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未成年

未成年(みせいねん)とは、まだ成年に達していない人のことをいう。すなわち「子ども」のことである。ただし、状況によって大人になることは多くの場面で確認されていて、その解釈はアイマイミーマインである。

法律的解釈

日本の法律においては、民法の第4条で満20歳以上が大人であるとされている。大人にならないと様々な法律行為(不動産の購入や売却など、その行為が法律上に規定されている行為)ができないとされている。但し、男性なら18歳以上、女性なら16歳以上で婚姻をしている場合には,この法律行為は認められている。

主な歴史的解釈

歴史上において「未成年」の解釈も常に変遷している。

古墳時代

この時代、多くの未成年達は大人の証明のため、見事なコフンを作り出すことに労力を注ぎ、人力を投入してコフンづくりに精を出した。素晴らしいコフンを築いたものは尊敬され、慕われ、子子孫孫まで語り継がれた。立派なコフンを生み出すために人々が努力し、より堅固で、より大きくて、より雄大で、より爽快なコフンを遺した者こそが大人であるとされた時代である。それは財力や人力も必要であったが、ウンも大いに左右した。

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当時を再現したコフン。ウーン見事なうねりである

明治時代

維新政府で長州弁や薩摩弁を聞いても理解できない者は未成年とされた。

「桂どん、おんしはおいどんの言葉がわからんらしかな、こんところではこいが標準語でござんで、あんたぁ未成年なぁ」 「そんなこたぁ、なかろうが!やれんのう。こっちが標準語でぇ~せご(西郷)どん、ちばけること言ってからぁ、ほいじゃけ、あんたぁのほうこそ、ここじゃぁ大人と言えまぁ、未成年じゃのう」

現代

20歳以上。民法上の規定による。なお、中には大人に紛れた精神的な未成年が混じっていることもあるが、見た目が大人であるので大人である。見た目は大人、頭脳は子供である。ややこしいな。

交通的解釈

鉄道を利用する場合、中学生になったら大人料金となる。

但し、中学生になっても誕生日前なら12歳であるし、誕生日後は13歳であるので個人差が非常にある。また、中学生以上でも身長が150cm以下なら子ども料金が認められており、一方で小学生でも身長が160cm以上であれば、大人料金を支払わなければならない。

さらに老け顔であったり、童顔であったりしても料金は変動する。判断基準は全て駅員の眼力と人生経験である。最近では自動改札の導入により、駅員には聴力(ピヨピヨ音を聴き分けられる聴力)が求められるようになり、サイボーグ009並みの身体能力が必要とされ、駅員採用は非常に狭き門になっている。

遊園地的解釈

東京ディズニーリゾートでは18歳以上で大人料金となる。但し18歳未満は子ども料金ではなく、12歳以上で「中人」料金が設定されている。なお、小学校および高校の修学旅行で利用する場合は、やはり年齢で個人差が発生するので、年齢が達していなかった場合、修学旅行終了後に差額料金をミッキーマウスが個人的に返還してくれるところは、さすがは世界一の遊園地の「僕らの倶楽部のリーダー」である。なお、よみうりランドでは高校生まで子ども扱いを受ける。しかし、同じ読売グループの東京ドームシティアトラクションでは、中人料金が設けられているのは、やはり都内と都下の格差であり、都内の高校生の方が[ ぴー ]でないことが多いためである。

銭湯的解釈

の場合、女湯に入れなくなった時、大人とされる。

は、入ることでお金を稼げるようになった時、大人とされる。ちなみにこのときの銭湯については後述の男性的解釈を参照されたい。

裸体的解釈

は、写真がかわいくなくなった時、または公衆の面前で裸になったら犯罪となった時、大人とされる。

は、写真が有料になった時、または公衆の面前で裸になったらお金を稼げる時、大人とされる。なおこの場合、ロリコンの存在は無視される。

修学旅行的解釈

修学旅行の風呂で[ ぴー ]に毛が生えているかいないかの違いである。どんなヤツでも生えていることを確認された日から、一目を置かれる存在になる。人間関係、勢力図が劇的に変更されることになる。つまり未成年ではなく、大人の扱いを受けるようになる。

男性的解釈

日本において、急いで大人になりたいと考える男性のための日帰り入浴施設が設けられている。この日帰り入浴施設は男湯しかないことが特徴。設置場所は全国の主要都市にほぼ設けられている。昭和時代の初期までは公立の施設も設けられていたが、現在は民間施設のみである。また、観光地にも多く設置されていることが見受けられる(但し、家族で利用することはできない。もちろん子ども料金もない。)

さて、この施設を利用すると、どうして未成年を卒業できるかというと[アーン??]をして[ お察し下さい]を失うからとされている。

なお、30歳を過ぎた男性で、もうどうになもならない場合には、早く[ お察し下さい]ためにも利用するべき。そうしないとまあ色々と疑われることがある。

人間は生まれてすぐに産湯につかり子どもとして認識され、入浴により「大人」になる。

なお、20歳未満でこの施設を利用しても、民法上の法律行為をすることはできない。未成年で法律行為をしなければならない場合には法定代理人に相談するか「法律上の解釈」を参照されたい。また、この施設を利用する際には法定代理人への相談はあまり勧められない。むしろ会社の先輩とかそういうことに詳しい人へ相談すること。

女性的解釈

えー、つまり[ ぴー ]によって女性[ お察し下さい]というわけで、敢えて具体的な例を挙げると、まず第一に[ 検閲により削除 ]ということである。

独眼竜的解釈

梵天丸は子ども、藤次郎は中人、政宗は大人である。「梵天丸もかくありたい」(顔は恐ろしいが優しい心持つ不動明王の姿と隻眼となってしまった自らを投影して発言)と言ったあたりは、未成年とは思えない思考であるが、藤次郎時代に教育係の虎哉宗乙和尚から頬をつねられ「痛かったら痛うないと言わっしゃい!痛うなかったら痛いと言わっしゃい」と諭されて切り返せなかった頃は、元服をしていたものの成年にはなりきれていなかったと言える。奥州において押しも押されもせぬ戦国大名になったものの、天下統一目前となった豊臣秀吉の小田原征伐に馳せ参じることに反対していた母であるお東の方から、好物の山鳥に毒を盛られたことで、好物を食べれなくなって逆上する当たりも成年となりきれていない部分が垣間見られる。

じゃんけん的解釈

「ちょき」を人差し指と中指で出すのが未成年、親指と人差し指で出すのが大人。この「ちょき」は原型がはさみではなく「糸切りはさみ」に由来している。なお、この「ちょき」を使用する相手が子どもであった場合、「ぐー」「ちょき」「ぱー」の混合技と誤解されることがあるので注意が必要である。また、フレミング左手の法則と誤解されることがあるので、理科の授業中にじゃんけんをする時は、くれぐれも注意されたい。また、フィリピンで使用すると1986年2月のフィルピン2月革命(エドゥサ革命)の際に多用された「Lサイン」と誤解されることがある。

叙情的解釈

未来を夢見るのが若者、過去を夢見るのが中年。常に希望を失わないのが青年、失望から立ち直れないのが中年。何事にも前向きなのが若者、色々後ろめたいのが中年。将来の夢を語れるのが若者、「もう将来」と思ったら中年。夢をあきらめないのが青年、夢において行かれたのが中年。未成年でも中年的な人間もいるが、成年でも未成年的(若者・青年)な心を失わない人間は一般的に「いつまでも少年の心を失わない」とされている。なお、ここで言う「中年」とは「中人」(中学生および高校生)ではないので注意されたい。

関連項目


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Last-modified: 2019-10-28 (月) 23:43:25