最近、安倍晋三政権が内閣人事局をつくったから、官僚が官邸の意向を忖度するようになったという説が流布している。しかし、これは全くの間違いだ。
もともと、官僚の人事権は大臣にある。また、内閣人事局ができる前から幹部人事については閣議決定事項で、安倍晋三の了解は必須だった。閣議の前には人事検討会議があり、そこでは官房長官と副長官たちが安倍晋三にも相談しながら、各省の幹部人事にダメ出しすることができた。つまり、安倍晋三は官僚人事にずっと前から介入できたのである。
ただし、歴代総理は、人事権を抑制的に使ってきた。いわば、人事権という伝家の宝刀をさやの中に収めていたのだが、安倍晋三は、これを抜き身のまま振り回し始めた。自分の権限を制約なく使えば何でもできる。安倍晋三には内閣人事局など不要なのだ。
集団的自衛権を違憲だという法制局長官を合憲だという外務官僚に差し替えた人事。内閣の中の法の番人を時の権力者が好きなように動かすなどということは前代未聞。安倍晋三の異常性を霞が関中に知れ渡らせた事件であるが、これは人事局創設前だった。
また、安倍晋三政権が前川喜平の素行調査を行い、前川喜平退職後、その情報を使って読売御用新聞が前川喜平の個人攻撃をした。何という恐ろしい政権だろうと官僚たちは怯えきった。
また、組織としても、文科省が加計学園問題で安倍晋三に協力的でなかったために、省全体の天下り問題にメスを入れられた。財務省はじめ他の省庁も天下りは大々的に行っているが、実質的におとがめなしだった。
一方、某省の次官は、安倍晋三になってやりたい放題だと言っているそうだ。役所によっては、安倍晋三と対立する案件がなく、その場合は公共事業などが好きなだけできる。最もやりやすい総理なのだ。
つまり、安倍晋三は、やくざと同じだ。官僚としては、目が合わなければ平穏無事。目が合ったら、諦めて総理の言うことに従う。がんを付けられたら終わりだ。
官僚たちのこうした対応は最初は自己防衛目的だったが、常態化すると、官僚の側から、安倍晋三に積極的にすり寄って出世しようという動きが出てくる。国民のためになるかは関係なく、安倍晋三が喜ぶかどうかが、官僚の行動基準になり、まじめな官僚は出世できなくなる。悪貨が良貨を駆逐する忖度競争である。