#author("2018-05-08T11:44:22+09:00","","") #author("2020-01-28T13:53:17+09:00","default:egashira","egashira") [[ニュース]] *反日演説後、清からの「独立門」前で万歳三唱した[[文在寅]]…歴史の[[無知]]・捏造はどこまで [#pfbad2e6] [[日本]]統治下の1919年3月1日、ソウル市内のパコダ公園で「独立宣言文」が読まれたことを機に、大規模な騒擾(そうじょう)が[[朝鮮]]各地に広がった。[[韓国]]政府はそれを記念し、毎年3月1日を「三・一節」として式典を行なっている。2018年のその式典で、文在寅(ムン・ジェイン)は[[竹島]]問題に触れ、「独島([[竹島]]の[[韓国]]側呼称)は[[日本]]の[[朝鮮半島]]侵奪の過程で最も先に強制占領された我々の領土で、我々固有の領土」と演説。さらに「今、[[日本]]がその事実を否定することは帝国主義の侵略に対する反省を拒否するのと同じこと」と断じた。 **[[文在寅]]演説は本末転倒の[[プロパガンダ]] [#h32d81b0] この歴史認識は、[[文在寅]]の盟友・盧武鉉(ノ・ムヒョン)が、2006年4月に述べた内容と同じである。 この2人が示した歴史認識は、特段、新しいものではない。1954年に[[竹島]]を武力占拠した[[韓国]]政府に対し、[[日本]]政府が国際司法裁判所への付託を提案した際の[[韓国]]政府の声明に由来しているのだ。 それに、[[竹島]]を「[[日本]]の[[朝鮮半島]]侵奪の過程で最も先に強制占領された我々の領土」とする歴史認識は、[[韓国]][[政府]]の[[プロパガンダ]]の一つである。[[歴史]]的事実として、[[韓国]]側には、[[竹島]]の領有権を主張できる権原(法律上正当とする根拠となる原因)はない。[[文在寅]]が「[[日本]]は人類普遍の良心で[[歴史]]の真実と正義を直視しなければならない」とするのは本末転倒である。 **「冷静に粘り強く」対応できるか[[日本]]側担当相 [#eb33cb1f] この[[文在寅]]の演説について、[[日本]]の[[マスコミ]]では、菅義偉が「[[竹島]]の領有権に関するわが国の立場に照らして受け入れられない言動を繰り返しているということは、極めて遺憾」とし、「[[竹島]]問題は一朝一夕に解決する問題ではない」が、「冷静に粘り強く対応していきたい」と強調したと報じている。 折しも[[日本]]では、[[健康]]上の理由で沖縄北方担当相を辞任した江崎鉄麿の後を受け継いだ福井照が、就任の記者会見で「色丹(しこたん)島」を「シャコタン島」と''誤って発言し''、物議を醸していた。 俄かに「海洋政策担当」と「[[領土問題]]に関する施策を集中的かつ総合的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整担当」をすることになった福井は、「冷静に粘り強く対応して」いくことができるのだろうか。 **戦略的に対応してこなかった[[日本]]政府 [#t5789bd4] 今回、[[文在寅]]が演説の中で[[竹島]]問題に言及したのは、[[日本]]政府が2018年1月25日、東京・日比谷公園内に『領土・主権展示館』を開設したことと無縁ではない。『領土・主権展示館』の開設に最も関心を示したのは、[[韓国]]側だからだ。 それに、島根県が開催する「[[竹島]]の日」の式典に、[[日本]]政府から政務官が6年連続で出席したことも、[[韓国]]側には「[[日本]]政府が本腰を入れた」と映ったのであろう。 だがその『領土・主権展示館』は、島根県が2007年に開設した『[[竹島]]資料館』と比べても貧弱で、[[韓国]]政府が2012年に開設した『[[独島]]体験館』とは比較にならないほど小規模である。しかし重要なことは、『領土・主権展示館』の規模や内容ではなく、[[日本]]政府が動き、[[文在寅]]を本気にさせたという事実である。 [[韓国]]側が[[竹島]]問題の存在を認めるのは2005年、[[日本]]政府の妨害を押し退け、島根県が「[[竹島]]の日」条例を制定してからである。その挑発に最初に乗ったのが、当時の盧である。[[韓国]]側は、[[日本]]が動けば動く。菅は「[[竹島]]問題は一朝一夕に解決する問題ではない」としたが、それは戦略的に対応していないからである。 **島根より[[外務省]]に反論の矛先向けた[[韓国]]側 [#ka4ef601] [[外務省]]は2008年2月、島根県が設置した県[[竹島]]問題研究会の報告書を受けて、小冊子『[[竹島]]問題を理解する10のポイント』を作成した。 すると、[[韓国]]の国策研究機関である「東北アジア歴史財団」が『[[日本]]が知らない[[独島]]の10の真実』を編纂(へんさん)して反論した。「粘り強く」なくとも、急所をつけば、[[韓国]]側は反応するのである。 だが[[外務省]]は、[[韓国]]側の反論に対して10年以上も反駁(はんばく)していない。