#author("2020-01-01T18:39:11+09:00","default:egashira","egashira")
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[[Dictionary]]

*ライダイハン 라이따이한(ベトナム語: Lai Đại Hàn、𤳆大韓) [#ff14e416]
[[大韓民国]](以下、[[韓国]])が[[ベトナム戦争]]に派兵した[[韓国人]]兵士が[[強姦]]し現地ベトナム人女性の間に生まれた[[子供]]、あるいはパリ協定による韓国軍の撤退と、その後の[[ベトナム共和国>ベトナム]](南ベトナム)政府の崩壊により取り残された[[子供]]のことである。
[[大韓民国]](以下、[[韓国]])が[[ベトナム戦争]]に派兵した[[韓国人]]兵士が[[強姦]]し現地ベトナム人女性の間に生まれた[[子供]]、あるいはパリ協定による[[韓国軍]]の撤退と、その後の[[ベトナム共和国>ベトナム]](南ベトナム)政府の崩壊により取り残された[[子供]]のことである。

京郷新聞によれば、[[ベトナム戦争]]が終わって残された[[子供]]は少なくとも3000人以上、2、3万人との推算もある。ベトナム人女性が韓国兵や会社員などと結婚し生まれた子どももいるとされるが、韓国兵による[[強姦]]によって生まれた子どもも多数存在し、国際問題となっている。

ライ「𤳆」(𤳆=「男」偏に「來」旁)はベトナム語で「混血」を意味し、ダイハンは「大韓」(朝:대한)のベトナム語読みであるが、「ライダイハン」という語そのものが[[ベトナム]]の公式文書に現れる例は少ない。[[韓国]]では、ベトナム語からの借用語として取り入れられ、「ライタイハン」(朝:라이따이한)のように発音される。

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**概要 [#o13488ad]
***ライダイハンの数 [#k86e693d]
ライダイハンの正確な数は、依然として、はっきりとは分かっていない。1500人([[朝日新聞]]・1995年5月2日)、2千人(野村進)、500万人([[産経新聞]])、最小5千人・最大3万人(釜山日報)、7千人、1万人以上(名越二荒之助など)など諸説ある。出産者数だけでもこの人数であり、実際の[[強姦]]の被害者数はこの数倍だと考えられている。

彼ら(彼女ら)の中には父親の記憶を持たず、[[朝鮮語]]も話せず、写真だけが唯一残された思い出という者もいる。[[韓国]]との混血児は名乗りでないとの主張もある。韓国政府およびベトナム政府による調査が行われないまま、長期間、問題が放置されてきたことにより、被害者数の正確な把握が困難になったという批判もある。

***ライダイハンの原因 [#kc5ebcda]
原因については韓国軍兵士による[[強姦]]、兵士や民間人が「『[[妻]]』と[[子供]]を捨てて無責任にも[[韓国]]に帰国したこと」とする現地婚、「ベトナム人には[[美人]]が多いので、[[女]]は皆、[[慰安婦]]にさせられた。」とする[[慰安婦]](非管理売春)などと複数のことが言われている。
原因については[[韓国軍]]兵士による[[強姦]]、兵士や民間人が「『[[妻]]』と[[子供]]を捨てて無責任にも[[韓国]]に帰国したこと」とする現地婚、「ベトナム人には[[美人]]が多いので、[[女]]は皆、[[慰安婦]]にさせられた。」とする[[慰安婦]](非管理売春)などと複数のことが言われている。

ただし、南ベトナム解放民族戦線が放送によって、韓国軍による拷問や虐殺事件、あるいは婦女子への暴行事件を連日報じていたことは事実であり、各地の韓国軍による虐殺、暴行事件の生存者の証言に共通する点としても婦女に対する[[強姦]]が挙げられている。
ただし、南ベトナム解放民族戦線が放送によって、[[韓国軍]]による拷問や虐殺事件、あるいは婦女子への暴行事件を連日報じていたことは事実であり、各地の[[韓国軍]]による虐殺、暴行事件の生存者の証言に共通する点としても婦女に対する[[強姦]]が挙げられている。

