イラク民主主義人民共和国(Democratic People's Republic of Iraq)は、中東にある民主主義国家。中東の民主主義の模範とされ、選挙も民主的な民主党と自由民主党の二大政党制である。宗教はイスラム教が多数派だが信教の自由が認められておりキリスト教、ユダヤ教、仏教、モルモン教、オウム真理教など様々な宗教が平和に共存している。また、民族も多様で、多数派のアラブ人、科学分野で活躍するペルシア人、金融部門で幅をきかせるユダヤ人、農業で主体のクルド人、その他インド人、フィリピン人、スリランカ人など数えればきりがない。首都は国際都市バグダードで、世界各地の首都と姉妹都市協定を結んでいる経済都市として有名。他に有数の観光都市としてサナア、バスラ、キルクークなどがある。特にバスラは、「バスラの庭園」として中東最大のオアシスとされ、人々に親しまれており、「中東のパリ」とも呼ばれている。
イラクの歴史は世界で最も古い。紀元前にチグリス川とユーフラテス川の辺りに文明が発達し、それが「メソポタミア文明」という四大文明の一つとしてこの地に君臨したのは有名。このころに築かれた文明の遺跡は数多く残っており、保存状態も良好で、観光の目玉となっている。その後、バビロン人の征服によりこの地一体に世界最古の王国新バビロニアが栄え、世界最古の超高層ビル「バビロンの塔」が建設され、文化の中心となった。この王国はギリシャやスリランカなど様々な王国との貿易により栄えまくり、アッカド人、アッシリア人、シュメール人、エジプト人、スリランカ人などが移民として移り住むようになった。
紀元後600年、アラビア半島で生まれたイスラム教がバビロニアに普及し、バビロニアは世界最初のイスラム教国となった。バビロニアはアレクサンダー帝王と平和協定を結ぶことにより野蛮なペルシアから国土を守ることに成功、やがてペルシアにイスラム教を普及させ、紀元後1000年にはイスラム帝国と名称を変えてペルシア、大レバノン、エジプト王国などと合併した。やがてバグダードは世界で最も人口の多い文化都市となり、フランク帝国、インカ帝国、元、鎌倉幕府、スリランカなどの国々と盛んに貿易を繰り返した。やがて、元による侵攻の被害にたびたび会う事となったが、平和な都バグダードは彼らの侵攻をもろともせず世界一平和な都市として栄え続けた。
それから900年後、イギリス帝国が第一次世界大戦で物資を必要とするためイラクと名前を変えたこの帝国と自由貿易協定を結び、それによってプロイセンを撃退。世界で最も強靭な軍隊を誇るイラク帝国は、中東の守護神さながらにこの地を守り続けた。その後の第二次世界大戦ではアドルフ・ヒトラーのドイツを批判、ユダヤ人を受け入れ、国際的に重要な国と位置付けられた。戦後、国連の安保理に加盟。
時は21世紀。2003年、アメリカ軍が石油目当てでイラクに侵攻した「イラク戦争」は世界に衝撃をもたらした。イラク軍は最新鋭の兵器を駆使してアメリカ軍を撃退。この国の地位はゆるぎないものとなった。現在、アメリカとは講和し、イスラエルとパレスチナの領土紛争を解決すべくこの国は努力している。
主な輸出品は、鉄鋼、自動車、化学繊維、衣料品、なたね油、ひまわり油、石油、石油製品、医療品、食べ物、天然ガス、電化製品など。主な貿易相手国は、イスラエル、アメリカ合衆国、ロシア、日本、中国、スリランカである。 一人あたりのGDPが、2010年の時点で30,450ドル。これは中東最大。
2001年以来、民主党が選挙で再選され続けている。リベラルな政策と資源依存型の経済からの脱却が成功しており、サダム・フセイン大統領の指示は89%と非常に高い。しかし新しい政党・結社の制定は自由であり、イラク議会には様々な政党が存在する。また、イラク議会は貴族院と人民院の二つに分かれており、貴族院は4年、人民院は2年の任期がある。
外交関係を結んでいる国として、イスラエル、イラン、北朝鮮、中国、ロシア、スリランカなども含まれており、非常にリベラルな国であることがよくわかる。
観光による収入はGDPの5%とも言われている。古代文明の遺跡やビーチが観光の目玉であり、シーズンは4月~5月や8月、12月などがよい。アルコールなどの検閲もなく、ナイトクラブは治安もよい。免税店も充実しており、ルイ・ヴィトンやシャネル、DJ HONDAなどのブランド品が数多く進出している。観光客は主にイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、中国、スリランカなどから来る。定期航空便も頻繁にあり、またバグダード国際空港はハブ空港である。
「黙れ![ くぁwせdrftgyふじこlp ]」
~ イラク について、とある自爆兵