結婚(けっこん、日本の法規上は婚姻)とは、
オスカー・ワイルドは言った。「結婚にふさわしい基礎は、相互の誤解である。」
もし男女双方が相手の心の奥底を正しく理解し結婚の真実を正しく理解していたら、結婚という愚行・反人道的行為には絶対に踏み出さないのである。
ドイツのハイネは言った。「結婚式で流れる行進曲を聞くと、いつも私は、戦闘に向かう兵隊の行進曲だと思う」 結婚する男女は結婚行進曲を美しいメロディーだと思っているが、すでに結婚を経験した者は、その行進曲は当事者を死地へと向かわせるための、仕組まれた音楽だということを知っているのである。
チェーホフは言った。「あなたがもし孤独を恐れているなら、結婚は断念したほうがよい。」 結婚すると、人は、二人でいるはずなのに、とてつもない孤独感を味わうのである。
孤独にも様々な種類があるが、周囲に人がいない状態で味わう孤独感というのは実は大したものではない。本当につらい孤独感というのは、目の前に確かに人間がいるはずなのに、とてつもない孤独を感じることなのである。通常の孤独ならば、助けを求めればだれかが救いの手をさしのべてくれる。だが、人が結婚生活に感じるすざまじい孤独感は、誰に助けを求めても、何をしても、消し去ることができない。孤独が苦手な人は、けっして結婚などするものではないのである。 バイロンも同様の気持ちを込めて次のようなことを言った。「私には今まで様々な敵がいた。だが、妻よ、お前のような敵は初めてだ。」 現代日本の歌でも男と女の間には、「暗くて深い溝がある」と言われている。深い深い、そして暗い暗い溝(みぞ)があるのである。結婚する者は、遅かれ早かれ、その深淵をのぞきこむことになるのである。
最近の女性は、結婚とは、ねぎを背負ったカモを捕まえることである、と考えている者が多い。非常においしい金づるを確保すること、とも。
また結婚は、女性の間では、「就職の一種」ともされる。ただし一般に、普通の就職よりもはるかに楽なものであり、割のよいものである。大したことをしなくても、カモとなってくれた「雇用主」の金銭を、勝手に、使い放題に使える。朝、雇用主を家から送りだしてしまえば、一般の職場とは異なっていて同僚から監視されているわけでもなく、あとはやりたい放題。ソファーに寝転がり、好きなものを食べ、テレビを見てダラダラと過ごしていても、「雇用主」が帰るちょっと前に食べかすをササッとかたづけておいて、「あなた、お帰りなさーい。わたし今日も忙しかったのよ~」と言えば、男は馬鹿だからすっかり信じ込む。
冷蔵庫の中のものを好き放題にあさってもいいし、冷蔵庫の中のものが減っても「雇用主」の金銭を好き勝手につかって補充すればいい。高級な、本当においしい食品を見つけたら、すぐに自分でこっそり食べてしまい、雇用主には気づかれないようにすれば、雇用主と分け合うのに比べれば2倍の量楽しめる。ただし、証拠はしっかり隠滅しておくに限る。パッケージやレシートはすぐにゴミ袋に入れ、早めにゴミ集積場に出してしまえば安全である。昼食としては、「私には最高のものを、男には最低のものを」という方針をこっそり立てるのが慣例となっている。例えば妻は昼食を自宅でとる場合は、高級肉や高級フルーツなどを購入し、じっくり味わう。あるいは、友人と一緒にサンマルクのおしゃれなランチを食べにゆくのも一般的である。サンマルクではお昼どきには、女は2千~3千円ほどする贅沢なランチ(前菜、メインディッシュ、食べ放題の焼き立てパン、フルーツドリンク 等々)を、ヨーロッパ風のおしゃれなインテリアの店内で食べながら、男を散々に馬鹿にするおしゃべりや、男の金を勝手に使って友人と行く旅行のプランを練ることなどを楽しんでいる。店内は、男をうまく騙し、人生の楽勝パターンに持ち込んで、すっかり勝ち誇っている女・女・女・女・女…で連日にぎわっており、女のおしゃべりの声におしゃべりの声が重なり、店内でうなるような響きが生じることもある。