#author("2020-01-28T15:14:03+09:00","default:egashira","egashira") #author("2020-01-29T13:20:32+09:00","default:egashira","egashira") [[FrontPage]] *腐れ韓国の真実史 [#j00b77d1] [[韓国人]]は非常に愚かです。[[韓国人]]の多くは[[異常]]で、非常に好戦的で危険です!! 絶対に近寄らないでください。 姑息な[[韓国人]]は頻繁に[[嘘]]をつきます。彼らは自分の利益のために他人を欺むきます。そして、[[韓国人]]は他人を平気で傷つけます。[[韓国人]]の多くは詐欺師です。 [[韓国人]]は自分の利益のために歴史を偽造し、[[捏造]]します。そして、誤った情報を広めます。注意してください! 騙されてはいけません! 多くの[[韓国人]]は怠け者です。彼らは労働を嫌います。過去80年間、[[韓国]]は[[日本]]に謝罪と賠償を要求してきました。そして、彼らは[[日本]]から補償を得ることによって労働を避けました。[[日本]]から受け取った補償を使用して、彼らは国を繁栄させました。 多くの[[韓国人]]は怠け者です。彼らは労働を嫌います。過去80年間、[[韓国]]は[[日本]]に[[謝罪と賠償]]を要求してきました。そして、彼らは[[日本]]から補償を得ることによって労働を避けました。[[日本]]から受け取った補償を使用して、彼らは国を繁栄させました。 [[日清戦争]]後、[[韓国]]は極度の貧困状態にあり、滅亡の危機に直面していました。[[日本]]はそんな[[韓国]]に同情しました。そして、[[韓国]]を併合して救うことにしました。貧しい[[韓国]]を併合しても[[日本]]にメリットはありません。[[韓国]]から収穫するものは何も無かったからです。 怠け者の[[韓国人]]は労働を知りませんでした。[[日本]]は[[韓国人]]に労働の価値や意義から教えなければならなかった。それが[[日本]]のやった第一の「改善」でした。 [[日本]]は[[韓国]]の農村のあまりの不潔で貧しい様子に呆れてしまったといいます。耕せば耕地になるような場所がたくさんあるのに、[[韓国人]]は何もしない。ときたま牛を追いながら耕しているが、それもずいぶん能率が悪い。「自分たちならもっと効率よくできる、見てはおれん」となったのです。それは[[日本人]]が満州に行っても同じ光景でした。 [[韓国]]は典型的な奴隷社会であった。全人口の30%以上が[[奴隷]]であり、[[奴隷]]はモノのように売買され、主人のため生涯奉仕しなければならなかった。 驚くべきことに19世紀末の[[韓国]]は、人口の半分以上を搾取者が占めるという[[異常]]な事態になっていた。 勤労を蔑む者が半分を占め、残りの半分が略奪を受ける社会が、まともな国として成り立つわけがない。産業に必要なインフラ整備も行われない。 500年間、[[韓国]]には[[人間]]が通れる安全な道路は全くなかった。殆どの河川には橋がなく、鎖国政策をとっていたため港湾施設も皆無に等しかった。 [[韓国]]は近代産業国家に必要な準備を一切取ってなかったのだ。 [[韓国]]は外国からの[[情報]]を遮断しました。そして、近代化の必要性を感じて行動を起こした開化派は保守派に殺されました。 このような劣等国が自らの手で近代化を達成できたとは思えません。 [[日本]]が[[ロシア]]に勝利し、[[韓国]]の内政改革に乗り出したからこそ、[[韓国]]は近代国家としてスタートできたのです。当時の韓国官僚は、身分階級の頂点を極めていた。そのため、官僚の横暴には目に余るものがあり、下の階級の者に対し生殺与奪の権限を持っていた。 