蔑称(べっしょう)とは、発言者が相手に対し、軽蔑や卑下の感情を抱いた際に使用する呼称である。侮蔑語、差別語、差別用語などと呼称する場合もある。
対義語は雅称。
だと自分が感じた場合、その相手に対し、侮蔑を込めて用いる呼称である。また社会や宣伝媒体がそれを助長する場合もある。人間の醜い心の現れとする場合が多い。
その一方、嫌悪感を正直に表した結果である。自分の判断基準における異質者から、自分や集団の秩序を守ろうとする性質の裏返しである。それは人間である以上ある程度は仕方がない、とする意見もある。
または、何かしらの事実誤認によって実態とは異なる解釈がなされ、その解釈の下で呼称が定められた結果誤解を生むような呼称になってしまったりする場合もこう言うときがある。
どちらの場合もいらぬ先入観を発生させるため、発言は好ましいとは言えない。
確かに、その言葉に何らかの悪意があり、それの浸透で負のイメージを増長したり、何らかの事実誤認で出来た呼称が原因で誤解を生じ続けている場合も間違いなくある。
しかし、世間一般に普及するうちに蔑称としての意味が薄れて消えてしまったり、何らかの理由でイメージが是正され、意味が逆転して良い意味にしてしまう場合すらある(ニコニコで多いのは理解を超えた能力を発揮する者に対して、バカ、キチガイ、廃人、変態、と呼称するなど)。
その一方で、逃げるように何度も何度も呼称を変更したり、過剰にこじ付けして変更している呼称がある一方で、自閉症など実態とかみ合ってないのに残ってるものもあることから、当事者や支援者などの主観とエゴ、最悪被害妄想によるところも大きい。
さらに、遠まわしな表現にすることで「直接言うに堪えないほど実態が悪い」ように見えたり、あらゆる言葉に悪意があるかのように疑心暗鬼になってしまうことで周囲の物が目に映らなくなったり、一律かわいそうであるという別の卑下を発生したり、周囲から孤立化したりする場合がある。
如何なる雅称も後ろに(笑)をつければ容易に蔑称となる事(例:スイーツ(笑))からも分かるように、言葉を変えたとしても、同時にそれに対するイメージを変えない限り、効果は無いのである。
上記のような言い換え批判論者からは「言葉狩り」と呼ばれる場合がある。
一方、言い換えは必要だとする意見もある。差別的要素のある単語を言い換えなければ、イメージを変えるきっかけすら生まれない。例として認知症や統合失調症などの名称変更が挙げられる。かつての名称は、それぞれ「愚かな人」「精神が分裂する」と不要な退避観念を発生させていた。著しいイメージ悪化を招いた。その偏見に苦しんだ当事者や家族自らが言い換え運動を起こした。「ソープランド」もトルコ人の言い換え運動により、改められた。これらを放置し続けれていれば、現在でも国際社会から批判されていただろう。
また「看護師」などの言い換えも、現在では男女共同参画の観点から必要と言える。単語は時代とともに変化していく。
省略形の蔑称はもともと侮蔑的な意味ではない。しかし長年に渡る使用継続の結果、差別的意味を含むように変化した。そのため時として正式名称に言い直す、新しい単語を創作する必要がある。
「言葉狩り」の批判には「使い慣れた言葉の方が分かりやすくていい、などと理由をつけて使い続けようとしているもの」であり、「意識・無意識下での偏見・差別等が継続、もしくは助長される」と言える。