#author("2018-04-30T13:24:57+09:00","","")

#author("2018-05-18T09:06:57+09:00","","")

[[ニュース]]

*[[麻生太郎]]はなぜ[[不遜]]に映ってしまうのか 臨床心理士が分析 [#fd0e3883]
[[森友問題]]の舞台となったあの国有地には、瓦礫ではなく、[[財務省]]理財局が埋めたパンドラの箱が眠っていたようだ。その蓋が開いた途端、次から次へと問題が噴出。[[太田充]]は、出てくる問題への対応に追われ、連日のように国会で陳謝、陳謝と深々と頭を下げているのだが、財務大臣である[[麻生太郎]]が頭を下げる気配は一向にない。

そんな[[麻生太郎]]に一気に批判が集中したのは、決裁文書の[[改ざん]]を認めた会見のあの態度からだ。[[麻生太郎]]をよく知る人なら、苛立ってはいるが、あれはいつもの“[[麻生太郎]]スタイル”だと思えただろう。でもそれこそが、見ている側に[[不遜]]で[[高慢]]な印象を与えたのだと思う。

**なぜ[[高飛車]]な印象が強くなるのか [#h82432ce]
[[麻生太郎]]の口調は、べらんめぇでぶっきらぼうだ。イライラしていると声音もきつくなり、さらにつっけんどんで突き放した言い方になってくる。このような口調は、感情を押し殺したような冷たさや、支配的な印象を与えやすい。

おまけに質問するレポーターに睨みを利かせたり、そっぽを向く。会見ではこの口調や態度が際立っていたため、冷たく傲慢で[[高飛車]]な印象が強くなった。

そんな口ぶりで「[[佐川宣寿]]、[[佐川宣寿]]」と連呼したのだから、何も言えない部下に[[責任]]を押し付ける上司というイメージが強くなった。職員による口裏合わせを認め、[[太田充]]が国会で頭を下げた時もそうだ。先にこの件を問われた[[麻生太郎]]は、[[太田充]]の方を見もしないで、後ろ手で指し示すと「理財局長から説明させる」と淡々と冷たく言い放った。現場のことは現場の[[責任]]、頭を下げるのは理財局長の役目とでも言いたげな口調と仕草なのだ。

**民間[[企業]]なら謝罪会見で頭を下げるが…… [#u7a866d1]
謝罪を口にするが頭は下げない。部下は頭を下げているのに、偉そうな口調と態度の大臣は頭を下げない。偉そうに見えれば見えるだけ、頭を下げない[[麻生太郎]]の態度が、トップとしての[[責任]]に目を瞑っているようなイメージを与えた。

というのも、民間[[企業]]なら謝罪会見で頭を下げるのが当然、トップとして辞任するべきだと思うからだ。だが、ここには見ている側のバイアスも含まれる。バイアスは思い込みや思考の偏りだ。省庁は民間[[企業]]ではなく、大臣は経営者ではない。民間[[企業]]の謝罪をステレオタイプとして監督[[責任]]を問う声に、[[麻生太郎]]は「立場が違う」と述べた。当然、そこにはギャップが生じて批判が起こるが、[[麻生太郎]]はそんな批判をものともしない。丁寧に説明することもしない。あの口調と態度で「職責を果たすのがトップの姿」と述べるのだから、ますます大臣としての監督[[責任]]を問う声が強まったのだ。

**裏表がないから、つい正直に話してしまう [#d7f08e81]
失言や暴言の数々も[[不遜]]と思われる一因である。2017年夏、派閥の研修会でナチス・ドイツのヒトラーに触れ「いくら動機が正しくてもダメだ」と、後輩議員らに[[政治家]]の心得を述べた。その後、誤解を招いたと発言を撤回。「ヒトラーは動機も誤っていた」と釈明する羽目になった。とはいえ、今の[[財務省]]にこそ、[[官僚]]としての動機は正しくてもダメだと発言してもらいたかったものだ。

失言や暴言の数々も[[不遜]]と思われる一因である。2017年夏、派閥の研修会でナチス・ドイツの[[アドルフ・ヒトラー]]に触れ「いくら動機が正しくてもダメだ」と、後輩議員らに[[政治家]]の心得を述べた。その後、誤解を招いたと発言を撤回。「ヒトラーは動機も誤っていた」と釈明する羽目になった。とはいえ、今の[[財務省]]にこそ、[[官僚]]としての動機は正しくてもダメだと発言してもらいたかったものだ。


[[麻生太郎]]の失言には、このような政治的にタブー視されていることが結構多い。[[精神障害者]]への[[差別]]的な発言や高齢者医療での「さっさと[[死ね]]るように」発言など失言集ができるほどだ。裏表がないから、つい正直に話してしまう。わかりやすく話そうとして、つい言い過ぎてしまう、ということらしいが、似たような失言を繰り返すものだから、反省しない、する気がないと思われる。

