Windows NT(ウィンドウズ ンティー)とは、Microsoft(ミクロソフト)社が開発していた世界最大級のOSの名称である。やがて訪れるニュータイプ時代の到来を見据え、高機能な未来のOSとして設計された。このコンセプトはある程度成功し、その後Microsoft社OSのメインラインはNT系列で一本化された。
以下に、Windows NTのリリースまでの顛末を記す。
コマンドで中の人に命令を送るMS-DOSの成功に気を良くしたMicrosoft社は、AppleやUNIXどもを出し抜きあまねく世界のOSシェア占有を決意。32ビットのOS/2をIBMと共同開発すると見せかけておいて、これを分投げ、古い資産やクラックウェア、エロゲの動く、NEETまたはワーキングプア用の低品質なマウスが使える様になったDOS用のハリボテ(Windows)と、空前絶後のスケールを誇るニュータイプ向けのOS/2とUNIXのマルチコピー(Windows NT)の2つの開発ラインを設けた。
開発ラインが別とはいえ、お互いの互換性は保ち、更にニュータイプ候補や種を割る人たち、月の住民などが不思議な操作をしても混乱しないくらいの堅牢性も備えなくてはならない。Windows NTの開発にあたってこうした難題をビル・ゲイツ氏から課されたデヴィッド・カトラー氏は、逢引場所である邪教の館で「んーと、んーと」とあわあわ困ったという。
やっちゃえ主義かつ豪快な性格で知られるデヴィッド・カトラー氏を萌え化させたこのプロジェクトの成果物は、後に「Windows NT」と名付けられた。これは、ターゲットである「NewType」の頭文字を取ったとも、当時の技術を結集した「NewTechnology」の略だとも、「んーと」の音を取って「NT」としたともいわれる。しかし「NT」が何の略なのかについて、Microsoft社は今日に至るまで公式に発言をしていない。
ターゲットがニュータイプであることからも「NewType」説が一般的である(起動スクリーンに「NewTechnology」とボールドで書かれているが、真実は常に隠されるものである)。この説を裏付ける形で、この時期にMicrosoft社がバンダイ社(現:バンダイナムコ)と提携を図る動きがあった、といわれている。以下に証言をまとめる。(ただし、後継OS Windows 2000では「Built on NT Technology」となっている。こうなると「New Technology Technology」と重複してしまうため(明らかにNTTウケ狙い)、「New Technology」説は99%正しいとは言えないっちゃ、言えないわな。)
これはサンノゼ付近のバーで飲んだくれていた「自称・NT開発チーム在籍者」から聴いた与太話であり、頭の固い方の辞典に書ける程度の信憑性すら無いことを追記しておく。
以下に、Windows NTの初代バージョンをリリース直後およびその後の展開について記す。
宣伝と資金繰りの為、開発秘話を「闘うプログラマー - ビル・ゲイツの野望を担った男たち」という書籍にして発売。プロジェクトX的なストーリーと逸話(リリース間近になるとスタッフ達には満足に食事をとる時間すらなく、そこらにあったドッグフードを分け合って食べた等)の数々に、多くの読者が涙した。
反応
ニュータイプ向けOSはハイエンド仕様であり、市場シェアに照らし合わせるとシステム管理者やネットワーク管理者に使用されるべきOSである。その為、高性能かつ小難しい御託付きの機能満載の、ワークステーション用途のOSとしてリリースされた。
このOSは本来のターゲットであるニュータイプやニュータイプ候補生からの食い付きは悪かったが、ベンダや広告の口車に乗せられてWeb公開サーバをWindows NT+IISで動かそうとした「わが社はIT化にすべてを掛ける!!」系社長に重宝された。「社長、これからはサーバも見栄えと操作性ですよ!」「これはWindowsですがゲームが動かず、従業員が仕事のフリしてサボることもありません!」といった謳い文句に心を打たれたのである。
そうした社長の部下は、NT 4.0の困った安定度とIISの致命的なバグの数々に悩まされ、多くは真っ白に燃え尽きた。この試練を打ち勝った者も、蓄積した知識を「NT 4.0の時代はなあ」と説教の材料程度にしか使えず、利用者には有意義な成果を残せなかった。 本来はニュータイプとして覚醒することによって様々な障害を事前に回避できる機能を持ったOSであったが、(特にWindows NT 4.0の)システムとしての不安定性・未熟さも伴い、市場シェアの爆発的な広がりに比べて覚醒者はほぼ皆無であった。
影響
Windowsユーザの大半であったクライアント系OSのユーザは、そもそもWindows NTに関心を抱かなかった。しかし、彼らにとって全く影響が無かったわけではない。
SGI(Sillicon Graphic Industory)社はUNIXベースのOSでのみワークステーションをリリースしていたが、突如Windows NTを採用した廉価版ワークステーション「O2」をリリースした。また、名立たる映像現場で現在も使用されているハイエンドの3Dグラフィックソフト「Maya」もWindows NT版がリリースされた。この様に、Windows NTは数々のプロ御用達の環境をWindowsプラットフォームに引き寄せた、と言うことができる。 また、自宅DTP派が望んでやまなかった組版ソフトのQuarkXPressのWindows版もNTでのみリリースされ、クライアント系OSのユーザはPageMakerを使いながら呪詛の言葉を呟いた。こうした流れは、NTユーザとクライアント系ユーザの確執を生み出した(後述)。
Windows NT以後
クライアント系とは別個に進化を続けていたNTシリーズは、NT系列のOSによって人類のステージを上昇させる計画のメインラインとして期待される様になり、開発に本腰を入れられることとなった。クライアント系をWindows Me(Millenium Edition)で打ち切り、その後はWindows NT系OSに統一していくと発表したのである。
この発表に驚いたユーザも多かったが、そもそもそこらにある起動ファイルに「FORMAT C:」と書いて再起動するとシステムが終わる様な代物がいつまでものさばって良い筈が無い。加えて、NEET向けにゲームをリリースしていた各種ソフト会社も、「雫」「終ノ空」「ジサツのための101の方法」などの神の信号を含んだNEETのニュータイプ向けゲームの新作・リニューアル版開発を発表した為、NEETの間でも不満は少なかった。
当初のWindowsにおけるニュータイプと一般人の確執は、(先の業務系ソフトウェアの様に)プラットフォーム自体ではなくソフトウェアのリリース計画によってもたらされたものであった。その為、NT系列への一本化によりこの確執は回避され、僕らは目指したShangri-Laが実現すると思われた。富野由悠季も笑顔で余生を過ごせるのでは、と期待されていた。
しかし、旧システムからの乗り換えを「面倒だから」と拒むWindows 98信者やWindows Me信者とNT系利用者の間で、新たな確執が生まれている。旧システムユーザは怠惰にもサポートの延長権を無理矢理勝ち取り、WindowsNT 6.0であるWindows Vistaが登場した2007年においても確執は続いている。富野由悠季の怒りが収まることはなさそうだ。
以下に、製品名に「Windows NT」を含むもののバージョン遍歴を列挙する。 製品名にWindows NTを含まない「Windows 2000」以降のOSについては、個々の記事を参照されたい。
Windows NT 3.1
Windows NT 3.5
Windows NT 3.51
Windows NT 4.0