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イラク日報隠蔽 「本当にないのか」稲田朋美に滲む背徳感

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「イラクの日報は本当にないのか」――。どこが「再探索の指示」なのか。自衛隊のイラク派遣部隊の日報隠蔽問題で 2018年4月7日、防衛省が2017年2月22日の稲田朋美の日報の「探索指示」の内容を明かしたが、直接的な探索の指示はなく、冒頭の通り口頭で疑問を投げかける程度だ。

国会答弁の打ち合わせの際、この発言を聞いた統合幕僚監部の辰己昌良も、部下に統幕と陸空の幕僚監部の部隊運用系の3つの担当部署だけにメールを送らせただけ。防衛省自衛隊全体に伝達しなかった。メールの文言で稲田朋美発言は「指示」ではなく、「指摘」と記されていた。

「メールの内容も問題です。〈探索いただき(日報が)無いことを確認いただいた組織・部署名をご教示いただけますでしょうか〉と、日報がないことを改めて確認するのみ。組織を挙げて探し直す気などみじんもありません。この2日前の国会質疑で稲田朋美は『(日報は)残っていないと確認した』と答弁。そのツジツマ合わせに、必ず『ない』と報告するよう半ば強要しているようにも読めます」(日報隠蔽を追及するジャーナリスト・布施祐仁)

今頃になって辰己は稲田朋美発言を根拠に「再探索の指示を受けたと認識した」と言い出しているが、どう考えてもムリがある。日報を探せと指示したのに現場がしっかり応じず、見つかっても隠し続けた――と隠蔽の全責任を現場に押しつけ、逃げ切りを図ろうとする政権側への忖度と受け取られても仕方ない。

何が何でも「ない」ことに

しかも、辰己には“前科”がある。2017年1月、南スーダンPKOの日報が「廃棄した」と説明していた陸自内にも残っていたことが判明。これを受け、当時の黒江哲郎ら防衛省の最高幹部による緊急会議が2017年2月15、16両日に開かれた。「隊員個人が収集していたデータで、公文書にはあたらない」と屁理屈を付け、「対外的に公表する必要はない」と決めたこの席に辰己も参加していたのだ。

「2017年3月に日報隠蔽が報じられて以降、緊急会議での隠蔽方針決定を当時防衛相の稲田朋美が了承したのかも焦点となりました。隠蔽を巡る特別防衛監察は、幹部から稲田朋美に対し『陸自における日報データの存在について何らかの発言があった可能性は否定できない』と玉虫色の結果でしたが、会議に先立つ2月13日に大臣室で日報発覚を受けた幹部らとの協議の際、稲田朋美が『明日(国会で)なんて答えよう』と語ったとされる事務方のメモまで残されていた。ホンの数日前に日報隠蔽を決めた防衛省の上層部にとって、いったん『ない』と答弁したイラク日報も、何が何でも『ない』ことにしたかったに違いありません」(布施祐仁)

数日前に別の日報を隠した後ろめたさから、稲田朋美はイラク日報も「本当にないのか?」と疑心暗鬼に駆られたのではないか。再び国会に招致して洗いざらい説明させるべきだ。


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