ラーメン革命(--かくめい)とは、今日のラーメンの異常な発展、およびそれに便乗する形で地方公共団体が観光資源として大々的に地域ごとアピールした結果、異常な価格高騰などを引き起こした社会問題である。
水戸光麺公の毒見係が日本において初めてラーメンを口にして以来、ラーメンは急速に全国へ伝来、同時にさまざまな流派が生まれた。札幌、喜多方、博多などの都市が、三大ラーメン聖地である。また、竹岡式ラーメンのように、地域単位の独自化ではなく、店独自の成長を遂げた店も全国にある。特に店独自の発展を遂げたラーメンなどは、名水を使用したり、高級食材を使用するなど、客の求めていない付加価値を装甲の如く装備し、店の親父の自尊心と共に進化をし続け、ある日誰かが気付いたころにはラーメンは庶民には近づき難い全くの別の食べ物となっていた。
店の店主の性格、人種、気合の入れ具合などでどの店も二つとして同じ味はないものの、どれもこれも既存のラーメンの概念を破ったものであり、見る前と食べる前には斎戒沐浴し、禊を済ませた上、挑戦して欲しい。
ちなみに、そういった店に入店するには成人であることが必須である、「食べ残す、うるさい、味が分かるはずが無い。」ので子供は門前払いである。
2008年12月に、惜しまれつつも閉店した、千葉県佐倉の、「ガンジーラーメン」は、ラーメン革命の先頭を切った店として名高い。
店主はマハトマ・ガンジーを熱狂的に崇拝しており、どうにかガンジーと、ラーメンを合体させられないかと苦心した結果、ラーメンに唐揚げを入れるという暴挙をしでかしてしまった、ラーメンを温める熱源には大気圏突入した隕石を使用し、スープの温度を200sjまで上げることに成功、ドンブリの上で革命に燃えるガンジーの気概を表現することに成功した。
ちなみに、200sjとは、松岡修造がシジミとテニスについて語るときの温度の200倍という意味である。
他にも、店主の作るものは奇抜なネーミングで知られる、もちろん作ると言ったら、ラーメンに留まらず、子作りでさえも例外ではない。
など、全て彼の3人の子供の名前である。ここまでくると世間からはDQNネームと言われるだろうが、彼に常識は通用しない。
しかし、今日の革命家を謳うラーメン屋と決定的にガンジーラーメンが違う所は、単純にうまかったという所である。閉店が惜しまれるのも当然である。
現在、様々な麺類の中で、ラーメンは特別扱いを受けている、初めは夕方の情報番組のネタに詰まっていたテレビ局のスタッフが、少々売れている店に目を付け、ただの偏屈じじいが経営している堅苦しい店を情報番組内で「味の追求に一生を捧げる頑固爺!!」や「絶品!!」などのセリフを連呼。連呼。ひたすらに連呼し、番組内で珍来のチェーン店でしかラーメンを食べたことの無さそうなおねえちゃん方に「いままでに食べた中で一番おいしい!」などと言わせるパターンはとっくに使い古されている。
第一、お姉ちゃん方のその年齢で一体何軒ラーメン屋を廻ったことがあるのだ?という質問はタブーとされている。
まぁそんなこともあってか、全国各地のラーメン屋のこだわり(笑)を解説したラーメン本なるものまで登場、大方の内容は全国のラーメンの具材や偏屈オヤジの自称こだわりなどを書き記しているもので、あたかもラーメンが高級な料理であることを強調したような文面であふれかえっている。
しかし、あまりに全国中でラーメンを観光の目玉に出したことにより、客からはラーメンというものが別段目新しく思えぬようになってしまい、観光の目玉としてラーメンを出すこと自体がマンネリ化してしまう結果となった。
人気が上がるにつれて、ラーメン屋の店主は傲慢になり、わざわざ店の入口をにじり口にし、客が入店するのにわざわざ這いつくばらんばかりにするなど、客に対して一種のいじめとも思える決まりを押し付けることもある、しかし、そのような「ツン」があっても、うまいのならこの味にありつくための試練とし、しぶしぶ良しとするのが人情というものであるが、そういった店の味は大抵中の下と言った味である、「デレ」すらないのである。
しかし、そこで店主に文句を言ったところで「お前が味を理解できないからだ!」と突っぱねられ、食事前に言おうものなら、食券を先に買おうと煮卵をトッピングとして買おうと即刻店の奥から屈強な男たちが現れ、あなたはついでにタコ殴りにされ、つまみ出されてしまうだろう。
もちろん返金は無しである、身ぐるみ剥がされなかっただけいいと思うべきである。