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麻生太郎の呼び捨てに違和感の理由「政と官」の関係性も要因か

佐川宣寿の答弁に合わせて書き換えたというのが事実」

学校法人「森友学園」を巡る決裁文書の改ざん問題で、麻生太郎が国会答弁や記者対応で、佐川宣寿を「佐川」「佐川宣寿」と呼び捨てにしていた。

どうも違和感を覚える。

一般的に考えれば、麻生太郎の言葉遣いは社会常識にかなっている。会社など同じ組織に所属する人間について、外部に対して語るときは呼び捨てにする、というのが基本のマナーだ。「うちの○○社長が」ではなく「うちの社長の○○が」と語るのは社会人のイロハである。

なのに、なぜ麻生太郎の呼び捨てに引っ掛かるのか。

第一の理由は、佐川宣寿を呼び捨てにして、改ざんの責任者と印象付けることで、政治家への波及を抑えようとしているのではないか、との疑念が浮かぶからだ。野党も「佐川宣寿一人を悪者にするようだ」と批判している。

違和感のもう一つの理由は「政と官」の関係性に起因するのだと思う。

例えば、麻生太郎が自分の事務所の職員について「うちの秘書の○○が」と呼び捨てにするのは自然だ。「身内」だからである。しかし同じ省の大臣と官僚が「身内」かといえば、そう単純ではない。

官僚は「国民全体の奉仕者」である。誰のために働いているかといえば、国民であって大臣ではない。同じ政策目標に向けて仕事をしていても、政治家官僚の間には一定の距離感と敬意があるべきである。その緊張感が近年、失われているようなのだ。

「自民1強」支配が続く中で、政治家が「官僚政治家の使用人であり、政治家のために動くのが当然」と勘違いしてはいないか。自民党議員が文部科学省前川喜平の講演内容を文科省に照会したのも、そうした政治家の勘違いが背景にあるような気がしてならない。

麻生太郎は2018年3月20日の国会審議から、佐川宣寿に「前長官」の肩書を付けて呼ぶようになった。やはり、その方がすっきり聞こえる。


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Last-modified: 2018-05-08 (火) 14:48:46