#author("2018-03-15T20:06:10+09:00","","")

[[Dictionary]]


*普通人 [#z03811cb]

普通人(ふつうじん)は、人の一種。主に裁判所に勤務する。



**概要 [#t9abd0de]

裁判所がたびたび「ある」、または「いる」と主張してやまない社会通念と同じく、度々判決文に登場するが、いまだ「普通である」以外の詳細は不明な[[人間]]である。チャタレー裁判で最高裁判所が出した「わいせつ」の定義の一部『普通人の正常な性的羞恥心を害し・・・』で、彼の存在が世に知らしめられたとされるが、このわいせつの定義が、D判定を貰うこと必至の卒論レベルの具体性しか持っていないため、彼の存在を確かめるすべが今のところないとされる。しかしながら、この普通人はその登場から50年たって起きた松文館裁判の判決文にも、まったく当時と寸分の狂いも無く同じ格好で登場した。そのため、「どう考えても[[普通]]ではない」という批判が起きたが、そこのところはどうやら最高裁判所は都合よく見えないらしく、あくまで「普通人」の存在を主張するだけで、トートロジー的展開すら見せないところを見ると、裁判所はその存在は自明であるとしている、という構えであるようだ。



だが、人物の詳細は不明である。



**凡人との関係性 [#nd8c4b87]

同じような言葉に凡人があるが、複数の点で普通人とは異なるとされる。まず字づらが違う。「人」の一字しか共有してない。これで一緒のものだとか言えるだろうか、いや言えない。次に、出現する頻度が違う。普通人は、[[普通]]の生活には[[普通]]は出てこないが、凡人はそこのところ、やたら出てくる。すれ違う車が、ホンダであるくらい普遍的である。一方、普通人は、痛車仕様のマイバッハを見るくらい滅多にでてこない。



最後に、意味が違う。凡人とは「[[普通]]の人」を指し、普通人は「一般の人」を意味する。



**[[一般人]]との関係性 [#k3feebc0]

[[一般人]]と普通人の性質的な違いは、ぶっちゃけ無い。三咲里奈と伊藤静の関係と同じである。マナカナの関係とは違うので、注意されたい。



さて、前者は、頻繁に判決文に登場するだけでなく、会話、メディア等々にも登場する人気の高さを持っている。一方、普通人はまず[[普通]]の会話には登場しない。判決文にたまに出てくるくらいである。その点、つまり彼(または彼ら、彼女、彼女ら、ボク、ボクら、君、君ら)は、一部の裁判官が溺愛している点で、[[一般人]]の一般性と異なる。そして「その『[[一般人]]』と異なること」が、彼(または彼ら、彼女、彼女ら、ボク、ボクら、君、君ら)の自己存在証明のひとつだとされる。[[一般人]]という言葉が、[[バカ]]でも理解できる容易な言葉で、若干の小難しさに美学を感じてならない裁判官は、あえて本当は性質的に同義でありながら、普通人を登用するのである。このことは、裁判官の業界紙「KANKAN」で「社会一般に解釈の余地が十分に残されながらも、一般的でない語彙選択による自分らしさの演出」の特集が組まれた点でも伺える。



でも結局、人物の詳細は不明である。



**関連項目 [#c7429750]

-裁判所 -主な勤務地

-普通の人々

-パッと見、普通


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