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「やらせメール」と人を無能にする組織

九州電力によるいわゆる「やらせメール」問題は、発覚以来、拡大し続けているように見える。以下、これまでに報道されたところを、時系列に沿って列挙してみる。

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記者会見に臨む九州電力の真部利応
(2011年7月6日夜、福岡市中央区)

・・・当欄でこれ以上細かい検証をするつもりはない。私は自分の足で取材したわけでもないし、新聞に書かれている以上の事情は何も知らないからだ。

ただ、報道された内容を追うだけでも、わかることはわかる。現時点で、はっきりしているのは、「やらせメール」にかかわった九州電力の関係者が、上から下まで、かなり致命的に無能だったということだ。

「やらせメール」が不公正な手段であったという点について、議論の余地は無い。誰がどう見ても、どこからどう評価しても、九電の情報工作は著しく不誠実な所業だった。

が、問題は、「卑怯」とか「不実」とか「傲慢」とか「薄汚い」とかいったところにはない。

無論、電力会社は卑怯であるべきではないし、ライフラインをあずかる業者が欺瞞的であって良い道理もない。

が、卑怯でも邪悪でも傲慢でもウソつきでも、もし九電が原子力発電所を管理運営する者ふさわしい胆力と有能さを備えているのであれば、罪は罪として、私は、これほど大きな憂慮を抱かなかった。

問題は、彼らの無能さにある。

たとえば、自分が乗る飛行機のパイロットに、私は、必ずしも高潔な人格を求めない。

助平でもウソつきでも足がクサくても阪神タイガースのファンであっても、腕の良いパイロットであるのなら、私はキャプテンの手腕を信頼して、おとなしく座席に座る。

反対に、愛妻家で正直者で曲がったことの大嫌いな好人物であるのだとしても、その男が下手くそなパイロットであるなら、私は彼の操縦する旅客機に乗りたいとは思わない。

九電の幹部が、原発再開のために汚い手を使ったことは、ほめられたことではない。人間として恥ずべきことだとも思う。

しかしながら、彼らが、原発の安全性と必要性を心の底から確信していて、その「何ものにも代えがたい原発の稼働という現実」を防衛するために、あのような手段に訴えたというのであれば、その気持ちは理解するにやぶさかではない。

安全性や必要性とは別に、やらせメールを指示した九電の面々の目的が、単に利益(既に完成済みの原発を動かし続けることは巨大な利益を生む)に過ぎなかったのだとしても、それはそれで、ギリギリわからないでもない。あまりにも巨大な利益は、倫理や道徳を超えて、日輪の如くにまばゆく見えるはずだからだ。

おわかりだろうか。つまり私は、九州電力の関係者が、彼らの生命たる原発の再稼働を果たすべく、なりふりかまわずに世論誘導という極端な手段に打って出たところの心根を、ここでは、とりあえず、百歩譲って、汲んでさしあげても良いと、かように申し上げているのである。

とはいえ、仮にも一人前の男が、道を踏み外した手段に訴えるのであれば、彼は通常の業務に取り組む場合とは比較にならない真剣さで、その仕事に取り組まなければならない。当然だ。

「法の外で生きる男は」

と、ボブ・ディランも歌っている。

「誠実であらねばならない」

武家社会における職業的なテロリストであった忍者は、倫理道徳はおろか、愛情や家庭生活といった人間的な要素のことごとくを、あらかじめ捨て去った世界で生きること(つまり「忍ぶ」ということ)を自らに強いた人々であった。必死というのはこういう姿勢を言う。

もし、九電のやらせメール工作が「必死」の業であり、その世論誘導の手練手管が、文句のつけようのないほどに周到で、また精緻かつ老獪であったのなら、私は、彼らの根性の卑しさを蔑む抱く一方で、「これだけの仕事をやってのけた連中なら、もしかして原発の安全管理を任せても大丈夫なのかもしれないぞ」というふうに評価したかもしれない。原子力発電所の安全は、とびきりに優秀な人間が、命がけの真剣さで取り組んではじめて可能になるテの、極めて困難なミッションだ。とすれば、その安全を支える人間たちが掲げる倫理は、もしかすると通常の世界の倫理とは次元が違っているのかもしれないからだ。

ところが、倫理をどうこう言う以前に、九電の世論誘導は、作業として小学生レベルだった。

というよりも、報道されているところを確認する限り、彼らの仕事は誘導にさえなっていなかった。

幼稚園児の「指きりげんまん」以下。針千本を呑む覚悟さえ持っていなかった。

概要は以下のとおり。

裏工作を志す以上、電子メール(一度発信したメールはどんなことをしても決して消せない。送り手が消しても、受け手が削除しても、メールの痕跡は、そこかしこのサーバに様々な形で残存する)での依頼は問題外なはず。なんとなれば、発覚した場合のリスク(原発管理者にとって「信頼」の喪失は、原子炉にとっての冷却用電源の喪失に等しい致命的なダメージをもたらす)が、あまりにも大きいから。

