ゆとりピザとは、教育に関するものでは最も大規模な国家プロジェクト「一億総白痴化計画」の第一段階ゆとり・プロジェクトにより大量生産されたピザ体型の人工低脳児のこと。その殆どは学校にも通わず、定職にも就かず、2ちゃんねるやウィキペディア、事実無根です、チャクウィキ、ニコニコ動画、YouTube、その他のサイト、コミュニティに入り浸っては荒らし行為や糞スレ乱立などで自己顕示欲を暴走させることに明け暮れている。要するに寄生虫の一種。親の死をきっかけに生活保護受給者というお国すら味方につけた無敵の究極体に進化することもあるので要注意。
このような輩が発生したのは間違いなく1996年以降に具現化したゆとり教育にある。ゆとり教育以前のいわゆる「詰め込み教育」とされるものは、大学受験に必要な知識だけを詰め込んであとは全然役立たない「頭でっかち人間」を量産してきた。
そんな人間ばかりになったらめっちゃヤバいと考えた文部官僚寺脇研を始めとする一派は学習内容を緩くした学習指導要領を施行し、学校の勉強や社会常識ばかりに縛られるのではなく多様な生き方を模索する人間の生産を目指した。来るべき世界の荒廃に備えるべく、「生きる力」を持つ優良な新人類の創造を試みたのである。その結果、殆どの子供達は見えない敵と戦う能力者、平等を重んじる優しき覚者、超越次元の自我を持つ者、完全なる自由の求道者などなど強力な超越者となった。秩序に縛られない彼らは、気ままな未来を謳歌するだろう。これは人間というものが安きに流れる性質である以上は仕方のない現象と言える。ほら、どっかの大手出版社の編集者も「水は低い方へ流れ、たくさんの知識が入った水瓶はだめな方に行くと減ってしまう」みたいなことをおっしゃってたじゃないか。
結局、愚民社会と化した21世紀の洗脳大国日本には、ゆとりピザだけでなく、DQN、ビッチ、KY、厨房などの劣等民族が大量発生しただけであった。現代のどうしようもなく頭が弱い若者たちは劣化した日本を象徴する存在と言える。
ずぼらな人間はその場にある便利なものだけを摂取するようなる。以前であれば「食っちゃテレビを見て寝る」というのがその種の人間のパターンであり、外に出ない限りは害をもたらすことは少なかった。
だが、90年代後半に入りパソコンが各家庭に普及し、インターネットの発達により情報を受け取るだけでなく、発信もできるようになると、様相は一変する。自分が気に入らないと思ったものに対する反応即ち抗議、嫌がらせといった行為が、以前のように葉書を書いてポストに投函したり、電話することなどに比べ、コストやリスクが軽減されたため、人前では精神薄弱でコミュニケーションが苦手とされる人間や、漢字が書けない筆不精な人間が、インターネットのウェブサイトに雲霞のごとく群がるようになってきたのである。つまり「食っちゃテレビを見て寝る」から「食っちゃネットをして寝る」に代わってきたわけなのだ。そういう怠惰な生活を送っているもんだからネットで揶揄されているようなピザみたいな体型をした人間が多い。
だが、受け手の側からも情報を発信できるということは、その場の感情を公にぶちまけるということであり、それが無視できるレベルならまだしも、2ちゃんねるにおける犯罪予告やブログ等における犯罪を自慢げに告白する行為が、カップラーメンを食う傍で出来てしまってるいうのが実情なのである。
この手の輩に対する対策は実はそんなに難しいものではない。要するに奴らが家にこもってネットをする時間を奪えばいいだけなのだ。具体的には自衛隊に入隊させる、禅宗の総本山永平寺で1年間修業させる、「ビリーズブートキャンプ」をリアルに体験させる、北朝鮮の強制収用所に入所させる等がある。
時間と快楽を奪えば、ゆとりピザは減少するというだけのことである。