#author("2018-05-04T16:24:41+09:00","","") #author("2018-05-08T14:48:46+09:00","","") [[ニュース]] *[[麻生太郎]]の呼び捨てに違和感の理由「政と官」の関係性も要因か [#fcfaa0dd] 「[[佐川宣寿]]の答弁に合わせて書き換えたというのが事実」 [[学校法人「森友学園」を巡る決裁文書の改ざん問題>森友問題]]で、[[麻生太郎]]が国会答弁や記者対応で、[[佐川宣寿]]を「佐川」「[[佐川宣寿]]」と呼び捨てにしていた。 どうも違和感を覚える。 一般的に考えれば、[[麻生太郎]]の言葉遣いは社会常識にかなっている。[[会社]]など同じ組織に所属する[[人間]]について、外部に対して語るときは呼び捨てにする、というのが基本のマナーだ。「うちの○○社長が」ではなく「うちの社長の○○が」と語るのは社会人のイロハである。 一般的に考えれば、[[麻生太郎]]の言葉遣いは社会常識にかなっている。[[会社]]など同じ組織に所属する[[人間]]について、外部に対して語るときは呼び捨てにする、というのが基本の[[マナー]]だ。「うちの○○社長が」ではなく「うちの社長の○○が」と語るのは社会人のイロハである。 なのに、なぜ[[麻生太郎]]の呼び捨てに引っ掛かるのか。 第一の理由は、[[佐川宣寿]]を呼び捨てにして、改ざんの責任者と印象付けることで、[[政治家]]への波及を抑えようとしているのではないか、との疑念が浮かぶからだ。野党も「[[佐川宣寿]]一人を悪者にするようだ」と批判している。 違和感のもう一つの理由は「政と官」の関係性に起因するのだと思う。 例えば、[[麻生太郎]]が自分の事務所の職員について「うちの秘書の○○が」と呼び捨てにするのは自然だ。「身内」だからである。しかし同じ省の大臣と[[官僚]]が「身内」かといえば、そう単純ではない。 [[官僚]]は「[[国民]]全体の奉仕者」である。誰のために働いているかといえば、[[国民]]であって大臣ではない。同じ政策目標に向けて仕事をしていても、[[政治家]]と[[官僚]]の間には一定の距離感と敬意があるべきである。その緊張感が近年、失われているようなのだ。 「自民1強」支配が続く中で、[[政治家]]が「[[官僚]]は[[政治家]]の使用人であり、[[政治家]]のために動くのが当然」と勘違いしてはいないか。[[自民党]]議員が[[文部科学省]]の[[前川喜平]]の講演内容を[[文科省]]に照会したのも、そうした[[政治家]]の勘違いが背景にあるような気がしてならない。 [[麻生太郎]]は2018年3月20日の国会審議から、[[佐川宣寿]]に「前長官」の肩書を付けて呼ぶようになった。やはり、その方がすっきり聞こえる。