戦闘終了後の治安維持期に入って、ようやく韓国軍は表向きに兵士の行動を律したが、その後も猛虎師団、青龍旅団、白馬師団などの兵士が、村の娘を強姦して軍法会議にかけられる事件が頻発している。他方、韓国軍の兵士がベトナム人の母と子を置き捨てて帰国したため、軍司令部が再志願させて[[ベトナム]]に戻し、結婚式を挙げさせた旨が伝えられている。
戦闘終了後の治安維持期に入って、ようやく[[韓国軍]]は表向きに兵士の行動を律したが、その後も猛虎師団、青龍旅団、白馬師団などの兵士が、村の娘を強姦して軍法会議にかけられる事件が頻発している。他方、[[韓国軍]]の兵士がベトナム人の母と子を置き捨てて帰国したため、軍司令部が再志願させて[[ベトナム]]に戻し、結婚式を挙げさせた旨が伝えられている。

**背景 [#hb02b78f]
当時、[[韓国]]の朴正煕政権は反共を国是とし、分断国家としての共感を訴えて派兵を推進した。安聖基は「参加する方では『[[男]]に生まれたからには、一度は戦場に赴かねば』という気風がありました」とも指摘している。南ベトナムに派兵された韓国軍は、2個師団プラス1個旅団の延べ3.1万名。最盛期には5万名を数えた。また、「ベトナム特需」を当てこんだ産業資本や出稼ぎの民間人も進出し、これも最盛期には2万人近くが[[ベトナム]]に赴いた。
当時、[[韓国]]の朴正煕政権は反共を国是とし、分断国家としての共感を訴えて派兵を推進した。安聖基は「参加する方では『[[男]]に生まれたからには、一度は戦場に赴かねば』という気風がありました」とも指摘している。南ベトナムに派兵された[[韓国軍]]は、2個師団プラス1個旅団の延べ3.1万名。最盛期には5万名を数えた。また、「ベトナム特需」を当てこんだ産業資本や出稼ぎの民間人も進出し、これも最盛期には2万人近くが[[ベトナム]]に赴いた。

[[ベトナム]]では村ごとに『「ダイハン」の残虐行為を忘れまい』と碑を建てて残虐行為を忘れまいと誓い合っていると主張する人もいる。

こうした中でライダイハンは、これら[[韓国人]]男性とベトナム人女性との間に生まれた。

兵士や出稼ぎの民間人による本国への送金は、年に1億2千万ドルを数え、1969年の[[韓国]]の外貨収入の2割に達した。65年から72年までのベトナム特需の総額は10億2200万ドルにのぼる。これは[[アメリカ]]による軍事・経済援助、日韓基本条約による莫大な援助と合わせて、漢江の奇跡の基礎となった。

**韓国政府の対応 [#tb5d4e4f]
[[韓国]]の民間団体や[[韓国]]のキリスト教団体とベトナム政府の支援により、支援施設(職業訓練学校)が設立され、無償での職業訓練と[[朝鮮語]]の教育が行われた。ただし、ライダイハンの支援よりも、ベトナム国民を対象とした活動になっているとの批判がある。

ライダイハン自身が、[[韓国人]]である父親に対して実子であることの認知訴訟を起こし、判決により[[韓国]]国籍を取得する動きもある。盧武鉉政権は2006年に、写真など客観的に立証できる手段があれば[[韓国]]の国籍を付与する法案を検討するとした。

なお、韓国政府は2009年に[[ベトナム戦争]]の解釈をめぐってベトナム政府と衝突するという事件があった。2009年に[[韓国]]の国家報勲処が国家報勲制度の改定作業を行い、国会に法案改正の趣旨説明文書を提出した。この文書で[[ベトナム戦争]]参戦者を「世界平和の維持に貢献した[[ベトナム戦争]]参戦勇士」と表現したことに[[ベトナム]]が、「我々は被害者。[[ベトナム戦争]]の目的が、なぜ世界平和の維持なのか」と猛反発し、予定された李明博大統領のベトナム訪問も拒否する方針を伝えた。[[韓国]]側は、柳明桓外交通商相を[[ベトナム]]に派遣し、外相会談で「世界平和の維持に貢献」の文言を削除することを約束し、李の[[ベトナム]]訪問を予定通り実現させた。一連の外交交渉で、ベトナム政府は「侵略者は未来志向といった言葉を使いたがり、過去を忘れようとする」と批判した。

