愛液(あいえき)は語るに語りつくせない作用によって発生する、奇跡。または怪奇現象の一つ。
はじめは無色無臭、納豆のような糸をひく。
人体の限られた一部分から出現するという説、市販で得られる健康ドリンクにすぎないという説、はたまたナントカのナントカ分ではないのかといった珍説など、我国の学会では平安の昔から現代に至るまで、対立が絶えない。本項は現段階で過半を占めている前者の説にしたがって述べる。
余談であるが、どこでも学会というのは暇人の共同体。
実験に臨む者は、自身を大変な巧者であるとか、歓んでくれている証しだとか、いちいち非科学な勘違いしないこと。
時と場合、つまりは日々の体調や食事、気候や湿度、そして体質の個々人差に左右されているのであり、奇跡や怪奇といえども一定の科学法則に束縛されている。
徐々に泡(あぶく)が多くなって白濁し、さらに糸をひかないものへと変化するケースが多数、観察されている。変な匂いすら、生じることがあるらしいことも報告されている。
最初は奇跡だと思えても、けっきょく怪奇にみえてくる。ここで研究に飽きたり白けてしまっては「アカデミック根性」がないとされる。
慎重で繊細で入念な拭き取り作業が求められる。この作業を怠る、省く、ないがしろにする、あるいは「ゲームだったんだよ」と捨て科白を吐く、そうした実験をしたならば、次ぎの奇跡が訪れないことは火を見るよりも確実に明らかである。
最悪の場合は近くにいた人から罵声をあびたり殴打されたり、ゲームだった云々に至っては冷たくて熱くて尖ったもので刺されたりと、怪奇どころか命に関るので注意が肝要である。