Dictionary
ヘタレ†
ヘタレは、情けない、臆病な様子や人物を指す俗語である。
ヘタレとは†
ヘタレとは以下のような人物を指す言葉として現在は定着している。基本的に男性に対して呼ぶことが多く、下記の条件を満たしてもその人が女性であればまず言われることはない。しかし、指原莉乃のような例外もある。
- 臆病
- 気が弱い
- 優柔不断
- 安い
- 他人へ気遣いができるがその優しさを逆手にとられ安い玩具やお手ごろの愛玩のようにあつかわれる
このことから転じて、元々のポテンシャルは高いが、女性(美女限定)を前にしたとたんにそのポテンシャルがまったく発揮できなくなる、つまり女性の前では上記の状態になってしまう男性のことをヘタレと呼ぶようになった。通常時とこのヘタレ状態と呼ばれるギャップが大きければ大きいほど、ヘタレと呼ばれてしまう。
ヘタレの歴史†
ヘタレの歴史は世界の歴史そのものである。そのため、全部を書くととてもここでは書ききれないため、ヘタレの起源と日本におけるヘタレのみを記述することにする。
- 古代エジプト
- ヘタレは歴史を辿れば古代エジプトにまでさかのぼる。当時はプトレマイオス朝の女王として、絶世の美女と呼ばれているクレオパトラ7世が治めていた。古代ローマがエジプトを占領しようと、次々と勇者を送り込んでくるが、彼女の前にして何もできない男が続出。しまいには彼女の言いなりになってしまう勇者も出てきた。ユリウス・カエサル、マルクス・アントニウスなどである。そして、そのたびにローマ市民は彼らに失望した。これがヘタレの起源と呼ばれている。
- 古代中国
- 一方東洋でもヘタレは独自に誕生していた。こちらも女性を目の前にしてヘタレ状態になり、周りが見えなくなってしまう状況になっていた。古代中国は国が乱立する時代でもあり、そのヘタレっぷりが発覚すれば、そのヘタレ状態を策略に利用することも多かった。
- この時代で一番有名なのはなんといっても董卓だ。猛将であった彼も、これまた美女と言われている貂蝉を前にメロメロになってしまった。そのため、知らない間に呂布に立ち向かってしまったがために殺されてしまった。これは、董卓のヘタレ素質を見抜いていた王允の策略とも言われている。なお、貂蝉は呂布ともそれはそれはアーン♥♥だったらしい。ただ、呂布はヘタレではないので、全く変わりなかったとのこと。
- また、この時代の後も楊貴妃により玄宗皇帝がどうしようもないヘタレになってしまい、最終的にはヘタレが原因で皇帝の座を追われ、最後は軟禁状態で死んでしまうことになるなど、中国ではヘタレにより歴史が動くことが多かった。
- その他歴史上に存在した著名なヘタレ
- 趙括
- 下の馬謖同様、机上の空論の虚しさを遺憾なく発揮した。中国戦国時代の趙の人で、敵の挑発に乗り城をうって出て敵の虜になり、最終的に自身は戦死し麾下40万を生き埋めにされた。人口2000万程と言われた当時に40万は最早ギャグのレベルである。
- 馬謖
- 机上の空論が、いかに使えないかを「街亭の戦い」で証明したことで知られるヘタレ。以後、成績だけ優秀で実用の効かない奴のことを馬謖と呼ぶようになったほか、「泣いて馬謖をKill」という故事を残した。
- ヴァレンシュタイン(ワレンシュタイン)
- 三十年戦争で活躍した軍人。傭兵を率いてドイツを縦横無尽、好き勝手しなさった。しかし、暴れすぎて神聖ローマ皇帝に怪しまれ、暗殺されてしまう。
- ナポレオン三世(ルイ・ナポレオン)
- フランスに存在した著名なヘタレ。普仏戦争時はビスマルクの捕虜になるという形でそのヘタレっぷりを世界史に刻み込んだ。
- 毛沢東
- 「ヘタレ大騒動」としても知られる「文化大革命」を引き起こした。自分の本(毛沢東語録)の売り上げを狙ったはずが、国の存亡を危うくしてしまった。
- 小早川秀秋
- 関ヶ原の戦いというイベントの際、徳川軍に入るか豊臣軍に入るかを大会当日の昼休み後まで迷い続け、結局チュッパチャプスを3本くれた徳川家康軍に付いた。これにより形勢は一気に徳川軍に傾き、延いては徳川王朝を成立させた実績を持つ。その後、戦いで死んだ大谷吉継の幽霊に呪い殺されたと伝えられる。