いかに子会社の人間とて、全員が親会社の意向に従うとは限らない。まして、指示は不正を含んでいる。こういう場合、秘密の防衛は、それを知り得た人数の自乗に比例して困難になる。

指示のメールを受け取った子会社の人間がまたとてつもなく無邪気で、彼らは、不穏当な内容を含むそのメールをそのまま複製・印刷し、野放図に転送・回覧していた。「やらせ」が不正であるという自覚を欠いていたのか、でなければ「不正」そのものについての感覚が麻痺していたのか。いずれにしてもマーベラスな無神経と言うほかに言葉がない。

江戸時代ならいざしらず、21世紀の電子化された情報社会で、こんな「正々堂々とした不正」が、発覚せぬままに経過することは原理的にあり得ない。

まるで、インターホンを押して本名を名乗ってから侵入する窃盗犯だ。

彼らは、もしかすると、普段から正規の広報活動と不法な裏工作を特に区別することなく、それら二つを不即不離の日常業務として併存させていたのかもしれない。三歳児の万引きレベルの自意識。けがれなきいたずら。すごい。

うしろぐらい作戦を敢行する人間は、ふつう、メモもメールも残さない。電話さえ滅多に使わない。必ず、相手と直接に対面しながら、あくまでも口頭で、すべての指示を伝える。

たとえば、「26日の合コンだけど、あれ、ヤナセには内緒な。あいつ来るとめんどうだから」ぐらいな、ごくごく非公式な秘密連絡であっても、賢い組織人なら、メモやメールは経由させない。必ず口頭で伝える。聞き手の顔に真剣味が感じられなかった場合は、恫喝も辞さない。

「あと、この件は給湯室の女子にもオフレコだぞ。漏らしたヤツは終わりだからな」

なのに、九電の人々は、これほど重大な秘密作戦を、メール経由で堂々開陳し、そのまたメールを不特定多数の人間に向けて、公明正大にばらまいている。信じられないナイーブさだ。

子会社にだって潔癖なヤツはいると思うよ。

「反戦自衛官」という意表を突く人たちだって少数ながら実在したわけなんだし、情報工作に従事する人間であるならば、「反原発協力企業社員」ぐらいなものは当然想定してかからないといけない。そうでないと、世論操作なんて到底できやしない。

でなくても、1000人以上の人間がいれば、共産党シンパの5人や6人はいて然るべきなんではないのか?

百歩譲って、協力企業の社員が一人残らず原発推進派なのだとしても、それでも、親会社から一方的に不正への関与を指示されたら、鼻っ柱の強い社員はどうしたって反発するんではないのか?

結局、九電からやってきた「やらせ依頼メール」は、内部告発の形で共産党の議員にリークされた。情報をもたらした男性社員は「コンプライアンス(法令順守)に反する行為は会社のためにならない」と考え、知人に相談して党事務所を訪ねたのだという。

当然の行動。あまりにも定石通りの進行だ。

メール経由で不特定多数の子会社社員に指示を拡散して、それでも情報が外部に漏洩しないと考えたアタマの持ち主は、無能という形容すら超えた存在だと思う。そもそも、子会社の人間を奴隷と考えているのでなければ、こんな指示を機械的にばらまけるはずがない。

と思えば、この程度の初歩的なヤラセさえ貫徹できない連中に、原発みたいな複雑なシステムを制御する大役がつとまる道理がないではないか。

アタマの上の蝿を退治するために、金属バットで自分のアタマをジャストミートしている人間に、どうやって責任ある仕事を発注することができる? 冗談じゃない。

報道によれば、2011年6月22日に九電から発信された「やらせ依頼メール」は、結果として4つの子会社の少なくとも1500人の人間で閲覧されたという。

1500人。どんな強固なムラ社会であっても、この人数で秘密を守ることは不可能なはずだ。

なのに、九電の幹部は、事態が発覚した後も、なおしばらくの間、とぼけきれると判断して、事実、とぼけようとしていた。

私は驚愕している。

これは、昨日今日の付け焼刃の無能ではない

きちんと筋金の入った、十分に訓練の行き届いた無能だ。

単純な浅慮や無神経で、ここまでの無能さは達成できない。

つまり、無能であることが求められ、無能であることが評価される機構がシステムとして維持されている場所でなければ、これほどあからさまな無能は生まれ得ないということだ。

