鬼(おに)は、古代から中世にかけて、人間と地上の覇権をかけて争った日本の魔神。
容姿および生態は人間に酷似するが、総じて頭部に複数本の角が存在するため、人間との識別は容易である。また、人間における白人と黒人のそれ以上に、鬼においては種による外見的特徴・身体的能力が有意に異なり、童話で語られるような虎柄パンツ・金棒の赤鬼から、一見では人間と区別ができないような鬼まで様々である。しかし大小はあれど、全体として人間を遥かに上回る筋力と寿命を持ち、また種によっては身体変異や念動力などの特異な能力をも併せ持つ。
かなり古い記録にまで存在が確認されているものの、具体的にいつから存在したのかまでは判っておらず、学者によっては、人類が日本列島に渡り来る前からこの地に住んでいた先住民ではないかという者もいる。しかし、発掘された骨などからわずかながらタンパク質が検出され、人類とはまったく違う遺伝子が発見されたことから、人類の先祖とは全く違う生物から進化した可能性がある。
人間と鬼との関係は、戦争の歴史とも言い換えることができる。その歴史は古く、およそ紀元前300年前後の孝霊天皇の代には人間軍と鬼軍との衝突が起こっており(鬼住山の戦い)、少なくとも欠史八代以前から人間族と鬼族とは対立関係にあったことが窺える。鬼族は長寿ゆえに絶対数こそ多くなかったものの、人間を遥かに凌駕する生物としてのスペックを持って、長らくこれを圧倒していた。
鬼側から見た戦争の史料が一切現存しないため、歴史に残る史料はほぼ全て「人間軍が鬼軍を下した記録」に絞られ、公平性に欠くという見方も少なからず存在するが、それらの史料のほとんどが「鬼側が人間側を圧倒していた」ことを示していることから、全体としては鬼軍が優勢であったと考えられている。
鬼住山の戦いは、史書に従う限りでは最古の人鬼戦争である。孝霊天皇の皇子・鶯王を総大将とする人間軍は、大牛蟹・乙牛蟹兄弟率いる鬼住山の鬼軍を撃滅すべく、鬼の館を見下ろせる笹苞山頂に陣を敷いた。しかし地の利は如何ともし難く、緒戦で鶯王は討ち取られ、人間軍は一時的に恐慌状態にまで陥る。しかし、大矢口命が乙牛蟹を狙撃し討死させたことで彼我の指揮差は逆転、更には孝霊天皇が自ら出陣、幻術兵法を連続で発動させたことにより鬼軍は壊走した。
現代日本において最も広く知られている人鬼戦争としては、鬼ヶ島の戦いが挙げられる。童話「桃太郎」はこの鬼ヶ島の戦いを一般向けの平易な記述に直したものであるが、内容そのものがほぼノンフィクションに近い事実であることはほとんど知られていない。
「桃太郎」の序文に「昔々あるところに、お爺さんとお婆さんが住んでいました」とあるが、ここで「あるところ」とは当時の隠語で皇居を指しており、「お爺さんとお婆さん」とは孝霊天皇夫妻そのものである。「お爺さんは山へ芝狩りに」「お婆さんは川へ洗濯に」は一般向けに直された箇所であるが、おおよそ「夫は夫の仕事に」「妻は妻の仕事に」という意味であり、お婆さんの仕事先で流れてきた大きな桃とは、すなわち孝霊天皇の夫人が外に出た際に民衆から贈られた大きな霊桃であった。桃は縁起の良い食べ物とされており、その規格外なサイズには庶民も「これは何か良い事があるに違いない」と考え、天皇夫人へ贈ったとされている。この霊桃には若返りの効果が備わっており、天皇夫妻はそれを食べた事で若き日の姿を取り戻している。孝霊天皇の寿命が128年という驚異的なものであった事も、この霊桃による若返りが事実であるのを裏付けている。
若返った天皇夫妻の間に生まれた皇子こそ、「桃太郎」こと吉備津彦命である。彼は霊桃の効果か神の血か、鬼に匹敵する強大な力と動物との会話能力という天性のスキルを持っており、彼等の力を借りて鬼ヶ島の鬼を退治する。鬼退治の話はほぼ「桃太郎」に記される通りであるが、実際にはイヌ、サル、キジは記された三匹をリーダーに据えたそれぞれの大軍勢であり、一人と三匹で鬼退治を成した訳ではないことは留意しておくべきである。しかし、吉備津彦命本人も何十匹との鬼を一人でなぎ倒すリアル無双な活躍を見せたのは事実であり、彼が日本最高峰の英雄であることは間違いない。
