モンドセレクション最高金賞受賞 | |
うんこはベルギー連邦に本部を置く、製品の技術的水準を審査する 国際評価機関モンドセレクションの厳正な審査により、最高金賞を受賞しました。 この優秀品質賞は完全に独立した専門家によってその高品質を表彰するラベルであり、 消費者ならび生産者にとって様々なメリットのある賞と認識されております。 |
「まぁ、イケるじゃん、糞」
~ うんこ について、マイケル・ジャクソン
「うんこ食ってる時にカレーの話すんな!」
~ うんこ について、野原ひろし
「おれがどくのは道にウンコが落ちてる時だけだぜ!」
~ うんこ について、ジョセフ・ジョースター
「うんこのかれーおいしいね」
~ うんこ について、鹿目まどか
うんことは、あらゆる食べ物の最終形態であり、肛門を内側から開ける事ができる唯一の存在である。 そして苦い。「ちんこ」「まんこ」と並んで「世界三大●んこ」のひとつに数えられている。やや品の悪い表現としてクソという言い方も普及している。更に現在、世界では稀な表意文字である漢字に"うんこ"という意味を含んだ"糞"という漢字が存在しており、古代の中国人にもうんこは認識されていたのである。関西では「ババ」ともいい、そのため小学校では馬場君は、とにかく本当に、物凄くイジメを受けやすい。また馬場さんだったらもっと悲惨。年間の自殺者統計で馬場姓が多いという事実も、確たる所以かと思われる。彼らを救う神などおらず、この呪いは末代まで続くことであろう。しかし、だからといって馬場さんは決して蔑まれるものではない、ジャイアント馬場とかジャイアント馬場とかジャイアント馬場とかロバート馬場とかとにかく馬場姓はエライ人がいっぱい。学研都市である高田馬場だって偉大な存在である。また、うんこは小学生の人気No.1に輝く単語である。このことは昔も今も、そして未来も永遠に変わることのない事実である。
世界経済の発展に伴ってうんこ生産量(特に人糞生産量)は急速に増加している。特に中国やインドにおけるうんこ生産量の増加は驚異的なものがあり、「中国人がうんこを気張ると日本の便所が詰まる」と言われるほど国際社会に大きな影響を与えている。なぜ、うんこ生産量が増えているのか、 「人間が戦争をすることが少なくなり、飢饉などが起こりにくくなった。なので、人間が食べ物をたくさん食べるようになったからだ。」と、某大学のうんこ研究家が提言した。
中国ではうんこ生産量を抑えるべく、一人一日当たりのうんこ生産量を一本までに制限した「一本糞政策」が強力に推進されているが、監視の目をすり抜けるために便所に流されなかった「闇っ糞」の存在が指摘されており「一本糞政策は中国国内をうんこ臭くしただけ」との厳しい声も聞かれる。その一方、ビー玉うんこ(下記参照)何度も出てきた雲固省の農民は思いにあまってそのうんこを、ネックレスとして隠し、それが中国全土で大流行。「19世紀にしてうんこの新たな道がここに極まった。」のフレーズはその年の流行語大賞。カップヌードルのCMにも使われた。
「金のある場所にうんこあり」と言われる通り、大都市はうんこで溢れている。マカオや香港などはその高いうんこ密度で国際的に有名である。またモナコやシンガポール、ヴァチカンなどの小国もうんこ密度が高くなる傾向にある。ヴァチカンでは、故・ローマ法王(享年3.1415926535・・・才)によって「うんこ構造改革」を国民に無理やり押し付け、巨額のうんこドル(U$)を得たとされる。
この傾向に反して、東京中心部のうんこ密度は実は意外に高くないのだが、これは東京の周辺部に自宅を持つ人々が自宅で排便を済ませてから東京へやってくるためで、東京周辺部の都市は「東京のうんこタウン」の愛称で親しまれている。
また、中世のヨーロッパでは、自分のうんことしっこをブレンドしたものを窓から通りに投げ捨てるといった習慣があり、通りはうんこまみれであった。そのためポケーッと歩いているとシャワーを浴びてしまうので、傘を常に持ち歩く必要があった。後の日傘である。 主に「ピョッチー」の愛称で踏んだり蹴ったりにされた。 マジうんこ。