おそらく、関係者のすべてが無能であり続けることが組織存続の前提条件になるといったような何かが、九州電力の内部の、少なくとも原発に関連する部署には内在しているはずだ。そうでないと、説明がつかない。幹部から子会社に至るすべての関係者が、これほどまでに極端な無能さを発揮するためには、それにふさわしい、何か特別な事情が介在していないといけない。

彼らとて、入社時点では、おそらく有能だったはずだ。現状でも、組織を離れた一個の人間として虚心に評価すれば、おそらく応分に優秀なのだと思う。電力会社は、過去何十年にわたって、常に大学生の就職希望ランキングの上位に名前を連ねてきた優良企業だ。その高い倍率の選抜試験をくぐりぬけて入社した彼らが、揃いも揃ってゴミみたいに無能だということは考えにくいからだ。

おそらく、無能であることが求められる風土(疑問を持つ態度が疎んじられ、無批判な前例踏襲が強要される、といったような)が、少なくとも原発部門の社員の間には共有されていたのであろう。逆に言えば、電力会社に入社した社員のうちの、多少とも優秀な部類の人材は、他社との競争があったり、研究開発のための知識と思考力が必要だったり、コスト削減の努力や売上向上のノルマをかかえている原発以外のどこかほかの部署に、順次移籍して行ったのだと思う。

ひとつ思い当たることがある。

大学に入った年のはじめての夏を、私は、千葉県のとある海水浴場にある海の家で、住み込みのアルバイトとして過ごしていた。青い海。水着の女たち。水平線の彼方に連なる白い雲とその向こうに広がる水色の空。砂浜のアバンチュール。そうしたさまざまなものが、私を呼んでいるような気がした。言いかえるなら、私は、8月の砂の上で働く若者にふさわしく、愚かだったわけだ。そして、私は、愚かである以上に、無能だった。だから、海の家のオヤジにきらわれていた。というよりも、なまっ白くてヒョロヒョロしている私は、海の家の兄貴にそぐわないと判断されて、冷遇されていたのだと思う。

私は、ゴミ穴掘りにまわされた。

ゴミ穴掘りは、文字通り、毎日の営業から発生する大量のゴミ(残飯、トウモロコシの芯、貝殻、鼻緒の切れたゴムサンダル、破れたビーチボールなどなど)を埋めるための穴を掘る仕事で、店の仕事(トウモロコシと焼きそばの焼き番、かき氷、売り子、レジ、駐車場係、呼びこみ)で役に立たないアルバイトの受け持ちになっていた。

ゴミ穴について少々解説する。

穴は、小屋から離れた場所に掘らねばならない。というのも、近場の砂浜を掘ると、一週間前のビニール袋や三日前の残飯を掘り当てることになるからだ。だから、日がたつにつれて、穴はますます遠くなる。うっかりすると去年のゴミが出てくる。周辺の砂浜は、結局のところ、どこもかしこもゴミだらけなのだ。

海の家の営業は、ゴミ処理を想定していない。毎年、出た分のゴミを行き当たりばったりに焼いたり埋めたりして、そうしているうちに秋が来てシーズンが去ると、ゴミのことは忘れてしまうのだ。

なんだか、原発に似ている。

海の家は、本当のことを言うと、土地所有すら曖昧(←砂浜は「入会地」であり、誰の土地でもない)な営業だ。毎年、同じ場所に同じ業者が仮普請の小屋を建てること自体、正規の営業権とは無縁な、一種の「縄張り」の結果に過ぎない。少なくとも私がいた当時の九十九里浜ではそうだった。縄張り。しきたり。既得権益。あるいは荒くれな海の男たちによるリアルな綱引き。そういう中で、ゴミ穴用地にも縄張りがあり、われわれは、隣の小屋のゴミ穴係の顔色をうかがいながら、掘る場所を探しに出かけなければならなかった。

ゴミ穴は、深く、大きいほど良い。いい加減な穴を掘ると、じきに風であばかれてしまうからだ。波打ち際に近すぎるのも問題で、あるラインより海辺に近い場所(まあ、掘りやすいわけだが)に掘った穴は、深く掘ると水浸しになってしまうし、なにより、大潮の時に波に掘り返される。

ゴミ穴掘りは重労働だ。30度を超える炎天下で、たった一人、スコップを持ってただただ砂を掘り続ける。東京生まれの大学一年生にはとんでもない作業だ。

が、ゴミ穴掘りの初日、重労働にもうろうとした私は、自分の足をスコップで傷つけて(←掘りました)戦力外になる。

以来、私は「連絡員」という立場の人間になった。

そして、これこそが、人間無能にする仕事だった。

無能であることが期待され、無能であり続けることではじめて機能するジョブ。そういう役割だった。

連絡員は、ゴミ穴掘り以上の閑職で、肉体的には非常に楽な仕事だ。が、事実上の「おミソ(※1)」扱いなので、報酬は、ほとんど出ない。だから、このポジションにまわされたアルバイトは、ある意味で「終わり」だった。