上記の二戦のような人間族勝利の報もあったものの、その後のおおよそ1000年以上の間、鬼族が人間族を圧倒し続けていた。平安の時代、人間族の首都たる京の都にあっても、夜間の家外は人外魔境の跋扈する世界であった。
これが一転するのが西暦1000年の前後である。長らく鬼軍の指揮を執っていた当時の総大将、最強の鬼と謳われた酒呑童子が、大江山にて源頼光率いる討伐軍の奇襲を受けて討ち取られたのであった。この戦で鬼軍は辛うじて逃げ延びた茨木童子を除いて全滅、鬼にとって初めてに近い歴史的な大敗となった。続いて、酒呑童子の後を継いだ茨木童子が羅城門の戦い、一条戻り橋の戦いで渡辺綱に腕を斬られ、戦線離脱を余儀なくされる。更に頼光達は、次いで鬼軍と同盟関係にあって戦の伝令を兼ねていた土蜘蛛の一派を掃討し、京の都の周辺にあった鬼側のネットワークを完全に叩き潰した。同時、それに呼応した陰陽師達による巨大な結界が決定打となって、鬼軍は都への橋頭堡を失い、軍を退くことになったのである。当時は安倍晴明、蘆屋道満といった名立たる陰陽師達が一堂に会した黄金時代にあって、総大将二人を立て続けに失った鬼軍では太刀打ちができなかった。
酒呑童子・茨木童子を欠いた鬼軍は軍の立て直しを図るもままならず、連携が取れないまま各地で敗走を重ねた。戸隠山の戦いで紅葉が討ち取られ、兎田の戦いで百々目鬼が敗走すると、情勢は決定的となった。酒呑童子以降の数百年は俗に鬼族の衰退期ともされ、鬼族の血統のほとんどはこの時期に途絶え、生き残った鬼達もそのほとんどが地底に潜り(地獄とも)、地上から鬼の姿が消えることになった。
鬼は総じて誇り高い戦闘種族であり、戦わずして人間に降伏するものはほとんど無かったが、中には戦いを忌み嫌って隠遁生活を送る者や、人間に興味を持って人里に下り暮らした者もいた。そうした者達が人間族との間に子を成した例が幾つも存在し、平安以降の鬼族衰退期に滅んだとされる一族の中にも、人間族に血脈を残したものが少なからずあったと見られる。
ほとんどの無力な人間にとって鬼は唾棄すべき敵であったが、逆に戦闘種族である鬼にとって人間は滅ぼすべき大敵などではなく、自分達を楽しませてくれる好敵手、興味の対象であることが多かった。それ故に、鬼の社会を煙たがって離れたアウトローな鬼達は、種族としては敵である筈の人間族の村で極普通に生活をしてみたり、または興味を持った人間をひたすら追い掛け回すというある種のストーカーめいた行動を取ったりしており、それが惚れた腫れたの関係にまで昇華されることも間々あった。有名所では、かの征夷大将軍・坂上田村麻呂が伊勢の鈴鹿山にいた鬼族の美女・悪玉と結婚し子供を得ているが、一説には悪玉が田村麻呂に夜這いをかけたともされる。
また、鬼族が捕虜にした人間を雑用や性処理に使った後に食べるのはよく知られている事であるが、稀に鬼の気まぐれで鬼と人のハーフを生ませることもあった。そのほとんどは鬼族として育てられ人間との戦いで戦死したが、時に鬼族を抜けて人間につくものも少数ながら存在し、後の時代に系譜を繋げた。最後の一人が鬼に攫われて滅亡したとされる一族の中にも、実は鬼の血を経て滅亡せず残るものがあるのではないかとされ、議論が成されている。
歴史的な調査から、おおよそ室町時代・戦国時代を過ぎた頃には、鬼は人間にとって既に過去の存在となっていたことが明らかになっている。僅か存在する鬼の逸話も、上記したような「人間族に混じって暮らした」変わり者の例が多く、個々の散発的な暴力活動はあれども両種の大規模な民族闘争の記録はほとんど存在していない。また戦国時代に関しては、鬼、もしくは鬼の子孫が武将として人間と共に戦場を駆けた逸話が多く残されており、地上において人間と鬼は最早同一の種になりつつあったと考えられている。
例えば赤鬼・赤井直正と青鬼・籾井教業の二人組などは鬼族でありながら波多野氏旗下の一武将として活躍しているし、その二人と轡を並べて戦った波多野宗高、慶長の役で兵数5倍以上の明軍を殲滅した島津義弘、果ては松永久秀により暗殺された十河一存なども、鬼族の血を引いていたという記録が残っている。