**韓国マスメディアの反応 [#pddbc33e]
後の[[韓国]]大統領である全斗煥は白馬師団第29連隊長として、盧泰愚と同様にベトナム派兵で活躍した指揮官だった。最大の圧力団体である軍部の存在もあって、[[韓国]]では[[ベトナム戦争]]を批判的に取り上げることをタブー視する雰囲気が存在した。しかし後年、徐々に[[国民]]の意識が変わり、SBSでライダイハンをテーマとしたドキュメンタリー『大韓の涙』が放送された。

[[リベラル]]紙を発行するハンギョレ社は、1999年5月に自社の週刊誌『ハンギョレ21』にて掲載した記事を皮切りに、[[ベトナム]]での[[韓国]]の戦争犯罪やライダイハン問題をたびたび取り上げ、[[韓国]]の世論に衝撃を与えた。これに対し、[[韓国]]の海兵隊の退役軍人にて組織される「枯葉剤戦友会」などの団体は、2000年6月27日に2400名という大集団を率いてハンギョレ社を襲撃した。彼らは同社内のあらゆる事務機器を破壊し、同社幹部を監禁し、同社の従業員十数名を負傷させた。これだけの不当かつ大規模な暴力事件が生じたにもかかわらず、[[警察]]に連行されたのはわずか42名に留まり、身柄を拘束された者は4名のみであった。

フィクションでは、2007年に同じくSBSで、新ライダイハンが[[ヒロイン]]の連続テレビドラマ『黄金の新婦』が放送された。

**アメラジアン [#mc14d221]
戦時下の[[ベトナム]]においては、アメリカ軍兵士とベトナム人女性との間にも多くの二世(越:Lai Mỹ/ 𤳆美、ライミー)が産まれた。一説には1万5千人ないし2万人とも推計されている。

南北統一後の[[ベトナム]]では、当初、ライダイハン同様に「敵国の子」とされ、迫害の対象となった。1987年に[[アメリカ]]政府は混血児とその家族の移住を受け入れ始めたが、なお[[ベトナム]]に留まる者も多かった。しかし、その後、越中戦争(中越戦争とも)において[[中華人民共和国]]と敵対した関係から西側諸国と[[ベトナム]]との関係改善が割合早期に行われたことなどから、ライダイハンほど激しくはなく、ドイモイ以降の政府の親米路線により激しい迫害は見られなくなった。

**ライダイハンのための正義 [#g1486092]
ライダイハンのための正義(英: Justice for Lai Dai Han)は、2017年9月12日に[[イギリス]]で設立された市民団体。「[[ベトナム戦争]]において韓国軍兵士からの性的暴行に遭った[[女性]]たちが苛酷な[[人生]]を送っていること」を知らしめる目的で、[[イギリス]]の市民活動家であるピーター・キャロルが呼びかけ人となって設立された。
ライダイハンのための正義(英: Justice for Lai Dai Han)は、2017年9月12日に[[イギリス]]で設立された市民団体。「[[ベトナム戦争]]において[[韓国軍]]兵士からの性的暴行に遭った[[女性]]たちが苛酷な[[人生]]を送っていること」を知らしめる目的で、[[イギリス]]の市民活動家であるピーター・キャロルが呼びかけ人となって設立された。

ロンドンで開かれた設立イベントには労働党のジャック・ストローも参加している。団体のメンバーの英国人フリージャーナリスト、シャロン・ヘンドリーは、ライダイハンを育てたというベトナム人女性7人に聞き取り調査を行っており、「韓国兵は多くのベトナム女性に性的暴行を加えたり、[[慰安婦]]として強制的に慰安所で働かせていた」と報告している。

こういった事実関係究明のため、イギリス議会に調査委員会設置を求めると共に、イギリス人彫刻家のレベッカ・ホーキンスが被害女性とその[[子供]]たちのために制作した「ライダイハン像」を披露した。等身大ライダイハン像を制作し、在ベトナム韓国大使館前などに設置し世論喚起することを検討することを発表している。

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