韓国民族は、日本統治時代になって[[日本]]に大いに感謝したといいます。理由は日本警察が韓国官僚を取締ったからです。 しかし、[[韓国人]]の憲兵や巡査が[[日本]]の権力をかりて、民衆への恨みを晴らす怖ろしい状況が起きました。 これが後の[[日本]]に対する悪感情を生んだのです。 併合前の[[韓国]]の社会経済状態は、[[日本]]や欧米に比べて100年以上遅れていた。 そんな中、伊藤博文は「[[韓国]]を植民地にはしない」と内外に言ったのに、[[韓国人]]は伊藤博文を暗殺し、その犯人を英雄視している。 伊藤博文の本音・信念…「日韓は兄弟であり、[[韓国]]を決して他国に蹂躙させない。[[韓国]]の独立はしっかり守る」と強調し、韓国皇帝はこれを承認したのでした。 [[韓国]]が自力で近代化の努力をしていれば、[[日本]]はわざわざ植民地にしなくて済んだのです。 日露戦争後、[[日本]]は[[韓国]]を保護国とした。[[アメリカ]]のルーズベルト大統領は、もう[[韓国]]は[[日本]]のものと、公使館の閉鎖を決めた。 [[アメリカ]]が公館を閉めて、[[韓国]]はびっくりする。 ルーズベルト大統領に再考を促すが、大統領は「[[韓国]]は自主統治も自衛能力も無く、まったく無能だったことがはっきりした」と訴えを退けた。 近代金融制度が未整備だった[[韓国]]では、第一銀行韓国総支店が1902年から第一銀行券を発行し、[[韓国]]の紙幣として流通した。実質的な中央銀行の役割を[[日本]]の民間銀行が果たした。 それ以前は基本的に物々交換だった。米や麻布、綿布などを交換していた。 貨幣経済が未発達で商品の流通が円滑にいかないため、工業や商業はほとんど発達しなかった。工業は農家が副業で行なう手工業程度だった。 イギリス人旅行家[[イザベラ・バード]]が1894年に釜山に上陸して見た近代的産業は、すべて[[日本人]]の手によるものだった。 銀行業務は東京の第一銀行が引き受け、郵便と電信業務も[[日本人]]の手で行なわれている。 [[韓国人]]には未知の産業、たとえば機械による精米、捕鯨、酒蔵、フカひれやナマコや魚肥の加工といった産業の導入も[[日本]]が行った。 首都[[ソウル]]には道路すらなかった。というのも、[[ソウル]]の土地はすべて国有地であり、平民が許可を得て土地を借り、建物を建設するには長い年月を必要とした。 そのため、路上の不法占拠が当たり前となり、無許可の建物が林立して道幅はどんどん狭くなったのだ。 いかに都市計画が存在しなかったかがわかる。 鼻が曲がりそうな糞尿の悪臭は、朝鮮半島諸都市の悪しき名物になっていた。 家々から出た汚物は路地の穴や溝に流れ込んだ。 新聞に「平壌の臭気一掃、いよいよ糞尿地下タンクを新設」の記事か掲載されたのは、1938年12月11日だった。それ以前の様子を[[イザベラ・バード]]はこう記している。 城内[[ソウル]]を描写するのは勘弁していただきたいところである。わたしは[[ソウル]]こそこの世でいちばん不潔な町だと思っていたし、[[ソウル]]の悪臭こそこの世でいちばんひどい臭いだと考えていたのである! 三審制の近代司法制度が整備されたえのは、朝鮮総督府時代になってからだ。 [[イザベラ・バード]]も司法の未整備について記している。 [[韓国人]]には独特の処罰方法がある。役所の下級職員が容赦のない笞打ちを行った。罪人を死ぬほど打ちすえる。罪人が苦痛に叫ぶ声は近くのイギリス伝道館の中にまで聞こえてくる。 貧窮する暮らし。百年前、外国人の目に映った[[ソウル]]の風景がそうだった。 まだ西洋文明が伝わっていなかった[[ソウル]]の様子を、英国の女流作家[[イザベラ・バード]]はこう表現した。 