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冤罪

冤罪(えんざい)とは、無実でありながらも犯罪者として扱われてしまうことである。濡れ衣ともいう。

概要

冤罪とはやってはいないのに罪を犯したことにされてしまうことである。ただ、これは未だ法的な概念ではなく「誤審」「誤判」といわれることもある。法整備が整ってなかった古代・中世では、冤罪は日常茶飯事だったと推測され無実の人間が多く処罰されていたとされる。

現代日本においては、満員電車などにおける「痴漢冤罪」が度々マスコミに大きく取り上げられるなど問題になっている。

痴漢冤罪

痴漢冤罪とは、痴漢行為を行ってないのに行ったことにされることである。

日本においては圧倒的に電車での冤罪事件が多い。

20世紀後半から騒がれ冤罪が話題になった。

冤罪に付いての考察

は過去をみることができない。だから、はその当時の様子をに聞き、合理的判断をする。しかし、それはあくまで「確信」であり、「真実」ではない場合がある。当然のことである。だから、冤罪は無くさなければならないが、完全になくすことはできない(過去にさかのぼり事件を実際に見られるのなら別だが)。

ただ、間違えることよりもたちの悪い原因がある。「作られる冤罪」である。

国家企業自分の都合のよいようになるように、真実をねじ曲げることがある。また「自白 is the god!」という風潮があり、検察が執拗に取り調べ、精神的苦痛を負わせて「やっていない」のに「やった」と言わせてしまうことがある。

みなさんがあってしまうかもしれない一番身近な冤罪だと、「痴漢」だろうか。今現在痴漢に関しては「女性天下」になってしまっている現実がある。いくら男性がやっていないといっても、女性(被害者?)はやったやったと言えば、大体の場合、男性はやったことになってしまう。

ただ、冤罪は「全て無くすことはまずできない」が「減らすことは十分できる」ものである。冤罪の量、問題点を国民一人一人が知れば、意識も上がり国家や検察などの「作られる冤罪」を減らせるかもしれない。健全化できるかもしれない。

これはあくまで執筆者個人の意見である。いろいろな資料や本やらネットやらでいろいろな意見を見て、自分なりの意見を作っていくことが大事だと思う。

有罪率99.98%

日本では、逮捕された後に起訴をされ刑事裁判にかけられると99.98%の確率で有罪判決が下る。10000回に2回の計算である。これはナチスドイツやヨシフ・スターリン政権下のソ連よりも高いと言われている。

つまり、裁判にかけられた時点で無罪判決は諦めたほうが良いという意味であり、これは他のと比べ飛び抜けて高い有罪率であり、しばしば内政干渉の道具ともなる。

しかし、これには大きな理由がある。即ち、無罪判決が出た場合、マスコミや世論が大々的にこれを報じ、「無実のに濡れ衣を着せた」といったように検察官や検事、検察組織を激しく非難する。

そのため、検察側が予め事件の案件に対し「この事件はまず寸分の間違い無く絶対に1分の狂いもなく誰がどこからどのようにどう見ても有罪だ」と確信し得ない限り不起訴、つまり起訴をせずそのまま釈放してしまうのである。

そのため、日本では不起訴率が諸外国と比べて段違いに高い。アメリカ検察官に対して「何%有罪ならば起訴するのか」と聞くと「50%から51%なら」と答えるが、同じ質問を日本検察官にすると「100%、いやそれじゃ足りない。120%」と答えるそうである。

このような文化の風土違いを無視して、起訴された事件の中での有罪率だけを見て日本の司法を批判するのは著しくアンフェアなやり方であり、厳に慎むべきである。ちなみに、不起訴も含めて逮捕からの有罪率で見ると、日本は欧米諸国と殆ど変わらない数字になっている。つまり日本は他の国の検察官と比べて起訴するハードルが極めて高いのである。

言うなれば検察組織が無罪判決を極端に嫌っている(もっとくだけた言いかたをすればビビっているわけである)がためにこのようなことが起こるのである。

そのため、冤罪事件そのものは全体から統計的に見れば非常に僅かであり、実際に99%有罪の容疑者でも1%無罪であるから不起訴で、被害者が泣き寝入りを見てしまったといったことの方がはるかに多いのである。それも本当に客観的に有罪と認められる決定的な証拠が残されていなかったのであれば、(有罪の定義の観点から見て)無罪判決が出るのもやむを得ないところなのだが、警察検察の対応のまずさが起訴・不起訴の判断や裁判の判決に影響を及ぼした、ということだったとしたら被害者側にとってはたまったものではないだろう。