うんことカレーはその良く似た見た目から共に人々に好まれている。「うんこ味のカレー」と「カレー味のうんこ」などは子供からお年寄りまで幅広く人気があり、今夜の晩ご飯をどちらにするかという選択は常に究極の選択として人々の心を惑わせ続けている。但し注意しなければならないのは、「カレー味のうんこ」は厳密にはカレーではないので、家族や友人、恋人からカレーのリクエストを受けている時に誤って饗してしまうと人間関係の重大な危機に繋がる恐れがある、ということである。また、「うんこ味のカレー」の方はまあカレーなのでもしかしたら美味いうんこならそれほど抵抗はないのかもしれない。しかし、どちらを選択したとしてもうんこを食べたという感覚からは逃れられないのでその点については留意する必要がある。小学校の給食の際に、先に食べ終えた児童がまだ食事中の他の児童に向かって「うんこうんこ」と連発する古典的な嫌がらせは日本全国の小学校にあっていまだに細々引き継がれている。
最近注目すべきことは、うんこを聞き間違えてウコンだと思っている人が多いことである。薬屋の店先などで「ウコンの力」などと記載されていることがあるが、名称は間違えると何の力も発揮しないので気をつけなければならない。正しくは「うんこの力」である。
伝統的に疾病の治癒へうんこが活用されている国に限らず、日本や欧米においても食糞は大衆文化となっている。
たとえば映画文化の中心である米国ハリウッドでは、インスピレーションに富んだ名作が年々生み出されている。こうした作品が世界的名声を得ると、得てして監督に次回作のオファーが押し寄せるものである。しかし既にスタッフロール中に拍手喝采、めでたく完結してしまった作品を延長するとなるとかなりの苦痛をともなう“強制”が必要である。
意を決した監督はまず、過去に高い評価を受けた映画を食い散らかしたり反芻することで栄養を摂取。続いて仮眠をとったり小旅行に出かけたりするなどして消化させ、ようやくメディアに登場。「出るぞ、出るぞ」とテレビ・インターネットを豪快に駆使した派手なPRをしつつ、試写会と称して舞台の上でこれ見よがしに力強く脱糞。やや残便感はあるものの、バックで湯気を立てている当該排泄物について監督は晴れやかな表情で「世界中の人々に夢と希望を与える最良の作品であってほしい」とコメントするというのが形骸化している。こうして産出されたものは最初の作品より見劣りすることが多いが、多くの映画ファンの腹におさまる。稀に前作より賞賛の声が大きい場合があり、さらなるオファーに対して同様に一連の排泄行為が繰り返されることがある。しかし強制は痛みを伴うものであり、監督が便秘症を患ってしまったり、うんこの提供がハイペースなために消化が追いつかなくなり、思い切り肛門を拡張させながら尻すぼみしていくことがほとんどである。
うんことソフトクリームは、カレー同様その良く似た見た目から共に人々に好まれている。日本の山梨県には、ク・ソフトという文字通りの商品に毎日行列が出来るほど人気のあるソフトクリーム店が存在する。(言わずもがな、ク・ソフトは山梨県の名産であり、最も消費が激しい食べ物である) 地域によってはマキグ・ソフトとも呼ばれる。
縄文時代からこの方、日本列島内には『うんこ』を『うんち』という種族が一定の勢力を持っており、諍いが耐えることがない。特に歴史上名高いのは、天台宗の最澄と法相宗の会津徳一による『うんこ・うんち権実論争』であるが、論争に決着がつく前に二人とも遷化してしまったので、最澄の弟子たちが一方的にうんこに軍配を上げてしまった。そのため現在はうんこの方が普及しているのである。
しかしうんち派は草の根活動によって生きながらえてきており、うんこ派が油断している隙にうんち派女史が画策してジャン・フェクサスの書物を『うんち大全』の標題で出版してしまった事件は記憶に新しい。