なおサンマルクには男性客は一切いない(男性は、奴隷のようにして働いた金は入金の段階で女に奪われてしまっており、ランチで2~3千円といった金額を出せるような持金も女に奪われてしまっており、こうした店には入れない、近づけないのである。後述)。よって、男性はこうした世界に近づくことができないので、男性には世の中でこのような贅沢なことが広く行われていることは気づかれていない。一方、男性の昼食のほうはどのように扱かうかというと、わずか250円ほどの立ち食いそば・うどんを食べさせてやればいいんだ、と女は思っている。せいぜい250~280円ほどのジャンクフード(ゴミ飯)の牛丼しか食わしてやりたくない、と思っている。男という家畜の餌なのだから、雑草やゴミ捨て場の残飯でも喰わせて済ませておきたいが、残念ながら街中ではそれが流通していないから、しかたなく「300円を与えてやる。この家畜め!」と内心思っている。結婚は男>を騙すことなので、基本的に本音は言わないが、内心、男は家畜以下だと思っている。女は、男には「座って食べるな、立って喰え!急いで喰え!早く喰い終えて早く働け!」と心の中で思っている。自分はサンマルクでゆったりと座って、1~2時間もかけてまるで貴族のように優雅に食事とおしゃべりを楽しんでいても、である。
というのは現在はごく稀で、専業主婦を憧れるも夫の稼ぎだけでは生活していけない為、共働きする家庭が多い。
女性にとって、結婚という就職は、雇用主が生きていても、死んでしまっても、どちらでも自分はボロ儲けになるようにできるものである。一般の就職では、社長が死亡した時に保険金が受け取れるような保険を勝手にかけることはできない。だが、結婚では一般の就職とは異なり、なんと雇用主に保険をかけることができるのである。しかも雇用主の金銭を使って保険をかけておいて、保険の受取人だけは自分にすることができる。儲けばかりなのである。雇用主が生きている時は、雇用主から金銭を全てまき上げてしまえばいいし、死亡したら生命保険の保険金をガッポリともらえばいい。どちらにころんでもボロ儲けなのである。数千万~数億円受け取って、ローンも前倒しで完済してしまえば、あとは好き放題。雇用主を毎朝送り出す必要もない。月の半分~2/3ほど、友人と海外旅行・グルメ旅行・カラオケ 等々、貴婦人のような蕩尽を楽しんでいる女性も多い。保険については、同じ女性仲間の保険外交員が(男性にはとても聞かせられないような)様々なテクニックをこっそりと教えてくれる。男に内緒でこっそり保険をかけてしまう方法を教えてくれる保険外交員もいる。同じ女同士、男というカモから絞りつくすためのノウハウを共有しあうネットワークが構築されているのである。
女は一旦男に生命保険をかけると、「早く死ね」と思うようになる。(Googleで「夫」というキーワードを打ち込むと、関連キーワードとして「死ね」が最上位に出てくる。これは世の主婦たちが日々大量に「夫 死ね」と打ち込んでいるからである。)女が男に対して「早く死ね」と思うのは、男が死んだほうが得に思えるからである。一旦、生命保険をかけたら、あとは男を過労(過重労働)に追い込む女も多い。というのは、男を過労に追い込めば追い込むほど、女としては儲けが大きくなるからである。男が生命を削ってお金を稼いだら、それを全部奪ってしまえばいい。過労に追い込めば、突然死する確率も増え、即金で大金が舞い込む確率も増える。どちらにしても儲けが大きくなるのである。だから生命保険をかけると、いろいろともっともらしい口実をつけて、もっと働けと言う。女の中には、過労死を待ちきれなくなって本音むき出しで、ついには直接自分で雇用主を殺す者もいる。保険金殺人である。食事に毒を混ぜたり、自殺を装って殺すなどの手口が多い。妻による夫の保険金殺人は、実際には非常に多数行われており、発覚しているのは氷山のごくごく一角にすぎない。ごく一部の女がうっかり証拠を残し、(検挙率が非常に低いことで有名な)警察に逮捕されてニュースになる。女はそのニュースを見て、内心「あらこの女性、ヘマやらかしたわね。でも私はこんなヘマはやらかさない。」と思う。