加藤智大(かとう ともひろ)は、間違いなくリア充の顔をしていた。第二次加藤の乱を引き起こした人物でもある。
加藤智大とは、2008年6月8日秋葉原のホコテンにトラックで突っ込んで7人を討滅した事件(一般的に「第二次加藤の乱」と呼ばれる)を起こした、2000年代を代表するシリアルキラーだ。殺戮後、ほぼ全ての人生行路がマスゴミにより暴かれ、皆が抱くワイドショー独占の夢を実現した。
殺戮場所を聞いて、一般大衆は「遂にオタどもを膺懲する勇者が現れた!」と歓喜した。しかし、それは間違いだった。加藤はむしろ、ネギまのファンサイトを開設する程のアキバの一員だったことが判明した。
すると大衆は、「何だそうだったのか、自分の居場所を凶行の現場にするとは恐ろしい奴らだな。派遣社員ってのもやっぱり怖い」と哀れんだ。加藤が自分を「非イケメン」と表象していたこと、僕は友達がいないとコンプレックスを抱いていたこと、ネット上で孤独に発信していたこと、何度も転職を繰り返していたことがそのイメージを補強した。
だが、その自画像は周囲の証言によって大きく覆された。「加藤は友達いない孤独な面白味もないどうしようもない犯罪者だった」ことにするのが張成沢より安全な模範的総括とされる中、そうでない加藤の一面を語る証言者たちは、皆本当の意味の友人であり、加藤が決して自分でいうようなぼっちでなかったことを証明している。
周囲の証言によってみえてくる加藤は、このような人物である。
青森育ちの加藤は母親に厳しすぎる教育を受けて育った。そして、中学校まで文武両道の模範生を演じ、今日の学生用語でいうリア充生活を満喫しているようにみえた。加藤は母親を見習って、喧嘩を話し合いを持たず力でもって解決し、大きくなったら母と同じことをすると宣言しているようにみえた。
これは「児童虐待」を受けて育った生徒からみると、考えられない充実ライフだ。虐待を受ける生徒はおしなべて成績が悪く、先生から褒められる機会などまず与えられないのが当たり前であることを考慮すると、青森の運動不足ないじめられっ子たちはスポーツ万能の加藤がとんでもない勝ち組人生を送っているようにみえたことだろう。
加藤は県立青森高校に入学してから、成績を劇的に低下させる。しかし、成績降下が縁の切れ目と、友達がいなくなるぼっちライフに入ることはなかった。むしろ、中学以来の友人の家でゲーム脳の素質を見出され、その手の才能と交友関係を拡大することができた。この時、加藤は友人の家に泊めてもらえるほどの関係になっていたことから、友人が結構いる生活を送っていたことが伺える。
車ゲーが好きだった加藤は自動車業界の一角に入ることを夢み、岐阜県の中日本自動車短期大学に入学するも、自動車整備士の資格をとれずに退学する。人生オワタと思いきや、加藤は仙台に引っ越した友人の家に居候し、ネット用語でなく本物の警備員となり、準社員にまで昇格した。短大中退としては考えられない出来事であり、自身の証言とは異なり真の意味での友人関係があったことを伺える。「いきなりキレることがある」と恐れられてもいたが、その頃は「まあ、警備が仕事なんだから」とむしろ頼もしくみられていた。
その後、加藤は「なーんて、全部嘘っぱちだったんだけどさ~」と言って職場放棄するように退職を繰り返す生活を送るようになるが、その度にしつこく新たな職を獲得してきた。ある時加藤は、社長なのに赤字で副業を余儀なくされた中年に対して、「貴方は社長という座にいるんだから、勝ち組だ」と説教した。中年は激怒し、「自分が加藤を叱って、唯一の相談相手になってやった」などと証言しているが、第三者からはどうみても加藤がしがない中年の相談を聞いてやっているようにみえたという。
加藤が自殺を図ったこともあった。周りは「お前はマスコミで自殺するような人間でない性格階級なんだ」と止めに入った。加藤はそんな人間だと周囲からみられていたのだ。
