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自己責任(じこせきにん)とは、
このご都合主義そのものである呪文の発明者は不詳であるが、古くから魔法使いの多い欧米で使用されていたと言われている。
長らくはこの理論が表舞台に出ることは無かったが、自由主義経済と株式売買が普及する中、まず証券会社が、一般人の株の売買の前にこの呪文を唱えることを求めるようになり、これを期に呪文は一般人の目に触れるものとなった。
ただし、株を売買するのは所詮拝金主義者だけであるとの信仰が広く一般に認められていたので、一億総中流と呼ばれた日本での浸透は20世紀末まで待たなければならなかった。
ご存知の通りインターネットの普及とともに、2ちゃんねるをはじめとした数々の掲示板が乱立したが、そのほとんどが書き込みの際この呪文を必ず唱えることを一種の暗黙の了解としていた。あらゆる社会問題を自分と無関係な他人事へと変身させてしまう便利なこの呪文はネットの上で大変に便利なものだったからである。
この現象により日本でも爆発的にこの呪文が知れ渡り、そして瞬く間に浸透していった。次第にインターネット上だけでなく日常生活においても使用されるようになるが、これを推進したのはホリエモンおよびそのゆかいな仲間たちであり、彼らの裏工作によってこの呪文は流行語大賞を受賞したとも一部では噂されている。
多くの優良企業もこの言葉を便利な呪文として援用しており、例えば社員が過労が原因で死んだり自殺したりしても、「本人の健康管理の問題」という自己責任論を援用する事で、控訴リスクを激減させることが出来る。
現在ではこの呪文を毎朝唱えることが当然となった者が多くなったためか、著作権法違反を中心に犯罪件数は右肩上がりで急増しており、今後も増加するだろうと予想されている。また日本の児童の学力が低下したのも、ゆとり教育の成果ではなく、児童がこの呪文を唱えて勉強する意欲を放棄したからであると一部では指摘されている。
自己責任の呪文はあくまで、都合の悪い状況を全て「誰それの自己責任」に変化させるための対処療法であり、必ずしも使い勝手の良いものでは無く、時には自分自身にバックファイアすることすらあった。
こうした中で生まれた自己責任論は、単体の呪文(例えばメラ系統など)をさらに発展させたものであり、自称自由の国アメリカで基本的な理論が生み出されたとされる。
この基本理論を忠実に守った模範例としては鉛筆の取扱説明書があり、鉛筆業界だけではなくその他の各界からも評価が高い。しかしこの基本理論は、実際に自己責任において行動する余地の大きいアメリカだからこそ通用する内容も少なくなく、全世界的に普及させるには問題が多かった。実際、諸外国の研究者によっていくつかの致命的な欠陥が発見され、魔法理論の完成および日本での普及はやはり21世紀まで待たなければならなかった。
そしてこの魔法理論は21世紀初頭に小泉純一郎が完成させ、「自己責任論」として発表された。当時為政者であった彼は自ら進んでこの魔法理論を実践し、友人の政治家や官僚などにも推奨した。その結果、彼の周囲にいた敵は次々と倒れたことから分かるように、この魔法理論の力は極めて強大なもので魔法少女などでも到底手に負えないものである。
実際に、小泉純一郎の次に為政者となった安倍晋三はこの魔法理論を日本中で実践して美しい国を建国しようとしたが失敗したことはよく知られている。なお原因はこの魔法理論において最も重要な部分である責任という文字を二文字から一文字に縮めて効率化を図ろうとしたためだとされている。
なお小泉純一郎はこの魔法理論を広く普及させるために当時まだ珍しいメールマガジンを使用して読者からの質問や疑問に答えながら紹介する形式をとった。この取り組みはマスコミでも取り上げられ、さらにその魔法理論も繰り返し放送されたために彼が想定した以上に普及は早く進んだ。
現在では地方自治体の生活保護担当者の間でホームレスや貧乏人、フリーター、派遣社員、ニート、ひきこもり、その他障害者などを追っ払うためにこの魔法理論を応用した対応が実践され、社会福祉費用削減に大きく貢献しているという。一方で狡猾な弱者はこの自己責任論でさえも上手い事援用して自分の食い扶持に繋ぐ命綱として活用している。というか、そこまで頭が回るんなら、それはもう弱者じゃない。
そしてEgachan Galleryなどでは呪文と魔法理論をさらに応用し、従来行われてきた責任のたらい回しに終止符が打たれ責任を容易に押し付けることが出来るようになり、さらに連帯責任を負う必要がなくなったために多くの利用者から喜ばれていると発表されている。それが糠喜びであることは言うまでもない。
呪文を唱えるときは声高に、魔法理論ならこっそりと使用することによりその効果がより発揮される。例えば呪文の場合なら、事前にできるだけ多くの人々を集める。テレビカメラを持ち合わせたマスコミも集めることが出来れば尚良いだろう。
魔法理論を使って何かしらの責任回避を文書で行う場合は、内容を無味乾燥で難解にするか曖昧にするとよい。膨大な注釈や例外、カタカナ語を混ぜたり、小さい文字を使用すると尚良い。なお、以上の方法を全て使用した具体例には法律と呼ばれるものがあり、一度参照することを推奨する。
この呪文や魔法理論は、最近の若者を中心に自分らしい生き方をするための手段として認知され、ある時には勉学や仕事といった精神的ストレスの回避手段となり、またある時はネットゲームやオンラインチャットといった娯楽時間を確保するためにも使われ、また自宅警備員が現状を自虐を含めつつも肯定するためにも唱えられているため、おおむね評価は高いといえるだろう。
また、政治家、投資家、経営者、管理者などを中心に、特に魔法理論のほうへの反響が大きいと伝えられており、今後労働者等の使い捨て合法化、理不尽な投稿ブロックを推進するための指針などへの応用が期待されていることから、やはり評価は極めて高い。
日本国憲法第18条 第25条 を自己責任の魔法理論で冒涜し続けると、カウンター魔法理論として 日本国憲法第31条 冒涜OKというモヒカンも真っ青な世紀末になる危険性が高まると危惧されている。