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カレーライス

カレーライスとは、玄奘三蔵(三蔵法師)が当時のインドである天竺から持ち帰った、大変ありがたい食べ物(料理)である。尚ライスカレーというものもあるが、前者が皿の左側にカレーを盛り、右側にライスを盛ったものであるのに対し、後者は皿の左側にライスを盛り、右側にカレーを盛ると言うもので、いずれも食べるときに混ぜるという行為をエンジョイできる「わくわくフーズ」である。ポテト・飲み物などと僭称するピザも確認されている。トイレで食してはならない禁忌の食べ物である。

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美味しいカレーライス

概要

カレーライスは、インドではヒンドゥー教の上で神(またはの使い)と崇められる牛の肉を入れて食べることで、との一体感を堪能できる料理である。これはキリスト教の聖体パン同様の、カニバリズム(食人儀式)に由来する思想で、インドでは牛肉の入ったカレーのほか、亡くなった聖人の肉や骨粉を混ぜたカレーを掛けたカレーライスが珍重されていた。

ただし当のインド人は、後にインドイギリスに支配された際に「野蛮で残酷なカニバリズム信仰をやめるように」という法律に縛られた結果、牛肉や聖人を煮込んだカレーを食べる習慣を無くしてしまった。このため近代以降のインドでは、聖人の遺体はなおの事、牛肉の入ったカレーも食べられていない。禁止直後にはイギリス人の流儀に従って、魚介類やニワトリなどの肉を利用しながら、かつての牛肉や聖人の入ったカレーを偲んでいたという。

現在ではインドでもカレーが一般食となり、またカニバリズムの風習も廃れているため、家庭では魚介類やチキンのカレーが食べられている。このため同国のIT技術者が日本などに来ると、ビーフカレーが普通に売られている事から、「を食べる」という行為のあまりの残酷さに狼狽するケースもあるという。インド人を日本カレースタンドに連れて行くのは、嫌がらせ以外では余り勧められない。

なおこのカレーであるが、発明者はブッダであるという説が有力である。インドではその高温多雨な気候から、年間を通して夏バテを起こすが多く見られ、素麺やカキ氷といったあっさり系ばかり食べて体調を崩すも多かった事から、「暑いからこそホットに香辛料をバリバリに効かせたコッテリ料理だろ」と、賛同者の資金援助を受けて貧民に振舞った事から広まったようだ。後にカレーや聖人を称えてその肉を自らに取り入れるカニバリズムと融合し、カレーライスという料理が普及していった。日本では、寺院の財政が苦しかったため、仏教伝来以来「カレー生臭説」を吹聴する高僧が絶えなかった。

明治時代になって、日本人の嗜好をよく織り込んだアレンジ料理として大衆に普及したため、いまさら「カレー生臭説」を撤回できない仏門を除き、日本人全般に好まれる大衆食として普遍的に見られる料理となっていった。(後述)

注記 一部では明治期にも、カレーについて「牛のゲロ」などと評する向きもあったようである。 見た目のグロテスクさから、抵抗があったようだ。

呼び名の由来

なおこの「カレーライス」という呼び名だが、インドでは香辛料の粉末を混ぜ合わせたものや、このミックス・スパイスを使った料理をマサラといい、カレーとは呼ばない。カレーと呼び始めたのは、主にイギリス人である。

この語源についてだが、聖人の弔いを目撃したイギリス人が、この葬儀中にインド人が食べていた料理に関心を覚え「これは何の料理か?」と尋ねた際、インド人たちは無作法なイギリス人を無視して、神聖なるこの料理を黙々と食べながら、時折あまりの辛さに「カヒー!(声にならない声)」を上げていた事から、無知なイギリス人が「これは『カヒー』という料理なのか」と誤解した事に由来する。

のちにこれは英語表記の上で「Kahyyy!」がなまる過程で「Curry」となり、イギリス人から世界各地に広まった。

カニバリズムとカレー

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ブッダは、このカレーで最初に煮込まれた聖人だといわれている。ただし当時は食べるためではなく、生きたままなない程度に出汁を取るためであった。このため仏陀坐像の中には、散々煮込まれてガリガリに痩せ細った当時を表したものも見られる。

これは一種の苦行で、ランチ時に繰り返して煮込まれる事から、捨身飼虎に匹敵する荒行として当時から中世にかけてのヨギ(苦行をする行者)によって度々行われた。しかし余りに火加減が難しく、頻繁に「煮過ぎてカレーの具になっちゃう」ヨギも出たことから次第に廃れ、亡くなった聖人を弔うと共に、その徳を偲んでカレーにして食べるという風習になっていったと伝えられている。