知り合った女性を現実社会で[ アーン♥♥ ]しようとしてフラれた加藤は自殺を図るも復活して、念願の自動車工場に勤務する。奈落まで堕ち切って子供の時からの夢を実現させるとは何という悪運の強さだろう。勤務地となった静岡県裾野市のトヨタ系関東自動車の工場は理系男子共同体の延長線上にあり、その手の文化を堂々と誇示できる恵まれた環境下にあった。模範社員とみなされた加藤は同僚をアキバの聖地に招待し、僕余裕なとても充実した生活を送っているようにみえた。
しかし、ある日その手のマークを付けた自分の作業着がないことを知り、傷心して無断帰宅する。しかし、模範とみられていた加藤はその場で即刻クビ、寮追い出しという派遣社員として当然の処分を喰らうことなく、「またキレた。まあものづくりに熱心な工場労働者だから許されるよくある個性表現だ。数日したら何事もなかったように戻ってくるだろう」と温かい眼差しでみられていた。
加藤は大規模な示威行為を計画した。どこにでもあるダガーナイフをわざわざ福井市まで買いに行ったのだ。その行為を実況して真面目に受け止める者が一人でもいれば、職場に復帰するつもりだったのだ。しかし、それに気付いた職場の同僚は一人もいなかった。加藤は人生初のリアルな非リア充感覚を味わい、復讐計画の実行を決意した。
加藤は一見、充実生活を送っているようにみえた。しかし、加藤はその裏でネット上で「モテない」人格を演出し、究極の交流と題してやりたい放題を展開した。しかし、これを知った現実世界の加藤を知る人間は、「ネット上のモテないし…はただの自作自演にすぎない」という仮説を補強した。
加藤は2ちゃんねるを大学みたいと嫌い、「特定少数」以外誰も気にしない携帯掲示板での活動を好んだ。モテない感情をネタにすると受けるはずのEgachan Galleryは、異国の価値観が集う外国語大学みたいでもっと嫌っていたと言われている。携帯掲示板は2ちゃんねるより勝ち組向けの媒体だと、加藤は本能的に察知していたのだ。
加藤はリアル派だった。孤独者なら絶対発想しないことに、会社を無断退社してまで参加するコミュニティーのみんなに直に会いに行くべく全国旅行を決行したのだ。家に籠る非リア充の影など、加藤には無縁のようにみえた。
しかし、携帯掲示板にはイザという時の管理人がいなかった。自分のモテないキャラをパクる偽物が現れると、加藤は現実世界と同じように偽物の追放を訴えた。それは、「こんな世界でマジに人格権主張してどうするの?」という立場の管理人には手に余るものだった。本当のモテないキャラになることが、リアル世界の充実しているようにみえた加藤には我慢ならなかったのだ。
加藤はネギま先生の大ファンだった。その他好みとしたのは、表面上の充実顔からは想像しづらい内面重視系のアニメだった。内面重視ならアニメ以外のメディアを選んだ方が女にモテるだろと助言されたこともあったが、アニメは所詮娯楽であり、煩悶する少女たちの内面をいざとなったら肉体ごと踏み躙って俺の嫁にしてもよいという業界のお約束が加藤をその道にいざなった。
加藤はガンスリンガー・ガールというイタリア拳銃アニメのセリフを全部そらんじられるほどの重度オタだった上に、そのセリフをカラオケで暗唱しても「内面の表出」として気持ち悪がらずついてきてくれる友人にも恵まれており、最も健康なオタク同志と仲間からみられていた。
では、加藤はどうして秋葉原へ特攻していったのだろう?それは常識人として最後の瞬間ぐらいイケメンの勝ち組でいたい、生まれてから属してきた位階に属したいと思ったからに違いない。それは、事件を目撃した一般人の第一感が「オタク討伐の勇者現る!」という他所を襲撃していては決して巻き起こらない感覚だったことを思えば明白だ。
傍目にはとっても充実した生活を送っているように見えるあの人が、2010年代の加藤智大になるのかもしれない。例えば名古屋の大野木亮太や柏の竹井聖寿のような。