そのため[[韓国]]側では、[[竹島]]研究の争点を、島根県[[竹島]]問題研究会の報告書ではなく[[外務省]]の『10のポイント』批判に置いている。 [[外務省]]と島根県[[竹島]]問題研究会と[[外務省]]とでは、その主張に微妙なずれがある。[[外務省]]の『10のポイント』では、「17世紀半ば(江戸時代)には[[竹島]]の領有権を[[確立]]しました」とし、「1905年、[[竹島]]を島根県に編入して、[[竹島]]を領有する意思を再確認しました」としたのである。 そこで[[韓国]]側では、『隠州視聴合記』(江戸時代に書かれた隠岐諸島の地誌)や「太政官指令」(明治10年に「[[竹島]]と外一島は[[日本]]と関係なし」とした政府の指示)などを恣意(しい)的に解釈した上で、[[外務省]]批判をしているのである。 これに対し、島根県[[竹島]]問題研究会では、「[[竹島]]は1905年2月22日の『島根県告示第40号』を以て島根県隠岐島司の所管となった」とするとともに、[[竹島]]が歴史的に[[韓国]]領であった事実がないことを明らかにした。[[竹島]]の領有権を主張する歴史的権原がない[[韓国]]が[[竹島]]を占拠すれば、それは不法占拠となるのである。 **島根の後追いで[[韓国]]の挑発招く[[外務省]] [#icff1da7] だが[[外務省]]が『10のポイント』を作成し、島根県主催の「[[竹島]]の日」の式典に政務官が派遣され、2018年1月に『領土・主権展示館』が開設された。いずれも島根県の対応を後追いしているだけである。それでは徒(いたずら)に[[韓国]]側を挑発し、[[韓国]]側を極端に走らせてしまう。 それを象徴しているのが、今回の[[文在寅]]の演説である。[[文在寅]]は、「その年(独立宣言文が読まれた1919年)の3月1日から5月末まで国内だけで1542回もの万歳運動が起き、当時の人口の10分の1を超える202万余名がこれに参加しました」「全国各地で同時に独立宣言書が朗読され、万歳運動が始まりました。万歳運動は瞬く間に地方都市と村々にまで拡大していきました」と力説した。しかし、そこにはもう一つの歴史の事実があったはずである。 独立門と万歳運動結びつけるのは歴史の捏造 1919年3月3日には、高宗(大韓帝国の皇帝)の葬儀が行われることになっており、人々は国葬のため各地の市場に集まっていた。万歳運動はそれを利用したもので、万歳運動のために人々が集まったわけではない。 また、[[文在寅]]は演説の中で、「夜を徹して[[太極旗]]を描いた釜山の日新女学校の学生たち」として、[[太極旗]]を独立運動のシンボルとしているが、この[[太極旗]]は、明治14年、日章旗を基に「両国同心ノ意ヲ表」したとする花房義質公使の提案で作られたものとされている。 [[文在寅]]と夫人は、式典を終えると併設する独立門公園まで行進し、独立門の前で[[太極旗]]を振って万歳三唱をしたという。[[韓国]]の新聞などはその模様を写真入りで報じたが、[[日本]]と[[朝鮮]]の「両国同心ノ意ヲ表」した[[太極旗]]を手に万歳三唱したとすれば、それはどこの国からの独立になるのだろうか。 この独立門は、日清戦争の結果、[[日本]]が清朝に対して、[[朝鮮]]を「独立自主の国」と認めさせたことから独立協会が1897年に建てたものである。独立門が建てられた場所には、[[中国]]からの使臣を迎える「迎恩門」があり、近くには「慕華館」があった。 この独立門は、[[日清戦争]]の結果、[[日本]]が清朝に対して、[[朝鮮]]を「独立自主の国」と認めさせたことから独立協会が1897年に建てたものである。独立門が建てられた場所には、[[中国]]からの使臣を迎える「迎恩門」があり、近くには「慕華館」があった。 日章旗を基に作られた[[太極旗]]を手に、[[文在寅]]による独立門前での万歳三唱は、清朝からの独立を祝ったのだろうか。独立門と万歳運動を結び付けるのは、歴史の捏造(ねつぞう)である。 **[[竹島]]を侵奪し、隣国に苦痛を加えたのは[[韓国]]だ [#u800b1c1] 歴史の事実はもう一つある。1952年に「李承晩ライン」を設定して[[竹島]]をその中に含めた[[韓国]]政府は、国際法を無視して[[日本]]漁船328隻を拿捕(だほ)し、3929人の船員を抑留して死傷者44人を出した事実である。 [[文在寅]]は、「[[日本]]が苦痛を加えた隣国と真に和解し平和共存と繁栄の道を共に歩いていくことを願います」とするが、[[竹島]]を侵奪し、隣国に苦痛を加えたのは[[韓国]]だという歴史を忘れてはならない。 また[[文在寅]]は、「私は[[日本]]に特別な待遇を要求しない。ただ最も近い隣国らしく真実の反省と和解の上で、共に未来に進むことを願うだけ」とするが、その前に[[韓国]]こそが「人類普遍の良心で歴史の真実と正義を直視」し、[[竹島]]返還の準備をしなければならない。来年の「三・一節」には、「人類普遍の良心」に基づいてその証を示してもらいたいものである。