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麻原彰晃

麻原 彰晃(あさはら あきあきしょうこう、1955年3月2日 - )尊師とは、世界五大詐欺教祖の一人で、日本の革命家・科学者・ミュージシャン・芸能人・教育者・死刑囚であり真理国の神聖法皇、また唯一神。神も兼業していた恐るべき人物。過去にはしょうこうから採ったしょこたんという愛称があった。麻原尊師と同じく神と崇められている中川翔子(なかがわ しょうこ)が生まれるより前の話である。太古の昔には、日本を創造した人物であり2010年版新訳聖書にも登場する。口癖はポア。オウム真理軍将校(通称:麻原将校)。

マスゴミでは「麻原彰晃」は一種の放送禁止用語となっており、「松本智津夫」(まつもと ちづお)と差し替えているのだが、Egachan Galleryでは、一連の事件の風化を防ぐため、あえて麻原彰晃と表記する。

ポアしかない!」  ポアするぞ、ポアするぞ、ポアするぞ、ポアするぞ

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基本資料
本名松本智津夫(まつもと ちづお)
職業オウム真理教代表、最終解脱者
好物偽善、ポア、サリン、ダーキニー、メロン、バナナ、牛肉、パーコー麺、信者宗教
嫌物悪、自分に従わない者、警察、拘置所
出身地ニルヴァーナ(?)
出没場所拘置所内便所および独房
所属オウム真理教(現在はアーレフ)
ノーベル賞受賞者
受賞年 :1995年
受賞部門 :ノーベル殺人賞
受賞理由 :地下鉄サリン事件、松本サリン事件、坂本弁護士一家誘拐殺人事件

革命家としての麻原

旧態然とした日本政府を作り変えようと決意し、1990年、真理党を結成し、衆議院議院選挙に出馬する。しかし政府の弾圧により落選した。

その後、より現実的な方法を考慮した結果、少数の人員でもってシャンバラを極東に作り上げるにはクーデターで政権を奪取して、社会の仕組みそのものを自分たちの考えで動かさなければその理想は実現されないとの結論に至り、武力行使による政権奪取を計画する。

余談ではあるが、武力行使による政権奪取は中大兄皇子からナポレオン、ザビ家まで枚挙に暇がなく、その意味で麻原尊師は歴史上の英雄と同じことをしようとした人物であり、のなり損ねた英雄の写真棚にその姿を連ねている。

1993年、日本国の事実上の総統である創価学会名誉会長池田大作を殺害しようとするが失敗。1994年真理国の独立宣言を行い神聖法皇となり、事実上の宣戦布告となる。1995年には千代田線・丸ノ内線・日比谷線を用いた霞ヶ関攻撃作戦が実行される。しかしこの年の5月16日に上九一色村で自宅警備員をしていたところが、警察の手によって外に引き出されるも故に直ぐに牢屋の中に入れられた為、脱会。また脱会を機に一時内部分裂が発生。

しかし、その革命的思想により酒鬼薔薇聖斗宮崎勤、宅間守らAクラステロリストを超えるSクラステロリストとして国際的に認定され、田代まさしヨシフ・スターリン同様TIME誌の表紙も飾った。

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革命に失敗し死刑の判決を受け、満面の笑みを浮かべる麻原彰晃。

科学者としての麻原

麻原尊師は早くから組織的に化学薬品の研究を行っている。1986年、IPS細胞を発見。医学界に衝撃を与えるが、陰謀により封印される。とくにサリンやVXガスの人体への影響では優れた実験的検証を行っている。またこうした薬品を社会一般に認知させるなど、化学の普及活動にも尽力した。

こうした活動が認められ、麻原尊師はノーブル平和賞を受賞している。

健康食品ブランドとしての麻原

厚生省においてサットヴァ・レモンやハイビタンといった栄養補助食品を配布していた。また、野菜の水炊き等の料理の際には重宝するミラクルポンドという聖水も配布していた。これは簡潔に説明すると、麻原が風呂に入った際の残り湯である。特に数週間ぶりの入浴の際のもの等は多量の浮遊物や陰毛が含まれており、大変効果が高い。ほかには、サリンビールや尊師の尿をお茶漬けにしたものがあるがミラクルポンドよりは効果は低い。これら徳や聖なる力のこめられた飲食物は大変高価なため気軽に使用するのは難しい。