実際に逮捕されたとしても65%以上は不起訴である。犯罪白書によれば、殺人ですら逮捕された半分以上の容疑者が不起訴になって釈放されているのである。例えば平成27年度版の犯罪白書において、平成26年における罪名別起訴率を調べると殺人34.6%、強盗53.3%、強姦37.2%、強制わいせつ45.8%などとなっている。犯罪全体では起訴率は32.8%であり、これは仮に逮捕されても67.2%は不起訴になる計算である。

このような極めて高い不起訴率を非難するもいる。

だが検察側の言い分としては「だってそれで無罪になったらお前らみんな怒るじゃないか。疑わしきは罰せず何だろ?俺達は疑わしきは最初から裁判にもかけないのさ」ということである。

「疑わしきは罰せず」というが、正確には「疑わしきは被告人の利益に」であり、被告人の立場から言えば、有罪になるかもしれない裁判を戦う時間的・精神的・金銭的な負担を強いられるよりも、不起訴としてすぐに釈放されたほうが利益になるのも事実である。

このように、検察が予め無罪になりそうな事件を不起訴として弾いているため、このような有罪率が出てくるというわけである。そのため、大ベテランの裁判官の中にもキャリアの中で1度も無罪判決を書いたことがないという裁判官も決して珍しくなく、弁護人の争う争点としても「有罪が無罪か」ではなく「情状酌量」つまり「死刑にするか否か」や「執行猶予を付けるか付けないか」といった点が主となっている。

もちろん、無罪判決が出たということは、無実のを抑留したということになってしまう。それを避けねばならないということを考えれば、現在の日本検察の体質も非難はできまい。

裁判であたかも推定有罪のような空気がまかり通っている理由としては、実際には検察官たちが無罪判決を出されて世論に非難されるのを嫌がり、少しでも無罪の可能性がある事件を不起訴にする事情があるためと考えられている。要するに「推定無罪の概念を履き違えている」と言うこともできるであろう。

また、痴漢容疑に関しても、最近では(衣服の証拠など)科学的な捜査が取り入れられ、無罪判決が増加し、また「それでもボクはやってない」などの映画から痴漢冤罪もクローズアップされ、やはり検察裁判に非難が集中した結果として、やはり不起訴となる場合が増えているようである。

検察審査会と強制起訴

検察があまりにも起訴に慎重な情勢に対し、立法・行政側も全く無策だったわけではない。元々、GHQとの妥協で生まれた検察審査会が検察の不起訴の決定に対して妥当かどうか異議を申し立てることが出来た。

しかし、この検察審査員は、裁判員と同様国民から無作為に選ばれた集団であるため、検察官も強制力がないとして無視することが多かった(彼らからすれば何も知らない素人から無罪になりかねない人間を起訴しろと言っているようなもので、被告にとっても不利益になるため、突っぱねるのはある意味当然といえば当然である。)

そこで、検察の不起訴率の極端な高さに対する裁判員制度と並んで司法に国民の意見を取り入れるべく、「強制起訴」と呼ばれる制度ができたわけである。検察審査員の11人中8人の賛成で行われる起訴議決を検察が無視し、もう一度起訴議決を行った場合に強制起訴となる。

もちろん、検察官としてはお前らが勝てないと判断した裁判をやれと言われたら堪ったものではないため、指定弁護士と呼ばれる、検察官業務を担当するいわば「検察官役」の弁護士が検察側として充てられることになる。

さて、このように無理矢理強制起訴した事件では、案の定無罪率が極めて高い結果になっている。この制度は法学者のみならず法曹界からも検事、弁護士、裁判官の立場を問わず、「いたずらに無実の人間を起訴している」として大きな非難の対象になっている(このことからも、有罪率が高いことを悪とみなす批判は全くの的外れであることが分かる)。

逆に言えば、国民が怪しいと思い、実際に警察逮捕したとしても、検察が不起訴にするにはそれなりの理由があるわけである。感情的に起訴をしたところでいたずらに無罪判決を増やし、それはつまり無実の人間に余計な負担をかけたことに他ならないのである。元々、検察裁判を諦めた事件を強制起訴しているわけだから無罪率が高いのは当然というのももちろん正しいわけであるが、何だかんだ言っても検察のこうした起訴不起訴の篩分けがある程度は優秀であったことの証明になっているとも言えるだろう。

関連項目


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