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この世の終わり

「暗き天にマ女は怒る。この日、○終わり。悲しきかな!!」
    ~ この世の終わり について、ドラえもん

「終わり無ければ全て無し」
    ~ この世の終わり について、ことわざ

この世の終わり(-よのおわり)とは、世界が破滅を迎えた時をさす。一般的には、地球上の人類ないし生物全般が滅亡したことをさすことが多い。なお地球等の惑星が粉々になるような事態も含まれるが、人類が他星(火星など)において生存していることもありうるため、それは「地球の最期」など別物として扱われることもある。

また慣例的に、が何らかの状態に失望したときに使用される。例えば、彼がゲイだと発覚して失恋した彼女への慰めとして「この世の終わりのような顔をしなくても~」と言うように使用されることが多い。

なお、無を操り二刀流乱れ打ちをやる絶望に追いやった魔道士や未来から来たネズミ嫌いのネコ(タヌキ)型ロボットや、カエル型宇宙兵士を慕っている、星を破壊する役目を負った少女、かつて未成年の女を取られた未練を14年間引きずっている迷惑な赤い人、確率論をものもとしない、宇宙人・未来人・超能力者を一箇所に集めてしまう奇特な才能を持つ人物、更にその友人の対有機情報生命体用インターフェースの場合は、先に根回ししておかないと本当に「この世の終わり」・「カタストロフィー」を迎えさせたり、果ては「世界の抜本的な作り直し」(再構築)を行ってしまう可能性があるので、接する際は注意が必要である。

この世の終わりについての妄想・願望

「ノストラダムスの予言」を解釈すると「1999年7月には人類が滅亡することになる」ということを言っていた人は多かったが、実際のノストラダムスの予言(「ミシェル・ノストラダムス師の予言集」第10巻72番の詩)にはそんなことは何一つ書いていなかった。彼の予言は3797年まで続くものだと明記されているのに、なぜ「天から恐怖の大王が来てアンゴルモアの大王を蘇らせ、前後に火星(軍神)が幸福に統治する」という、 平和な統治を示唆するような詩が「人類滅亡」なんかと結びついたのかわからない。

一説によると、五島勉に代表される予言を解釈した人の中に「この世の終わりが来てほしい」と願うものが多く、彼らがその妄想に都合よく解釈したからだといわれている。

1970年代以降、環境破壊や公害問題などを受けて「人類はすばらしいものだ」という考えに疑問がもたれるようになり、その結果としてこの世(現世)に愛想を尽かし、世紀末という機会だし、いっそのこと全て一瞬になくなって欲しいという願望が一部の日本人の中に生まれたのではないかというものである。それは1995年、終末思想を信じたオウム真理教徒によるテロ事件などとも結びついた。

ノストラダムスのブームが去った後でも、この世を終わらせる方法を論議するものが現れたり、世界の終焉をテーマにした映画やドラマ、小説がいくらか製作されるなどしている。2012年こそ本当の終末だと主張する占星術者や自称:予言家も既に現れていて、それを記した書籍も刊行されている状況である。

人類の一部には一瞬で全てがなくなってしまうことを妄想したり、願望するものがいることをこれらは示しているようである。

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クソ人間など、とっとと滅びるがいいですぅ!!

この世の終わりについての注意

しかし、この世の終わりを考えるときに注意しなければならないのは、映画やドラマなどでは盛り上げ方の関係上、「人類(生物)滅亡は一瞬ないし短時間でやってくる」ことを前提としていることである。ノストラダムスの予言その他も、滅亡は核戦争や小惑星衝突、パンデミック世界的な感染症流行)など、「短期間で完結するもの」と考えているものが多いようである。

だが、実際は世界的な生物の化石分布などが示しているように、「生物の絶滅にはかなりの時間を要する」可能性のほうが高いと見られている。小惑星ないし隕石の衝突が滅亡の原因と一般的に言われている恐竜でさえ、実際にはそれ以前から個体数の漸減が起こっていたことが分かっており、衝突はその傾向に拍車をかけたに過ぎないと見られている。

それを考えると、実際の人類滅亡のシナリオは、まず世界的な異常気象による旱魃その他で食料が取れなくなり、世界経済と治安に大打撃を与え、各地で難民が生まれ、更には物の奪い合いによる秩序破壊(戦争・紛争・虐殺……)が起こり……といった、「長期間情け容赦なく苦しめられながら、徐々に数を減らしていく」ようなパターンのほうが考えやすいものといえる。

そのため、破滅を防ぎたいと思うのならUFO信教やキリスト教による「世界立て直し」を考えるより、環境問題を考えたほうが妥当だと見られている。また破滅を望むものも、長期間苦しめられる滅亡が本当に来て欲しいかどうか、真剣に考える必要があるといえるだろう。

地球の最期

地球の最期とは、隕石の衝突などで地球自体が破壊される場合のことを言う。人類が生存している場合は厳密にはこの世の終わりとは言えないため、それとは別個のものとされている。また、地球に優しいエコロジーな現代人は突拍子もない事態、例えば地球の終末も予測している。具体的には、ばらばらになった地球を接着し、人工惑星として再利用すると言う計画がある。

なお政府筋の機密事項には、天文学者の予言する太陽の終焉とともに、後45億年程度で地球は必ず滅亡を迎えることが記されているが、この件に関して国民に対して避難勧告を含む広報は一切されていない。これは「おれたちゃそこまで生きていないよ~」と言う楽観的な考え方なのか、「数万~数億年後の人類の滅亡が先」と言う悲観論なのか、誰も知る由もない。

追い込まれたが使うときの言葉として

締め切りが明日なのに原稿が1枚もできていない時、漫画・小説の原稿取立てに来た編集者や、その他チキン君がのたまう「窮状」のときに、「この世の終わりだ!」・「地球の最期だ!」と言ってのける人もいるが、実際には本人が困っているだけであって、実際のところ当人以外誰も困っていない。

慣例的によく使われるが、困っている当人に「本当に終わらせてあげようか?」と言えば、ほぼ間違いなくやめてくれと言う。チキンが使うのは慣例的なんだから本気で信じてはいけない。合掌!

また小学生中学生高校生の一部には、毎年夏休みの終わる9月1日を終末の日と考える者が結構現れる。もちろん、それが世の終わりになった事例は皆無である。

http://images.uncyc.org/ja/a/a3/Konoyo_no_owari.jpg

類義語

関連項目

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Last-modified: 2019-10-28 (月) 12:38:51