「法律にも…穴はあるんだよな…」
~ 法律 について、VIPPER
「法の締め付けはキツキツでサイコー」
~ 法律 について、VIPPER
「法律に縛られたい」
~ 法律 について、VIPPER
「ちょっと法律犯してくる」
~ 法律 について、VIPPER
法律(ほうりつ)とは、野放しにしておくと平気で地球さえも食い荒らしかねないほど蛮勇を奮う、自制の聞かない愚昧な人間どもにリミッターを掛けるべく施されるボンデージである。このボンデージを着ずに外をほっつき歩くと公衆わいせつ罪で逮捕される。
ボンデージだが、何故か紙で出来ている。紙なんかでは人間を束縛できないのではないかという疑念も浮上しているが、現実にはしっかり拘束具として効力を発揮しているのがまた不思議なところである。紙に書かれている暗号に恐るべき神通力が込められているのかもしれない。まあいずれにしろ、国家権力を含むあらゆる人間、組織は、基本的にこのボンデージを装着している人間を罰する事ができないが、「暗黙の了解」という裏技を駆使して不意打ちを食らわせ、落とし穴に嵌めることもできる。一方で、ボンデージを明らかに着ていない、スッポンポンであるにも関らず罰せられない人間もいる。世の中間違ってる。
法律は守られなければならない。法律に反することによって人は、牢屋にぶち込まれ、世間から家族ぐるみで迫害されることのある一方、法律に反したが故にヒーローになることもあり、要はその人の人徳がものをいうのだ。
法律とは人を監禁したり、いたぶったり、殺したり、食べ物を食べさせなかったり、家から追い出させたりすることである。一般には、このようなことをされる理由の箇条書きの方を法律と呼ぶ人が多いが、「法」の核は「追跡と嫌がらせ」である。ジャイアニズムここにあり、である。
無論、善人には、法を執行することなどできないが、人間においては全く問題にはならない。 人間はかなり頭が悪いため、「法を作るも施行するも人である」ということが全く理解できない。 顔の見えない制定は鵜呑みにするという習性があるため、彼らは法の名の下少数の人間に脅され、かなりの数の悪人に「法」を執行される可能性があることをあっさり受け入れてしまう。 そして最後は法を施行する悪者と、法と縄張り争いをしていた悪者が結託し、人間社会を地獄の猛火に放り込むのである。
「法がなければ混乱あるのみ」というのは権力を持った悪人の主張である。善人には自分をこずく人間が変わる以外の影響はない。
法律の制定作業は、主に、陳情を受けた政治家が「こういうことやりたいから、考えて」ってな具合に官僚へ丸投げして、時給に換算すると酷いことになる給料をもらいつつも天下りの夢を見る官僚たちが色々調べることから始まる。そして官僚による草案の作成が終了すると、与党の委員会で吊るし上げられたりしながらも、小さな寄り合い(内閣)が我が物顔で提案し、でっかい寄り合い(国会)で可決され、官報っていう誰も読まない新聞に載っけられることによって、その効力を生じる。ひとたび法律が施行されれば、「おい国民、お前ら法の不知は許さないよ」っていう高圧的権威主義的態度をもって官庁や裁判所で運用される。すなわち法律は国政の根拠であり、国は法律がなければ動いてはいけないのである(法律による行政の原理)。こうした国家を法治国家という。対義語は放置国家。
法治国家において法律の遵守は国民の義務であるため、国民はすべての法律を記憶しておかなくてはならない。しかし実際に全法律を一字一句噛み砕きながら読破するには、人生を捧げるほどの覚悟が必要である。さらに、追い討ちをかけるように法律が日々更新されていくことを考慮すれば、これを断念せざるを得ないと考えるのは当然である。ところがこれは「法の不知は許さない」という原則に背いていることになる。この矛盾こそ、「国民をふるいにかける」という立法の真意を示しているのである。
法律とは飽くまで、高潔な国民の内面(倫理や道徳など)を言語化・視覚化したものである。したがって高潔な国民であれば、読むことなしに全ての法律を遵守するはずである。よって、この原理が働くことで国民は峻別される。すなわち下賤なる法律違反者をはじき出しつつ、高潔な国民の血脈を保存するということが可能なのである。また、処罰の対象とならない少年らについては高潔な公務員らによって「内申点」を用いた見極めを行っており、今後は新たな教科として「法律」を加えるといった教育法令の改正も期待されている。
法律は堅苦しい文章で書かれている。それっぽく思わせるためである。かつては読みにくい文章、しかし、大正レトロでファンキーな文章で書かれていた。何せ、民法や刑法といった普段の生活に大きく関わるかもしれない法律でさえカタカナで書かれていたんだから。現在ではそれらもひらがな表記になったが、会社法のように文章を難化して例外を増やしまくった法律が山のように誕生している。だから、一読しただけでは、何が書いてあるのか分からない。それなのに「法律を守りましょう」などと言われている。高潔な国民の身の安全を確保するためには、高潔でない国民の法律に対する理解も必要である。守らせたかったらもう少し平易な文章(俺でも理解できる文章)で書くことが求められよう。ただし守らないと死刑になることもあるので、なるべく法律の内容は理解しておいたほうが身のためである。ほんと、ムショは地獄だぜ。
なお、法律は膨大な数にのぼるが、ほとんどは使い捨てである。一般的に制定されてから数十年で法律は失効する。これを時効という。たとえば未成年者飲酒禁止法は制定されたから半世紀以上を経ており、いまでは失効しているため、未成年でも酒を飲むことが一般化している。新入生歓迎コンパで「いえ、ボク未成年ですから…」といって飲酒を断れば、凄惨な入部・入会拒否措置が発動される。先輩の酒は、注がれたら飲む。それなのに、酒を呑んだら「メンバー」とかいう肩書きをつけられて謹慎処分ってどういうことなのよ。そういうとき、大人は決まって「未成年者の飲酒は法律で禁止されている」と同趣旨の発言を繰り返す。ウソだといってよバーニィ。これは、国家の謀略なんじゃないかと思う。
法律にはランクがあり、上位の法と下位の法が対立内容のときは、上位のほうが優先する。だったら下位の法も最初から上位の法に合わせとけや!
ランクを以下に示す。
「汝の意志するところを行え。これこそ<法>のすべてとならん。」
~ 法律 について、アレイスター・クロウリー
日本における代表的な法律を掲げる。