だからこうしたニュースの画面を見た時の女の表情はかなり微妙な、複雑なものとなる。男のほうは馬鹿なので、ニュースで知られた数の数百倍~数千倍の保険金殺人が行われていることに気づいていない。ただし、ごく最近では、一部の男が、保険に入るということの真相、つまり保険のCMの美辞麗句とは異なっていて実際には上述のようなカラクリであることに気づいて、保険に加入することを拒むようになってきた。生命保険に入ることを拒まれると、女としては結婚の「旨み(うまみ)」が減るので、やがて離婚を言い出すことがある。いろいろ口実をつけるが、本音は、結婚の一番の旨み(うまみ)である死亡保険金が手に入らないのは悔しい、ということである。
面倒な雇用主なんかいないほうがよほど気楽だと感じている女性が大半で、その死を心から悼む女性は滅多にいない。女性の辞書に「誠実」とか「忠誠」などという言葉はない。「自分が宇宙の中心であり、男性はあくまで徹頭徹尾、馬鹿なカモである。こちらは女で、騙す側で立場は上、そちらは男で、騙されるカモで、立場は下。立場の違い、人種の違いは絶対的。その考えを変える気は無い。」と思っているという。
フランスのモンテルランは言った。
オー・ヘンリーは言った。「女たちはひとりでいるときにどんなふうに時間をつぶすのか? もしそれを男たちが知ったら、男たちは決して結婚なんかしないだろう。」
ポーランドのことわざではこう言われている。「女は結婚前に泣くが、男は結婚後に泣く」と。
昔から、結婚は男性にとって「人生の墓場」と言われている。 つまり、独身時代の自由を喪失し、生きているという実感を失ってしまう場だと言われてきたのである。 なお、最近では保険金目当てで夫殺しを行う女が多いので、男にとって結婚は、比喩ではなく本当に、「人生の墓場」になってしまうケースも多い。
結婚は、男が犯す人生で最大の失敗・愚行であるとも言われることがある。
結婚は「人生最大の賭博(ギャンブル)である」とも指摘されている。 結婚はしばしば宝くじにたとえられるが、それは誤りだ。宝くじなら当たることもあるのだから。 オードリーは言う。 当たりの無いギャンブルと言っても過言では無い。
結婚は無謀なチャレンジである。そして、すでに失敗して絶望したのにもかかわらず、愚かにも再チャレンジするものも数知れない。そして再び絶望する。
結婚は宗教的には「禅の修行の一種」ともされる。だが、京東大学の西田教授によると、結婚を希求する男性の心理状態は、伝統宗教というより、むしろ新興宗教団体の出家信者のそれと酷似している、という。金銭や自由が没収されることを自ら望んでいるのである。
結婚は「恋愛という天国から、突き落とされた先の地獄である」ともされる。風俗通いが発覚するといろいろな刑が即日執行される。
古代から、先人たち、経験者たちの多くが「結婚は男性にとって墓場だ」との警句を残しているにもかかわらず、多くの若い男たちの耳にはその警句が聞こえない。
現代でも、やはり警句は届かない。たとえば若者は次のような理屈をこねだす。そのうちに先人の警句が耳に入らなくなるのである。
このような理屈をこねるうちに、結婚に対する警戒心を失い、まんまと結婚という罠にはまるのである。
結婚相談所(けっこんそうだんしょ)とは、主に童貞と処女のハレンチな個人情報を登録する組織の総称。身長や体重、趣味や年収、経済感覚や性癖まで収集してデータベースとし、その膨大な情報から「相性診断」なるものを行い男女のペアを作ろうとしている。
どうにも男と女は簡単には分かり合えない生物らしい。男は「減点法」で「理論的」「打算的」に世の中を見つめ、逆に女は「感情的」「空想的」に行動する。物欲・性欲も女性のほうが旺盛らしい。つまり、男性には、女性のあらゆるワガママを受け入れる「包容力」が求められている。結局のところ、結婚及びセックスについて、女は「始まり」、男は「終わり」と解釈する感覚がズレるんだよね。ならば、お金も時間も計算力もない「キモオタ」に、そのようなチャンスが訪れることがないのは当然である。