『泥壁の掘っ立て小屋が軒をつらねるみすぼらしい路地、厚くおおいかぶさった褐色の屋根、汚物と腐ったゴミで悪臭のするミゾ…』 この描写は、[[日本]]の植民地に転落する“力なき[[韓国]]”を対象にしたものだが、次のような表現は心に刻み込んでおくに値する。 [[ソウル]]はすなわち[[韓国]]だ。しかし[[ソウル]]にはいかなる芸術品も無い。古代の遺物もほとんど無い。公衆の広場も無い。きわめてまれに見られる王家の行列以外にいかなる行事も、劇場も無い。[[ソウル]]には他国にある文化的魅力に欠けている。 [[イザベラ・バード]]は1894年から97年にかけ[[韓国]]を旅行し、長編の紀行文を書きました。 時代はちょうど[[日清戦争]](1894~95年)からその後にかけてで、「日韓併合」(1910年)より10年ほど前だ。 彼女の『韓国紀行』は、[[日本]]の保護・支配を受ける直前の[[韓国]]の事情を、第三者の目で克明に記したものだ。 この本で彼女のことを紹介している駐韓イギリス総領事ウォルター・ヒリアーは、当時の韓国事情をこう書いている。 「現在、[[韓国]]が国として存続するには、大なり小なり保護状態におかれることが絶対的に必要であることは明白であろう。[[日本]]の武力でもたらされた名目上の独立も[[韓国]]には使いこなせぬ特典で、絶対的に腐敗しきった行政という重荷に[[韓国]]はあえぎ続けている。最も顕著な悪弊を改革する[[日本]]の努力は、いくぶん乱暴に行われはした。しかし、真摯であったことはまちがいない。」 韓国政府は大いにおどろいた。[[韓国]]が直面した恐るべき不幸は自らの手で国内治安を維持できなくなったことにある。 [[韓国]]が、[[中国]]外交で属国としてあれほどの屈辱と忍従の関係を延々と、そしてあれほど嬉々として続けたのはいったいなぜなのか。 それは国内においては地主エリートによる特権階級制度を維持し、それに基づく国内の社会・政治秩序を守り抜くためであった。 この制度は、[[韓国]]全体に強固な上下関係を作り出した。 そして、国内で地主エリートが支配する上下関係を維持するため、対外的な[[中国]]との上下関係を利用した。 その支えとして韓国国民に対する圧制への服従を受容させるうえで、不可欠のシステムとなっていたからである。 [[中国]]を至上の存在と位置付け、国内に序列に基づいた上下関係を設けて統治の維持を図るという政策を[[韓国]]が選んだ瞬間から、この国の半永久的な貧困は宿命づけられていた、といわなければならない。 明治の[[日本]]に感嘆した[[イザベラ・バード]]は[[韓国]]にも行っている。家は掘立小屋、悪臭を放つドブ、[[女]]に名はなく、子を産むと[[おっぱい]]をむき出しにする風習はニューギニアにだってない。 奴隷制も生きていて、民の4割を占めた。彼らに人権はなく、[[両班]]は懲らしめに縛った小作人の足の間に棒を入れて足の骨を折る拷問をやる。汚職は日常化していた。バードは「内部からの改革は不可能」と匙を投げている。 セオドア・ルーズベルト大統領も実態を知って20世紀早々、[[韓国]]にあった米国大使館を閉鎖した。それは前代未聞の「国交断絶」だった。これに[[韓国]]が文句を言うと、ルーズベルト大統領は「統治能力も無い。[[韓国]]は国じゃない」と答えました。そんな[[韓国]]を「[[日本]]だけが思いやりをもって接した」と、アメリカ大使のシルが書いている。 [[日本]]の福沢諭吉もその一人だ。福沢諭吉は平仮名を真似た諺文を歴史の中から掘り出し、普及させた。ハングルのことだ。 [[韓国]]の青年を[[日本]]に留学もさせた。しかし[[韓国人]]は慶応義塾の金庫を壊して金を盗み、遊びにふけった。 福沢諭吉は「支那韓国に特別の会釈に及ばず」と、失望感を隠さなかったが、平気で恩をあだで返す彼らの習性に多くの[[日本人]]は気づかなかった。 [[中国]]の属国だった[[韓国]]が自主独立国家になったのは、[[日清戦争]]で[[日本]]が勝ち、清に対して[[韓国]]の独立を認めさせた時からである。 その時に大韓民国が成立し、首長が「皇帝」を名乗るようになった。[[中国]]の属国である限りは「王」であり、決して「皇帝」にはなれない。 愚かな[[韓国人]]は、かつて[[中国]]の属国だった事実を認めず、「ずっと自主独立の国だった。それを[[日本]]だけが侵略した」と言っている。 [[韓国]]の知識人は李朝時代を基礎に近代化があったと主張するが、それは完全なる虚偽である。李朝はインカ帝国のような停滞した時代に過ぎなかった。李朝には車がない。なぜならば、車輪がありません。なぜかというと、曲げ物を作る技術がありませんでした。木を曲げることができないから樽も作れません。焼き物の顔料もありません。 結局、[[日本]]の統治によってしか近代化し得なかった。 李王朝は1910年の日韓併合で滅んだ。李王朝は500年もの歴史を持っていたが、不幸にも日本支配によって滅亡した。民族としては痛恨の極みだろう。 しかし、1945年に日本支配から解放された[[韓国]]で、王家復興や立憲君主制による再出発の議論はなかった。 このことも“強制の歴史観”からは説明できない。[[韓国]]は歴史観で混乱している。 韓国歴史の基礎史料とされる『朝鮮王朝実録』の世宗王の巻には、通信使として1429年に[[日本]]に渡った重臣、朴瑞生の報告が載っている。これが本当に面白い。 朴瑞生が特に力を入れた報告は、室町時代の[[日本]]の農村で見た揚水水車だった。配下の学生に作り方を学ばせ、王には模型まで提出した。「願わくは、わが村々でも、この模型に沿って水車を製作し、灌漑に利用されんことを…」と進言する。 提案は受け入れられた。だが、彼らがどう頑張っても揚水水車を作れない。次の王、その次の王の時代にも水車を作ろうとするができない。 「曲げ木」の技術もなかったとされるが、水が漏れない桶や樽も作れない。[[高麗]]から李王朝初期にかけての漢文の本には、[[女]]たちが重たい甕を頭の上に載せて、水運びをしている様子が頻繁に出てくる。 朴瑞生の報告から334年が経ったのち、[[日本]]に渡航した金仁謙が、旅行中の感想などを書きまとめている。その中で、金仁謙は淀川にあった水車の見事さに感服し、「見習ってつくりたい」と述べている。 つまり、最初の挑戦から334年経っても、朝鮮半島の木工技術では揚水水車を作れなかったのだ。 朴瑞生の報告は広範にわたる。朴瑞生は、「[[日本]]は貨幣経済が行き渡っており、大変に便利だ」と述べるとともに次のように進言した。 +[[日本]]には銭湯というものがたくさんあり、人々は清潔だ。わが国も銭湯を設けるべきだ。 +わが国の市場では、魚も肉も土の上に並べているが、[[日本]]には屋根のある商店があり、棚の上に品物を置いている。わが都の一部に同じようなものを作るべきだ。 +[[日本]]の川には橋が架かり、通行料を取っている。わが国も川に橋を架け通行料を取ることで、貨幣経済を広げるべきだ。 李王朝時代の文化水準を知ることができる。「[[日本]]の併合がなかったら、[[韓国]]は自律的発展を遂げられなかった」と言っている。 https://i.postimg.cc/CLDFT1S3/heigousyasin.jpg 上の写真は1880年代の[[ソウル]]一番の大通り。下の写真は昭和初期の[[ソウル]]の繁華街。[[韓国]]が発展したのは一目瞭然である。 こんな写真を見せられても、[[韓国]]は「日本支配時代はそれ以前よりも悲惨な生活だった」と主張している。 [[韓国]]よ。「[[日本]]に感謝せよ」と、[[日本人]]は誰も言ってない。けれども「嘘はつかない」というのが最低限のマナーだ。