精神疾患(せいしんしっかん)とは、大人になっても子供っぽい行動を克服できない未熟な人間や、自制が利かずすぐ暴力や犯罪行為に手を染めてしまう札付きの悪、猜疑心が強く、すぐさま人を疑ってかかるような性根の腐った連中が、自らの卑しい人間性を「病気」と一種の大義名分を援用する事で正当化し、なおかつ厚かましくも人々から同情と支援を得るべく考案した架空の病気、すなわち仮病の一種である。煩瑣な治療をサボりたい、厄介な間者を盥回しにしたい藪竹林の医者どもが「これは精神の病気ですね、私は門外漢なのでカウンセリングの方へどうぞ」と言い訳をするための便利な道具としても使われている。ばかげた事に、マヌケな大衆はおろか医学の知識に精通している医者共でさえ、この妄言に騙され、ありもしない精神疾患という病気があると、科学が発達したいまなお信じ込んでいる。
そもそも精神疾患の根幹となる「精神」自体が、一部の想像力豊かな、換言すれば妄想と現実の区別が付いていない阿呆どもによって生み出された架空の概念、妄想の産物なのである。ありもしない概念が原因となって病気になどなるはずがない。精神疾患があると主張する連中は、先天的な脳の異常やら発育期のトラウマやらを理由として持ち出してくるが、自分の甘えを正当化し、社会に「俺は病人なんだから福祉を提供すべき」と無理な要求をする口実を作るべくあれこれ詭弁を弄しているに過ぎない。主な症状として、眩暈、動悸、胸部や腹部の痛みなどがあるらしいが、ハッキリ言ってこんな症状は他の病気にも起因することであり、これを理由に精神疾患と決め付けるのは拙速極まりない。他にも極度の不安、人間不信、集中力不足などが症状として提示されてはいるが、これらはいずれもコミュニケーション不足やユーモアの決定的欠落などの社会人としての未熟さが原因であり、「病気」の一言で安易に片付けてしまうのは言語道断であるばかりか、本当に病気に罹患して苦しんでいる人々と一緒くたにして扱うのは彼らに対する侮辱、愚弄ですらある。
この架空の病気の研究は19-20世紀にかけて急速に発展した。推進に大きく寄与したのは気違いとして有名なフリードリヒ・ニーチェ、ジークムント・フロイトら、人民を煽動して邪な思想を吹き込んだ思想家を名乗るアジテーター達であった。彼らは粉飾に粉飾を重ねてこの仮病をさも本当の病気であるかのようでっち上げ、精神疾患の確立に尽力した。それが奏功して、医学会において正式に病気として認められ、精神疾患専門の医者という職業も確率するようになった。精神科医と呼ばれる彼らはまともな治療などせず、患者達に適当な事を言って煙に巻き、大金を巻き上げるロクでもない連中である。時代は下り、20世紀後半になって通り魔などによる大量殺人事件が陸続するようになると、その犯人、及び彼らを弁護する弁護士たちが「俺(もしくは彼)は精神疾患にかかっている。殺人をしたのは精神疾患の所為だ。だから斟酌するべき、何より病人には優しくすべき」と、己の犯罪行為による刑罰を軽減、もしくはなかったことにするために精神疾患者であるかのように振舞った。実際、彼らのうちの何人かは「精神疾患」を理由に刑罰を軽減されている。この架空の病気は無知な人々を惑わせ、大金を搾取させるだけには飽き足らず、ついには犯罪幇助の道具としてまで用いられるようになったのである。かくして社会に激甚な悪影響を及ぼしているこの架空の病気だが、何故か誰一人として問題点を指摘しないどころか、指摘すると色々とアレな団体にしつこく粘着されることになる。
精神疾患というからには、精神をケアすれば良いわけである。しかしながら、そもそも精神自体が架空の概念なのだから治しようがない。動機や息切れ、身体の各所の痛みや不具合は他の病気に起因するものであると考えられるため、その手の医者を当たったほうが手遅れにならずに済む。精神科などには通うだけ無駄である。
精神疾患などという架空の病気をでっち上げる連中の虚言に惑わされず、嘘を嘘と見抜ける慧眼な人達がいる。代表例を挙げると、ハードワークを押し付けてくる会社の上司、「最近の若い奴らは」が口癖の学校のスパルタ教師、軍人、精神という概念を認識しないハートレス、石原慎太郎と戸塚ヨットスクールの愉快な仲間達、トヨタの社長と上層部などである。彼らは流言飛語に惑わされず、精神疾患なるものが架空の病気であり、罹患者の未熟さ、甘えから生じていることを見抜いている鋭敏で聡明な人々である。また精神疾患と呼ばれているもやし体系の貧弱青年でも、戸塚ヨットスクールに半年放り込んだら見事精神疾患が完治したという報告があり、架空の病気であると妄信し、自分は病人であると言う都合の良い幻想に逃げ込む余裕もないほど過酷な環境に送り込むことで現実を認識させるという「荒療治」が、畢竟一番の治療法ではないかと言われている。
支離滅裂な事を口走る、前後で脈絡の通らない、一貫性のない主張を述べる、漠然とした不安感、人間不信に陥るといった症状が上げられる。特に権力者や政治家が感染しやすく、また政治家が自分の失言を追及された際「パニック障害になっていました」などと言い逃れに使うことがある。
被害妄想が著しくなる。同僚や部下に裏切られるのではないか、刺客に命を狙われているのではないかという恐怖に付き纏われ、精神が疲弊し、やがてそれは他者に対する攻撃・排斥という形で発露する。これに権力が伴うと血の雨が降ること多々あり。しかし、逆説的に言えば、そのような強迫意識にまとわりつかれるということは、無意識の内に自身が他者から裏切られたり、命を狙われるような悪行をやっていると自覚しているということであり、自業自得ということになる。
かつては分裂病と呼ばれていたが、言葉狩りの魔の手にあってこんな冗長でアカデミックな呼称になった。一種のマジックワードで、ありていに言えば、万引きをしたり、強姦をしたり、殺人を犯してさえも、この言葉を用いる事で斟酌され、課される罪が減らされたり、なかったことになったりする。中二病患者はよく統合失調症の演技をすることで知られており、演技が達者な「名優」は、本物の統合失調症罹患者と区別がつかないんだとか。
急にハイテンションになったり、倦怠感に襲われたり、意気消沈してしまったり、それらの感情の振幅が激しいとこの症状だと診断されることがあるらしいが、喜怒哀楽が激しく、感受性が豊かなだけであり、むしろ良いことである。それを病気呼ばわりする事は、むしろその人に対する侮辱ですらある。一部の体育教師は躁鬱病など断じてないと信じてやまない。
ちなみに足利尊氏は躁鬱病にくわえ統合失調症、強迫神経症であったと言われることがよくある。