「森友のほうがTPP11より、重大だと考えているのが[[日本]]の[[新聞]]のレベル」と、TPPの[[報道]]が「[[新聞]]に1行も載っていなかった」と不満を爆発させたのは先月の事。これがまったくの事実誤認。謝罪に追い込まれても、立憲民主党の[[枝野幸男]]に「当事者意識を欠いた」「[[新聞]]を読んでいない」と批判されても、「[[日経新聞]]にはこんなちょっと」と悪びれることもない。首相時代は&size(20){''漢字が読めないことでも名を馳せた''};くらいだから、これくらいのことは意に介さない。

しかめっ面が多い[[麻生太郎]]だが、こういう時はどこまでも楽観的なのである。この楽観的な態度が、逆に見ている側には気に障る原因になる。思い込みで相手を非難する、悪びれずに釈明するという態度は、やはり上から目線で、本当に謝罪する気があるのかという印象を与える。積もり積もった過去の実績?が、あの会見への批判へとつながっていく。

**野次を浴びせる野党議員に「やかましいな」 [#tab11a29]
前出の研修会では、[[政治家]]を「人が良いだけでやれるような職業ではない」と語ったという。[[不遜]]に見えるのは、[[麻生太郎]]なりのこういう[[政治家]]スタイルもあるのだろう。

[[国会]]答弁中、野次を浴びせる野党議員に「やかましいな」と斜に構え、ドスのきいたべらんめぇ口調で凄みを利かせていたのは、つい最近だ。なめられるのが嫌いで、すぐに悪ぶる。悪ぶる、強がるのは、家柄がよくお金持ち、お坊ちゃん育ち故に、同級生らになめられやすかっただろう[[麻生太郎]]なりの処世術だろう。でも、その態度が、威圧的でちょっと人を小馬鹿にしたようにも見えてしまうのは、育ち故か。

**首を傾げて皮肉たっぷりに否定 [#w9aefd5a]
[[太田充]]が本省相談メモを国会で“公文書”と発言した時は、隣で踏ん反り不満そうに首を振っていた。翌日には「『えっ、相談メモが公文書?』というのが私の感じ」と口を尖らせ、首を傾げて皮肉たっぷりに否定した。自分の失言には悪びれずに釈明するが、部下の間違いは皮肉交じりに指摘するから、&size(20){''自分に甘く、他人に厳しく''};というイメージを与えてしまう。

時には失言が真実になるのも[[麻生太郎]]ならでは。2018年2月には[[佐川宣寿]]について「色々、虚偽答弁等々ありますけど」と、つい口を滑らせた。国税庁長官に適任と発言したのにもかかわらずだ。[[人間]]、そう思っていないと言葉になって出てこない。懸命に[[忖度]]する[[佐川宣寿]]の何が引っかかったのかわからないが、[[佐川宣寿]]の虚偽答弁を快く思っていなかったのだろう。言ってはいけないと思うことほど、口を突いて出てくるものだ。

立憲民主党の海江田に「虚偽答弁があることをお認めになったわけですね」と確認され、「虚偽答弁という指摘もありますが」と訂正。席に着くや渋い表情を浮かべて何やら呟くと、不安からか固く腕組みをしてしまう。「まずかったな」と思ったのか、その後は苦笑いしながら釈明していた。強がって、悪になりきれないのは、やはり育ちの良さだろうか。

それでも、答えられない質問には、うまくかわすが[[嘘]]はつかない。[[麻生太郎]]は正直なのだ。[[改ざん]]を認めた会見では「組織ぐるみでは?」と問われ、左眉をピクリと動かし、「組織ぐるみという定義がよくわかりません」と冷やかに言い放った。今や[[財務省]]は組織ぐるみの[[隠ぺい]]が問われている。

**今さら誰かに認めてもらう必要がない [#l1b63550]
他人に認められたいなどという承認[[欲求]]は、すでに自己実現して首相経験者となった[[麻生太郎]]には、もはや必要ないはずだ。だから[[麻生太郎]]は、世間や[[マスコミ]]からの評価も気にならないし、気にしない。今さら誰かに認めてもらう必要がないから、周りに振り回されることも影響されることもない。いい[[人]]に見せる必要がないから自由闊達、豪放磊落、[[自分]]に正直。それが[[政治家]]・[[麻生太郎]]を[[不遜]]に見せている。

本質的には自分のことを「人が良い」と思っているのが[[麻生太郎]]だ。いや、人が良いのである。そうでなければ、わざわざ[[政治家]]について「人が良いだけではやれない」と話しはしない。

[[政治]]は「結果が大事」とも、後輩議員たちに語ったという[[麻生太郎]]。官邸と[[財務省]]の間に立ち、ここぞとばかりに凄みを利かせ、人が良いだけの[[政治家]]が出しそうな結果にならないよう、決着をつけられるのだろうか。

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