ノーベル経済学賞(のーべるけいざいがくしょう)とは、ノーベル賞の一部門である。
ここではノーベル経済学賞の変遷を述べる。
もともとノーベル経済学賞は、アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞と呼ばれ、スウェーデン国立銀行が出資するノーベル財団とは無関係の賞であった。設立はノーベル財団ができた後とされ、設立の目的は、賄賂で汚れていないノーベルの遺言を忠実に守る賞を作りたいという銀行員の願いだった。銀行員は役員に掛け合い銀行でノーベル賞のような賞を作ってくれとお願いすると、気前のいい役員が銀行設立300年という節目にかこつけてこの賞を作ってしまった。何故経済学賞かといえば、銀行がこの賞を管理していたからである。設立後は銀行の役員により受賞者が決められた。受賞者によってこの賞が宣伝されると皆からすごいといわれ「経済学のノーベル賞」として、アカデミー賞のようにノーベル財団とは関係のないところで皆から愛される賞となっていった。
そのことに強い不満を持っていたノーベル財団は、「ノーベルの名を冠する賞はすべて私たちが管理する。」となんとかアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞を買収し、ノーベル財団が管理するノーベル経済学賞にするために暗躍することになった。まず財団はアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞の受賞者に圧力をかけ、受賞を辞退させたあと賄賂を贈り密告を防いだ。これにより毎年辞退者が出る賞になってしまった。そして、財団の意向に従わぬものは[ ぴー ]をされることとなった。そのような異常事態が数年続き、賞の価値はどんどん下がってしまった。そこからは、選考委員の役員を金で買収して、受賞者選考者を財団の手中に収めてから銀行に「これからは私たちの方でノーベル経済学賞として管理していくのでそこのところよろしくお願いします。」と明らかに従わなかったら殺されそうな顔でお願いに行き、銀行にほぼ無理やり了承を取った。提案した銀行員と設立した気前のいい役員だけは強く反対したが、圧力により銀行を解雇されその後は[ お察し下さい。]もしも銀行がこの意見に逆らっていればいくら国立銀行であっても廃業を余儀なくされていただろう。
そして、ノーベル経済学賞受賞者を選考する権利を、ノーベル財団が掌握することとなった。そしてその権利と圧力を使って、アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞を辞退させた人をノーベル経済学賞に片っ端から本来受賞した年に受賞した事とし、過去のアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞受賞者もアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞を放棄することを交換条件に、同年にノーベル経済学賞を受賞した事にしてノーベル経済学賞受賞と同等の権利を与えた。また今までのアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞が載っている雑誌や新聞を廃棄し、広告でノーベル経済学賞の宣伝をすることで民衆も洗脳した。財団はアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞の痕跡すら消し去ろうとしたのである。そして、それは成功した。こうしてアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞は消滅しノーベル経済学賞として転生することとなった。
ベルンハルト・クリューガー1945年受賞
フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハイエク1974年受賞
ミルトン・フリードマン 1976年受賞
ロバート・ルーカス 1995年受賞
ロバート・ムガベ 1998年受賞
いとうみきお 2001年受賞
キーボードクラッシャー 2007年受賞
金正恩・朴南基 2009年受賞
ロン・ポール 2012年受賞
ディミトリス・アブラモプロス 2013年受賞
この賞は経済学者にとって最高の勲章として有名になった。しかし、受賞は経済学者に限らないので経済や経済学に大きな影響を与えることができれば、たとえ政治家やデイトレーダーであっても受賞の可能性がある門戸の広い賞である。
また、この賞はあの銀行員の願いもむなしく、賄賂や圧力によって受賞者が決まることが非常に多い賞になってしまった。ノーベル経済学賞にアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞時代の面影は全く残っていない。
そして今現在、かつてこの賞がアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン銀行賞と呼ばれ、スウェーデン国立銀行が管理していたことを知る者は、一部の学者を除きほとんどいない。そしてその事実を公表すると財団により[ ぴー ]されることとなるだろう。