さらに近年NHK教育にて放送されたアニメ「電脳コイル」において、主人公の妹をうんち派の人物として設定したうえ、作品内で『うんち』という単語を一つの言語として昇華させている。 これは視聴者層である現代っ子たちにうんち派への転向を促す大きなきっかけになりうるだろう。
また少数派だがある一派が主張するにはうんちとうんこは固さによってその呼び名を使い分けられるべき物で、程よく水分を保った物をうんち、それよりやや固めでころころとした物をうんこと呼ぶという事だ。しかし、日夜新生児の排泄物の研究に余念がない花王(メリーズ)では、やわらかいうんこを「ゆるゆるうんち」などと名づけたことから、「うんち」自体は軟便を意味していないとも読み取れる。ところがこの名称は「『うんち』よりもさらに軟らかいうんちである」というディテールを表現したものであるとも考えることができ、とりたてて書く必要のない事項であったことが導き出される。
強度に着目した名称は上記のほか、固くてごつごつした水分の含まれていない物を「うんご」、にょろっとしてややうんちよりも水分の含まれている物を「うんにょ」、ほとんど水分によって構成される下痢において出るような物を「うんぴ」などがある。
近年の技術開発が目覚しく、牛丼屋などに脱糞法(うんこを肛門からたくさん出す原理)を応用し擬似肛門から丼の中に飯を盛り込む装置が普及してきた。従来ソフトクリームなどはこの原理を使用していたが、どうしても軟便の状態であるため、定量を盛り込むための自動化が至難であった。しかし、飯の場合はウン良くうんこに近い状態であるため自動化に成功し、ファーストフード店に普及しつつある。
日本語の中には「お前は糞だ。」などと人の特徴を端的にあらわす表現技法があり、擬人法の対義語として擬糞法と呼ばれる。また、うんこになってしまった人間に対し「糞野郎」「糞女」といった呼称が頻繁に用いられている。このことは、目の前にうんこが現れた場合にどの点からセクシャリティを読み取れば良いのか、という技術的な問題を生んだ。しかし本来、うんこというものは男女どちらか、またはその他の性をもった者が生産したものであるにもかかわらず「性別はない」とされてきたものである。こうした性質から、ジェンダーフリーの新たなシンボルとして目されている。
日本は世界有数のオノマトペ大国であり、もちろんうんこ音に関しても豊富なうんこオノマトペが発達してきた。うんこ音は単体で用いられる古典的うんこ表現以外にも、複数のうんこ音を組み合わせ、うんこ状態の変化をより的確に表現する近代的うんこ表現が用いられる事も多い。さらに、昨今のインターネットの普及・発達により、それらを組み合わせた現代的うんこ表現が確立されつつあると言われ、型に囚われない、自由奔放な新しいうんこオノマトペの発見が相次いで報告されている。
ブリブリ
ブリッ!
ブバッ!
ムリムリ
モリモリ
ミリミリ
ネリネリ
プリプリ
ブビビビ
ブピピッ!
ブバババッ
ジュワジュワ
ブリュッ
ビシャッ
ドップァン
ビチビチ
まりまり
プゥッ
ポチョン
ブボボ(`;ω;´)モワッ
ブッチッパ!!
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・
ドカーンシュルシュルシュルズボッ
古くから農民は「野壺」と言ううんこを貯めた落とし穴を掘り、その穴に誰かが落ちるのを見てほくそ笑っていた。
最近のバイオテクノロジーでは、近代野壺で発生するうんこカスを天日に干し、汚泥ケーキと言うお菓子を製造しているが、人間が食べると「頭がポーン」になるので要注意である。(..;)クッサー
「Egachan Gallery」の読みについて、近代うんこ学の父・雲国斎(うん・くにさい)博士の孫に当たる雲国誠(うん・くにせい)博士により「元はうんこを専門に取り扱ううんこ学の辞典を意味する『うんEgachan Gallery』から取られ、これが訛って『Egachan Gallery』になった可能性がある。」との指摘がなされ、論争を呼んだ。現在、越党派の研究者達により大規模な調査プロジェクトが発足し、活発な国際共同検証活動が行われている。