変人(へんじん)とは、自分と価値観が違う人間を指す言葉である。
人は誰しも自分が基準であり、程度の差こそあれ、自分こそが普通だと思考する傾向がある。そうして、自分とは違う人間のことを変人と呼び、自分とは違うと思うことにより、自分がさも一般人であるようにふるまうのである。しかし、「みんな違ってみんないい」という言葉があるように、他人と違う部分が出来るのは当たり前であり、自分とは違うからこいつは変人、自分は一般人という考えは幻想にすぎないのである。
それを知ってか知らずか、変人というレッテルを他人に貼りたい自称一般人は、自分が知っている全ての人間、他人から聞いた一般人像からステレオタイプを作り出し、そのステレオタイプから外れているとして、その対象者を変人扱いするのである。
また、変人の同義語に奇人があるが、ウィキペディアで昔、奇人から気違いへのリダイレクトが貼られていたように、変人よりも差別的な意図で使われている場合が多い。
変人とよく混同される存在に変態があり、ただでさえ変態という言葉自体が変態性欲と混同されているのに、全く意味が違う変人まで変態と混同されている。さらには、変態という名の変態性欲の意味を恣意的に拡大し、AKB48やモーニング娘。のファンをロリコンとか、母親の介護をする人をマザコンとか言って変態・変人呼ばわりする人間すら存在する。そのようなこともあり、一度変人呼ばわりされると、もれなく恣意的に歪められた変態の称号まで送られてしまうことも多い。
これは、パソコンについて詳しければアニメオタクであるというなど、根拠のないことをさも事実である用に、自称一般人たちは変人であれば変態であるという差別を平然と行うのである。
人は誰しも程度の差こそあれ、変人の素質を持っている。それは人間に個性がある限り、当たり前のことなのである。そして、一般人の作り上げたステレオタイプ像から外れてしまった人間も、決して不当なレッテルを貼られたり、差別されるいわれはないのである。
また、ステレオタイプ像から大きく外れた人間の中には、変人という言葉自体に悪い意味はないため、変人を自称するものも一定数存在する。それは、変人と呼ばれた者たちの地位向上に大きく貢献している。
そして、Egachan Galleryには変人が多いという偏見を持った人間も一定数存在するが、それは風刺に携わる者が一般的にいう変人であったことが多かったため出来たステレオタイプである。それを誇りに思うか、蔑称と思うかは人それぞれであるが、風刺には人と違った見方をする必要があるため、変人の目線が必要なことは確かである。
とにかく、Egachan Galleryを含めた、この記事を読んでくれた全ての人に、変人と呼ばれることを恐れず、むしろ誇りに思う心を持ってほしいのである。