オウム食品は必ず麻原尊師のマントラによる浄化を経ている。しかし、しばらくするとアストラルテレポーターなる録音・再生装置がその役目を果たすようになった。

近年、グルコサミンにも進出。

芸能人としての麻原

奇抜な髪型とファッションが人気を集め、たびたび『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』をはじめとするバラエティ番組やワイドショーに登場した。意味不明な発言も人気を呼び、西村知美や相田翔子並みの天然ボケキャラを売りにし、そのキャラクターは北野武に「新興宗教の教祖の中で一番論理的だ」という皮肉を言わしめるほどであった。

1990年にはテーマソング「尊師マーチ」を発表。「しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこーあーさーはーらーしょーこー」の親しみやすいフレーズが子供達の間で爆発的なヒットを飛ばし、各地の学校の音楽室ではリコーダーによる演奏会が行われた。さらに「ポア」「サティアン」という言葉も大ブレークした。

歌手人生としての最大のヒット曲は「尊氏マーチ」だが、この曲が発売されるおよそ100年前、1884年(明治17年)に仰げば尊氏という曲がセブンイレブン第七サティアン店にて発売された、作詞は秋元康が務めた、作曲者は不明(麻原自身という説もある)、セブンイレブン 第七サティアン店でしか発売されなかったため、発売初日には、長蛇の列が第六サティアンまで続いた。この曲は後に卒業式の定番ソングとなる。今現在、「仰げば尊氏」を扱っているところは少ない、あったとしてもプレミア価格である。

1992年には「ウルフルズ」を結成、ボーカル担当のトータス松本として活動していた。現在は尊師がつかまったため、影武者が活躍している。

1996年、東京地方裁判所に登場した際、『私は麻原彰晃ではありません』と言って長髪から短髪へとイメチェンした。

2525年には遺作の随筆風ライトノベル『枕尊師』が出版された。

音楽界では、エンマの数え歌を最後に引退している。

教育者としての麻原

麻原尊師のもとには、多くの若者が集まったとされる。オウム神聖の会と呼ばれる教育団体を立ち上げ、上祐史浩ら多くの有力者を育てた。

娘の教育にも力を注いだ。グローバルスタンダードの精神を見に付けされるため、「ゆみ」という名の娘を「アーチャーリー」と改名させたほどである。 一連の事件以後後から教育関係者への尊敬度が右肩下がりになったといわれている。なぜなら、オウム真理教が開発した教育プログラムを国が指導 方針として取り入れていたからであった。

アニメーション監督としての麻原

麻原は1991年に「教徒アニメーション(通称:教アニ)」というスタジオを設ける。主な作品として『尊師の拳』、『ポアゴンボール』、『ポアットモンスター』などがある。アニメに登場する美化された麻原(きれいな麻原)と、実際の麻原とのギャップは、1995年当時のマスメディアでも話題になった。

神としての麻原

麻原尊師は田代まさし、又吉イヱスと並んで日本三大神とされる。しかも前二者と違って、戦う神として圧倒的な存在感を示し、チベットのダライ・ラマからも賞賛された。

自らは仏教・ヒンズー教・拝火教・拝金教などの頂点に立つ唯一絶対の神と称した。

また、ポアという、他者を勝手に成仏させる儀式を得意とした。

「シヴァ神と真理勝者にポアされてよかったね」
    ポアする前の一言 について、麻原彰晃尊師

ちなみに儀式の際には、供物としてメロンが捧げられる。そして麻原彰晃尊師がこのメロンにむしゃぶりついて汁を撒き散らかすことが功徳になると言われている。ちなみにこの食べっぷりは志村けんのスイカ早食いをはるかに凌駕する。

友人

麻原彰晃への各界からのコメント

「さようなら尊師、ボクは分派します。死刑になってもジタバタしないでさっさと逝きなさい」
    ~ 麻原彰晃 について、元オウム真理教教団広報部長上祐史浩

「愚鈍な大衆はポアされなければならない。」
    ~ 麻原彰晃 について、上祐史浩の同期朝倉泉

「麻原彰晃は又吉イエス地獄に投げ込まれる者である。」
    ~ 麻原彰晃 について、ネ申

「麻原彰晃、ポアばかりしおって、けしからん!」「でも、そこがいいところだな!!(おもしろくて)うきゃきゃきゃ]」
    ~ 麻原彰晃 について、磯野波平


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