仕入れている。
日本料理の権威である〇場六三郎を始め、様々な有名料理屋も日々築地を利用する。
東京で銀座と言えば知らぬもののない大繁華街である。三越・松屋・松坂屋といった老舗百貨店はもとより、シャネル・プラダ・グッチ・エルメスといったブランド・ショップが並び立つ。当然ながら今をときめくサラリーマンやOLが街を闊歩し、華やかでオシャレないでたちで決めているのを目の当たりにするだろう。もちろん年配者も負けていない。頭をぼんぼりのてんこ盛りにしたかのようなバーのママ、髪をパープルに染めた歌舞伎座帰りのおばはん、どう見てもありったけの金をぶちまけて買ったかのような派手だけど品のない柄物を必死に着こなすはとバスツアー田舎出の集団・・・いずれも銀座の街で「勝ち組」に上り詰めるための勝負服に身を包んでいる人々である。こうした勢いに恐れをなしてかアキバで無敵のあつかましさを誇るオタク軍団の諸氏は銀座には立ち入ろうとしない。オタクアレルギーの人にはもってこいの街、それが銀座である。
しかしこの虚栄心剥き出しの銀座の中で、ひときわ存在感のある一群の人々がいる。ギンギラギンの銀座では色彩的には余り目立たず、地味な存在であるかもしれないが、赤銅色に染まったその逞しい腕、張り上げる大きく響く声、そして喜んで労働にいそしむ快活な姿は忘れがたいものがある。その人々とはもちろん言うまでもなく東銀座近辺をシマとする「築地市場」からやって来るおじさんたちである。銃刀法違反に確実に引っかかるようなダンピラを持ち、マグロを背負い、カニをわしづかみにし、ぬるぬるしたウナギと格闘し、命がけでロシアンルーレットのようにフグの毒見をし、シー・シェパードやグリーン・ピースといったヤクザ者からクジラを守る、これらおじさんたちの活躍がなければ、銀座は一瞬にして「ろくな食べ物」も食べられない貧民街に転落するのである。銀座の食卓は彼らによって牽引されており、これら築地のおじさんたちは、高級食材の配達者として尊敬を受ける高い地位を占めている。東京がフランスはパリを抜いて、ミシュランの星の数で世界一に輝いた2008年には、銀座で最もステイタスの高い職業として認知されるようになったのである。
三ツ星レストランのシェフと築地のおじさんとではどちらがエラいかというのは、非常に難しい問題だが、シェフがいなくても築地おじさんは生活できるが、築地おじさんがいなければシェフの生活はお手上げ、ということで、星つきシェフより築地おじさんの方が高位のヒエラルキーに位置づけられるらしい。こうしたおじさんたちの活躍を銀座界隈で毎日のように見ているのが子供たちである。銀座でも名門の小学校として知られる泰明小学校では全生徒の9割が「大きくなったら築地のおじさんのように前掛けしてゴム長はいてマグロを運びたいです」と「自分の将来の夢」を語ったそうである。この結果には学校当局者のみならず、文部科学省の役人たちもあわてふためき、ゆとり教育のみならず、人間にとって教育とは何なのかまで遡って考える必要があると、日本における教育制度の全面的な見直しが模索されているらしい。
こんなにも銀座の人々に慕われ、親しまれている築地のおじさんたちであるが、こうした銀座の事情を知らずに「銀ブラ」などいっちょまえにしに来た頭の悪そうなカップルとかが、おじさんたちが甲斐甲斐しく働いているのを尻目に「銀座の雰囲気ぶち壊しよ、いやね」など言うと、おじさんたちはその場ではそ知らぬ顔をしているが、ピーッツと口笛を吹くや、仲間同士ですみやかに連絡を取り合い、カップルらが街角を曲がったあたりで、解体した魚介類の生ゴミをぶちまける、そしてあたふたしたカップルを、黒いビニール袋につめこんでマグロの冷凍庫に置き去りにするらしい。
そうでなくても銀座は築地おじさんたちに急所を掴まれた状態なので、彼らの怒りを買って兵糧攻めにされないよう銀座の関係者は常に低姿勢でいるらしい。かつて銀座の商店街関係者がおごり高ぶって築地を見下し、築地のおじさんたちをけんもほろろに追い出そうとして、おじさんたちが激怒して報復した事件があった。銀座は夜が遅いが、築地は朝が早い。丑三つ時に準備をし終えたおじさんたちは、まだ暗い早朝の晴海通りを西に突っ切って、銀座四丁目の交差点に雲霞のように集結すると、市場を自由自在に移動するターレと呼ばれる荷物専用車を総動員して銀座界隈を進軍、一糸乱れぬ隊列で冷凍マグロをぶちまけると、マグロを引っ掛けるカギ棒で刃向かう敵を打ち据えたというのである。それ以来、銀座関係者は築地関係者に頭が上がらないのだそうである。1960年代末のこの銀座の騒乱に際し、築地の卵焼き屋の兄弟、アニー伊藤とテリー伊藤が参加してしていたことで知られる。どうやらテリー伊藤の斜視はこの時の名誉の負傷であるらしい。