オウム真理教カレー

なおこの荒行であるが、現代ではオウム真理教が真似て、教祖の出汁を取るという行為を行った事が知られている。しかし麻原彰晃(本名・松本智津夫)は大の熱がりで、また我侭でもあったため、湯の温度は40度前後という「普通の風呂」程度であり、到底荒行とはいえないような、随分と「ぬるい」修行であった。

このような理由により彼のダイエットは完全に失敗に終わっており、かくも見苦しい肥満を晒す結果となった。しかしそれでも「教祖の出汁」は同教団内で人気のある商品で、牛乳ビン一本分が末端価格にして数万円で取引され、これでカレーやインスタントラーメンを作って食べる信者も居たという。

またオウム真理教では教団内部でインスタントラーメンやレトルト食品を製造していた事は有名だが、この中には「尊師カレー」というレトルトカレーも発売されており、パッケージには合成写真で「富士山の上を飛ぶ麻原教祖」が印刷されていた。

しかし「教祖の出汁」を少しでも入れてレトルトにすると、3日と開けずパッケージが膨らんでしまい、一週間で7割が破裂してしまうほどに発酵(実質的には腐敗)が進むなど衛生面で問題も出たため、このカレーはパッケージのイメージとは裏腹に「教祖出汁0%(“無教祖汁”とも)」であった事が当時の食品製造部門の元教団幹部らの証言で明かされ、後に不当表示の悪徳商法として騒がれたりもしている。

日本人とカレーライス

日本には、後にインドを支配したイギリス経由で明治時代に持ち込まれたとする説もあるが、その一方で仏教伝来の頃には既に伝わっていたとする説もある。

ただ日本では、カレー伝来当時は使われる幾つかの香辛料が得がたくもあり、カレー(マサラ)に含まれる各々の香辛料を崇拝する形態へと変化していった。これは後に漢方薬としての方向に発展、薬とカレーの神として薬師如来を崇拝する様式へと昇華された。

現代の薬師如来の左手にある容器はカレー粉入れで、右手の手の形は本来、カレーに入れるべき聖なる肉を「自分たちで用意しなさい」という意味を表す比喩表現であった。しかし後に仏教が日本国内に広まる過程で「無駄な殺生を忌避する」という思想が「殺生全般を忌避する」と誤解されて広まったため、薬師如来の右手の示す意味は忘れ去られたようだ。

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日本人に大人気のレトルトカレー

その一方で、千手観音をよく観察すると、カレーを食べる時に用いるスプーンという原始的な食器を手に持っていることに気付くだろう。これは日本に仏教が広まる過程で、「カレーを作る仏がいるのなら、それを食べる仏も必要だろう」という思想に基いているとも、また千手観音は出来上がったカレーを食べさせてくれる仏だともされた事に由来すると考えられている。このため、薬師如来や千手観音は今日でも、日本全国のカレーファンに崇められている。

明治時代には海外から香辛料が豊富に入ってくるようになり、薬師寺を中心に保存されていたかつてのカレーライスを復元(このときはまだ日本での呼び名が無かった)し、またイギリス人が使っていた「カレー」を名称として、大きな海外との縁も深い港のある横浜市で一般庶民にも食べられるようになっていった。

ただ、日本ではカニバリズムの風習がなかった上に、牛を崇めるという風習が無く、また本格的に普及しだした明治時代の当時は神道が国教であったことから、全ての命を尊んでいた関係で、野菜でも肉でも手当たり次第に入れた結果、現在のカレーライスの姿になったと見られている。

今日では日本に於いてカレーライスは定番メニューとして好まれているが、人肉をカレーに入れる人はいない。しかしその他の肉類は色々と試されており、牛肉のほか豚肉・鶏肉・魚介類・甲殻類(エビ・カニ)・両生類といったポピュラーな物の他、爬虫類や海洋性哺乳類(トド・アシカ・ラッコ・イルカ・クジラ)などもカレーの具に用いられている。

また、北海道(特に札幌のすすきの)では、カレーを大量の熱湯で薄めたスープカレーなるものが何年か前からブームとなっており、すすきのの名物ともなった。

また、海援隊の武田鉄矢や元EE-JUMPのボーカル担当だった在日女性タレント・ソニン(訴人)等、カレーライスを題材にしたシングル曲を多数リリースしている。

なお現在、日本のカレーライス研究家として有名なのは林眞須美である。

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最近開発された青いカレー

慣用句

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