※1:「役に立たない」けど、必ず中に入ってるような「味噌のかす」ような存在)

「連絡員」は、砂浜に一定の間隔で設置されている見張り台の下で待機する仕事だ。見張り台の上には「監視員」がいる。「監視員」は、沖に流される遊泳客や溺れた子供を発見すべく、常に双眼鏡を首から提げている。

連絡員の第一の業務は、万が一事故があった場合に、監視員の指示に従って、センター(放送や、迷子の一時預かりや、各種の案内をする施設。ライフガードの詰所にもなっていたはず。見張り台から500メートルほど離れていた)まで走ることだった。

が、実際には何も起こらない。

カニが寄ってくるだけだ。じゃんけんをしてみる。ぱあを出して負ける。連絡員は無能になる。カニにさえ勝てない。それほどヒマなのだ。

なにしろ、見張り台の上に規定どおりに監視員が座っていることは、まずなかった。ということはつまり、連絡員は、見張り台に寄りかかってただ座っているだけのアリバイ要員だった。

当時の九十九里浜では、隣接するいくつかの海の家が交代で、見張り用の人員を差し出す決まりになっていた。

そうしておけば、万が一事故があった場合に、流された遊泳客を助けられるかもしれないし、助けられない場合でも、「われわれは、見張り用の監視員と、連絡用の補助員を常駐させていた」と主張することができるからだ。だから、監視員はともかく、補助の連絡員は、必ず一人、見張り台のたもとに常駐させることになっていた。

そんなわけで、私が働いていたJ州屋からも、一日のうちの4時間ぐらいは、人間を一人差し出さなければならないなりゆきになっており、その店から差し出される花いちもんめの人材に選ばれていた私は、結局、ほぼ毎日、連絡員として、砂浜に座っていた次第なのである。

連絡員として選出される人間に不可欠な特徴は、なにより、「無能」ということだった。

足を痛めていてロクに走ることもできない私が、緊急連絡用の連絡員に割り当てられること自体おかしな話なのだが、オヤジには、そんなことはどうでも良かった。彼としては、店の中で一番戦力にならないアルバイトを組合の仕事に供出したということに過ぎない。

実際、何も起こらなかった。日差しを防ぐべく、メキシコ人がかぶるみたいな巨大な麦わら帽子をアタマに乗せた私は、見張り台の柱を背に寄りかかって、丸半日、海を眺めていた。そうやって、私の19歳の夏は過ぎて行ったのだ。

こう書くと優雅な仕事に思えるかもしれない。が、寄せては返す波を黙って眺め続ける作業は、これは、やってみるとわかるが、非常に精神の根本のところが麻痺する、とてもつらい仕事だった。

実際、私はこの年の夏、連絡員をつとめたことの後遺症で、かなり根の深い憂鬱症にとらわれることになった。いや、本当なのだ。海というのは、健康な若者が10分以上眺め続けて良いものではないのだ。

やってみればわかる。繰り返し押し寄せる波を30分以上眺めていると、精神が完全に膠着してくる。

真昼の4時間を連絡員の仕事のために費やせば、誰であれ、通りすがりのアラビア人を射殺したい気持ちになるはずだ。

アラビア人を撃った理由を問われたムルソーは

「太陽がまぶしかったから」

と答えた。詳しくは「異邦人」を参照してみてくれ。

なんという不条理。太陽と砂浜と無意味な仕事は、人間をどこまでも不条理な存在におとしめてしまう。

原発の管理は、見張り台の連絡員と似たタイプの仕事だ。

何も起こらないことが前提となっているシステムの前に座って、何も起こらないことを確認するために何十年間も休まずに計器を眺め続ける。と、実際に、毎日、何も起こらない。何十年間も。本当に何も起こらない。なぜなら、原発は奇跡的に安全なシステムだからだ。そして、何かが起こった時には、手遅れになっている。というのも、安全なシステムが安全でなくなったということは、既にこの世界が破滅しはじめていることの兆候だからだ。

有能な人間は、半月で逃げ出すはずだ。

私は半月で逃げ出した。

逃げ出さなかったら、たぶん海に飲み込まれていたと思う。

玄海原発で働いている皆さんも、できれば、正気が残っているうちに、逃げ出すのがベターだと思う。

シオマネキに対しては、心からの抗議と拒否の気持ちをこめて、ゲンコツを差し出さないといけない。


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Last-modified: 2019-11-15 (金) 18:58:52